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ヒヨッコは空に思いを羽ばたかせる

 子供が大人になる瞬間、その線引きとは一体何だろう? と言うお題は思春期半ばの中学校の道徳では定番のテーマだろう。


 酒や煙草が解禁され成人式が行なわれる二十歳という節目の時、一社会人として働き始めた時、親元を離れ自立した生活を送り始めた時、異性と初めて性交渉を済ませた時等々その人の価値観によって様々な答えがあり、明確な基準は無い。その授業でもグループで討論をした後、最後の締めくくりとして何処の馬の骨だか分からない心理学者やお坊さんの言葉を聞いて終わるだけで教師を含め先に大人になった人間は誰も答えを教えてくれないのだ。


 曖昧で終わらされて何処かやるせない気持ちを心の隅に持ち、その中でも自分の理想の将来の事を妄想したり、自分は他の人間とは違う等と変なプライドを抱えながら歳を重ね現実を思い知り社会に溶け込む。そしていつの間にか周りからは大人扱いされてから気づくのだ。自分は大人になったのだと。


 俺はそれでいいと思うしきっとこれが真理なのだろう。いい歳したおっさんが麦藁帽子に原色のタンクトップ、子供がよく履いているランニングシューズなんてコーディネートをしていたら誰が見たって可笑しいと思うだろう。そんなものなのだ。


 「――マスター見てくださいよぉ、私の彼氏赤ちゃんみたいに可愛いでしょう?」


 本日十杯目のビールで完全に出来上がったムウマは男が好みそうなだらしの無い上半身をカウンターに乗せ同様の二の腕としなやかで何処かエロスを感じさせる指で持ったスマホを間逆のプロポーションであるマスターに見せびらかした。


 「ふむ、地球上で最も進化を遂げた人間をここまで退化させることが出来るとは流石淫魔だな。感心するよ」


 画面に映っている写真にマスターは本当に感心しているようでまじまじとそれを眺めながらまた普段通り不敵な笑みを浮かべて、ムウマから受け取ったスマホをチラリと俺に傾けた。


 そんなマスターとは打って変わって俺は東南アジア特有のゲテモノ料理を目の前に出されたような嫌悪感で顔を顰めた。映っている写真が大きすぎる揺り篭の中で赤ちゃんがよく持っていそうなカラカラと音が鳴る玩具を持ちおしゃぶりを咥え屈託の無い笑顔をしている国ヶ咲だなんて普通の良識のある人間なら俺と同じ顔をするに決まっているだろう。退化所か人間止めてるだろこいつ。


 「肝試しの後からちょっとずつ色々教え込んだんですよぉ。そしたら彼、すっごく甘えん坊さんになっちゃってぇ、まだ出ないのに毎日おっぱいをせがんでくるんですよねぇ」


 ムウマが自慢げで誇らしげに、しかし酔っているからか上手く表情を作れないようでフニャリと柔らかく笑う。そして全く何処に感心したのかは皆目検討もつかないがマスターはほう、っと一言頷いてから。


 「その教え込んだ内容とやらを是非教えてもらいたいものだね、うちのどうしようもない屑男も赤ん坊とまでは言わないが私に絶対服従し飽きれば手軽に捨てられる都合のいい手駒に仕立て上げたいのだが」


 「それ赤ん坊以下の存在になってますからね? つか今もマスターの手駒みたいなもんでしょ俺は」


 流石に国ヶ咲の様に人間を止めたくはないのでここはツッコミを入れておく。するとふにゃふにゃムウマはキョトンとした顔で店内を見渡し始めた。


 「あれぇ? 今何処にも居ないのに多田さんの声が聞こえたような……」


 「ああ、多田君なら直ぐ近くに居るよ。今呼んでやろう」


 そう言ってマスターはパチンと指先を弾く。小気味の良い音が店内に響くと俺の肢体を天井に括り付けていた謎のリングは消えうせ、身体は掃除の行き届いたフローリングに叩きつけられた。


 「た、多田さん!? 大丈夫ですか?」


 「ええ、大丈夫ですよ……このバイト始めてからこういう扱いにも慣れてきたので」


 俺の事を心配し、オドオドゆさゆさ身体を揺らしながら寄ってきたムウマを横目にそう言ってマスターを睨み付けてみるが鼻で一瞥されて終わってしまった。


 

 結局クソ馬鹿泪と共に行なった脱走劇は失敗に終わり、俺達の教育は一週間延長された。勿論個別で職員とマンツーマンの熱血指導で泪の相手はクソ蛆虫教官、俺には鬼の形相をしたエリゴスさんが付き今思い出しただけでもゲロを吐きそうな程想像を絶する訓練をこなしてきたのだ。


 返って来る際は泪が言っていた扉まで職員達に送って貰い、今こうしてBAR『DEVIL』に居る俺。その時泪の姿は見当たらなかった。次会ったら絶対にぶん殴ってやろうとかどうして契約の口付けを交わしたのにも関わらず失敗に終わったのかだとか色々聞きたいことがあった。それに友人だとは微塵も思っていないが短かったが胃もたれするほど濃密な時間を過ごした訳だ、最後くらい顔を見せに来たっていいだろう。


 その事が少し腑に落ちないが扉を潜る寸での所で人ごみの中揺れ動く金髪オールバックがちら見えしていたのでまぁ、よしとしておこう。


 こうして一週間と三日余りの調教もとい地獄の訓練は終わり、俺を待っていたのは躾から帰ってきたペットを優しく迎えてくれるご主人、ではなくご機嫌斜めで戻ってきた早々舌打ちをかましてきたマスターだ。


 まぁ、マスターがひどく不機嫌なのは当たり前だろう。調教されて帰ってくる筈がまさかその施設内で暴れ周り挙句の果てに一週間の延長を喰らいその間バイトに出勤出来ていなかったからだ。だから開店直前まで二十代男性が半泣きになるまで罵倒され今度は天井に貼り付けにされても仕方が無いのである。


 そう、仕方が無いと割り切るしかないのだ。これが俺が脱走劇の中、あれほど戻りたいと思っていた日常なのだから。


 「全く本当に君は口だけ達者のゴミカス人間だな……」


 そんなことを考えているとマスターはチャック全開で道を歩く中年男性を心底侮蔑するような視線で床に這い蹲る俺を見下す。そして偉そうな態度とは真逆の小さな体がカウンターにすっぽり隠れ、そこからはゴソゴソと何やら漁っている音が聞こえてきた。


 「やはり、飼い主自ら躾けるのが一番効果的だろう。なぁ多田君?」


 「げ、げぇ……」


 カウンターから出てきたマスターが手に持っていたのは競馬の騎手が持っている鞭だ。それを素振りすると空気が切り裂かれる鋭い音、鞭の先が床を叩き音という何とも恐ろしい物が鼓膜を震わす。


 「あの、それはちょっと洒落になってないんですけど……」


 俺は立ち上がり、マスターを見ながら以前テレビ番組でやっていた気がする『熊と遭遇したときの対処法』を思い出しながらゆっくりと後ずさりする。


 「つべこべ言わず早く四つん這いになりたまえ。文字通りその小生意気な性格と小汚い尻を叩きつぶしてやる」


 いやちょっと上手いこと言ってるじゃん、駄洒落言ってるじゃん。とは口が裂けても言えない。代わりに俺は別の意味で鞭が似合いそうな人物の方向を見てから。


 「ムウマさんちょっと助けてもらえませんか? このままじゃ俺本当にマスターの所有物にされそうなんで」


 俺がそう言うとムウマはどんな男でも吸い寄せやれそうな分厚い下唇に人差し指を添えあざとく小首を傾げる。


 「うーん、でも私マスターのわんちゃんになってる多田さんもちょっと見たいかもぉ」


 そう言ってムウマは先程注文していたビールを飲み干し、ジョッキから滴る小麦色の雫を指ですくい、長い舌先で舐め取る。くそっ! 俺が知っている悪魔の中ではまともな方だと思ってたのに! この淫乱身体女っ!


 頼みの綱であるムウマに断られ今一度マスターの方を向けば嗜虐的な笑みを浮かべ、ペチペチと鞭を手のひらで叩きながら向かってきている。前言撤回だ。こんな物が俺の日常なら絶対に戻りたくない。


 成す術のないこの状況。出来る事と言えば神に助けを求めるだけだ。


 神様、俺は貴方を信じます。今後絶対にクソッタレだなんて言いません、思いません。ですから助けて下さ――



 「――ふふっ神に助けを求めようだなんて全く釣れない男だよ。なぁ? 崇?」


 後数センチで鞭が届く範囲まで迫っていたその時、店の扉が勢いよく開けられ安物のベルが大きな音を立てた。


 「誰だ? 悪いが今立て込んでいるんだが」


 マスターの足が止まり、視線は俺から扉へと移る。開放された扉からは月明かりが差し込み、その人物の影を照らす。


 年増もいかない体格に獣、もっと詳しく言えば狼に近い尻尾と耳、それに散々聞き続けてきたこのクールぶって格好つけた口調。間違いない、あいつだ。


 「誰だ?……やれやれ、悪名高いここの店主ともあろう者がこの僕を知らないだなんてね。教えてやるよ。僕は堕天使の末裔、禁忌の血統を受け継ぐ者、そして崇と契約を交わし彼の使い魔になった存在、その名も――」


 「……泪、お前どうしてこんなところに?」


 「ちょっと崇!? 今決め台詞言う所だから邪魔しないで!?」


 何時も通りもったいぶって話すのもだから展開を進めようと俺が彼女の名前を呟くと怒られてしまった。泪はムスっとした表情で俺を睨みつけた後、咳払いを一つしてから。


 「……マルコシアス・泪・アセンシオ、助けに着たよ、君を悪魔の魔の手から」


 仕切り直して決め台詞を言い終えた泪は満更でもないような笑みを浮かべ黒光りのジャケットに両手を突っ込んだ。


 「で、なんでお前がここに居るんだ?」


 泪が満足したようなのでもう一度聞いてみることにする。すると何が不服なのかは分からないがジト目で俺を見据えた後やれやれと言わんばかりに肩を透かす。


 「さっきも言っただろ? 君を救いにきたって。それだけの話さ。それに僕達は契約で結ばれているんだ。君の居場所なんて簡単に分かるよ」


 「お前、さては俺が帰るときこっそり付いてきてたんだろ? つかその契約も失敗してるからな?」


 「…………その話はまた後で。問題は今、どうやってこの状況を切り抜けるかだろ?」


 なんだか上手くはぐらかされた気がするが泪の言うとおり、今はマスターから逃げなくてはいけない。正直こいつが着たところで何も意味が無いのだが。


 俺が何か良いアイデアが無いか考えていると、突然の登場に面を食らっていたマスターが通常運転に戻り、不敵な笑みで泪を見る。


 マスターとは初対面の泪はその笑みの正体が掴めておらず、嘲笑されていると勘違いしたのだろう少し口元を下げる。そんな中久しぶりに俺の嫌な予感レーダーが反応を示した。


 そうだ、俺は知っている。マスターのこの顔は物事を全て見通し勝利を確信している時に見せる表情なのだ。


 辺りの空気が段々とピり付き始め、嫌な予感レーダーの揺れ幅も大きくなっていく。俺が手のひらから滲み出てきた汗をズボンで拭ったその時、マスターは瞳を閉じてほくそ笑んだ。


 そして。


 「マルコシアスか。昔はよく遊んでやったものだよ……確かこれくらい小さい犬だったかな?」


 マスターが小さな両手で輪を作り表したのはソフトボールが一個入るか入らない位の大きさだ。それを見た泪は体に電流でも走ったかのように肩を大きく震わせた。


 「……泪? 話とは違うよな? マルコシアスってのは神に使えてた偉い天使なんだよな?」


 「え? ああ、うん。そうさ神の忠犬として働き、裏切られた悲壮の天使でだね――」


 「んんぅ……泪ちゃん?」


 泪はの額から変な汗を垂らし、しどろもどろに弁解を始める。そんな時、依然カウンターで酒を飲んでいたムウマが何故か彼女の名前を言って此方の方に興味を示してきた。


 「わぁ! やっぱり泪ちゃんだぁ! 久しぶり、大きくなったねぇ!」


 酔っ払い特有の千鳥足で胸に実った大きな二つの果実を揺らしながら近づいてきたムウマは泪の頭にポンポンと手を置き喜んでいる。世の男性なら普通喜ぶであろうこのシチュエーションの中、彼女の顔からはサーと血の気が引いていく。


 「ムウマさんこいつと知り合いなんですか?」


 まるで懐かしの再開を果たしたように喜ぶムウマさんに俺の嫌な予感レーダーはビンビンになり堪らず聞いてみることにする。


 「うん、そうだよぉ。私の実家のお隣さんの子供なの。懐かしいなぁ、狼男のお父さん元気にしてる?」


 ムチムチボディでぎゅっと泪を抱きしめながらそう言うムウマ。俺はほんわかしながらも衝撃的な一言に唖然とし身体を硬直させることしか出来なかった。


 「お、お前っ! 堕天使だって、禁忌の末裔だって……っ!!」


 「……すまない崇、今仲間から救難信号を受け取ってねそちらに向かわなきゃあいけないことになった。今度会った時にはお茶でもしようじゃないか。僕が救ったこの世界でね」


 そう言った後ぎこちない半目ウィンクをしたクソ馬鹿泪は抱きつくムウマを払いのけ一目散に扉へと逃げていく。


 「てめっ! 待てこのクソガキィイイイ!!!」


 当然逃がす筈もなく、そしてマスターからの調教を回避する為前方で上下に揺れ動く尻尾を俺も追いかけることにした。


 「あーあ、行っちゃった。もっと泪ちゃんとお話したかったんだけどなぁ……それにしてもあの二人何処で仲良くなったんだろう? 多田さんも何時もと違ってはしゃいでたし」


 「……何処で仲良くなったかは知らんがお互い惹かれあう所があったんだろう。あの小娘も多田君もまだまだヒヨッコなんだよ」


 「ヒヨッコ?」


 「そうだ。果ての無い空を見上げながら羽をバタつかせているまだ毛も生え揃っていないヒヨッコさ」


 泪を追いかけ店から飛び出す際にムウマとマスターがそんな会話をしているのが聞こえてきた。


 ヒヨッコなんて呼ばれればきっと以前の俺なら頭に来ていただろう。しかし今の俺にはそんな感情は湧いてこない。


 ヒヨッコは確かにまだ空を飛べない。飛び続けることの難しさも、思っていたより空は狭く退屈な場所だともまだ知らないのだ。


 だが、それでいい。知らないからこそ想像を膨らませて楽しむことが出来る。どんな馬鹿げた事でも想像する分には問題ないし、その想像をどうやって現実化しようと考えを練っておけばいざ実際に飛ぶことになっても案外その通りになるものなのだ。例え百パーセントの結果が出なくてもそれなりの結果は出せる。俺は今回の脱走劇から、そして泪からその事を学んだ気がした。


 BARの扉を抜け外に出ると辺りは薄っすらと明るくなっており、姿が見えない小鳥達がまだ見ぬ朝日に賛美歌を歌っていた。俺はその歌を聴きながら必死こいて理想と限界を奔走する嘘つき狼少女の後を追うことにした。

これにてプリズン&マルコシアス編完結になります! 次回は肝試し編の際、多田君がミカと約束した『例の事』を実行します!しかし当然の事ながら普通に終わるはずがなく、その裏ではある人物達による『多田 崇暗殺計画』が遂行されようとしていて……。

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