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契約の口付け

 「た、たたた崇っ!? 君は本気で言ってるのかいっ!?」


 声を某甲高く鳴く鳥の玩具のように上擦らせる泪。そんな彼女を俺はただ黙って見つめる。


 人生を歩んでいく中で人は誰だって一度や二度嘘をつく物だ。嘘の種類も様々あり詐欺や悪徳商法なんて言う犯罪行為から恋人、友人の為を思ってつく『優しさゆえの嘘』と字面から見ればなんとも体の良い嘘もある。


 しかしこれら大抵の事は結局の所バレるものなのだ。所詮嘘というのは口から出た虚なのだから実在する真実を証拠として突き立てればそんなものは簡単に消し飛ばすことが出来る。


 今俺が行なおうとしているのも同じで実際に泪と唇を合わせれば堕天使の能力で人間界に帰ることが出来ると言う事を証明する為の至ってシンプルな行為である。


 もし泪が今までベラベラと長く語っていた事が本当だった場合俺はこのまま人間界へ帰ることが出来る。そして嘘だった場合でも何か別の方法を探せばいいしこのクソ馬鹿を一発ぶん殴れば多少気は晴れる。俺にとってはどちらに転ぼうがあまり損はしない。


 だが。


 「…………う、うぅ、恥ずかしいよぅ」


 堪らず泪は俺から目を逸らして伏せてしまう。ウェーブがかった長い睫毛が薄っすらと風で揺れた気がした。そんな彼女に何処かしら変な愛おしさが芽生え始め俺も目線を泪から離してしまった。


 先程俺にとってあまり損は無いと言った。しかしそれは結果だけの話で問題はその過程、キスをすると言うある種の恥じらいを乗り越えないといけない。


 それは泪も同じこと、いや、それ以上だろう。恋人という関係ではない、ましてや出会って間もない俺なんて奴と唇を重ねるだなんてのはお年頃の彼女には耐え難い苦痛だ。


 それに加え寿命の件等幾つもの枷が設けられており、俺は中々行動を取ることが出来ない。くそっ! 軽く脅してやれば簡単に自供すると思ったのに心底頑固者だなお前はっ!


 「…………分かった。君の思いは良く伝わったよ」


 俺が土壇場で留まってしまった中、俯いていた泪がそうポツリと呟き口火を切る。


 「僕の寿命も、この穢れた漆黒の身体も君に捧げるよ。君になら全部託せる」


 「ちょっと待て! お前本気で言ってるのか!?」


 俺から言ったにも関わらず思わず声を荒げてしまった。無様な慌て様を晒してしまった俺に対して泪はクスリと笑って。


 「大丈夫だよ、僕はもう決心したんだ。僕達二人なら、いいや、君が居るのならきっとこの先どんな試練も困難も乗り越えられる。そう思わないかい?」


 全くもってそうは思えないのだが加速していく心臓の鼓動を落ち着かせるのに精一杯の俺にはツッコミを入れる余裕もなく、彼女から見れば世界一情けない呆け面をして黙りこくるだけだ。


 「さぁ、これで契約の準備は完了さ、後は実印を押すだけ…………掠れないようしっかり、ね?」


 そう言った泪は俺の顔を数秒眺めた後、ゆっくりと瞼を閉じ大人びるよう、少しでも俺に近づくよう背伸びをして唇を俺に差し出す。


 キュピ男に追いかけられ、死ぬ気で走りもう限界だった筈の心臓と肺が世話しなく音を立て動き回り一つの大きな渦を発生させる。頭の中にあった正しい行いだとか倫理観と言った物はその渦に飲み込まれグルグルと回転しながら中心部へと吸い込まれていく感覚がする。


 俺の考えはどうやら外れていたようで泪の言っていた事は全て真実だったようだ。嘘だった場合適当な理由を付けて断るに決まっているだろう。それにここまでの行動、言動、仕草全てが演技だとは普段の彼女を知っている俺には到底思えない。


 泪は正真正銘覚悟を決めたのだ。たとえそれが自らの寿命を縮ませる事であっても、小さく幼い胸のうちに秘めているであろう輝きも全て腹に括ったのだ。


 ならば俺だって彼女に応えるしかない。例えば人間界に戻って泪と一緒に暮らす羽目になっても俺の周りに馬鹿悪魔が一匹増えただけで特段問題は無い。それに減ってしまった寿命の分、泪を幸せにする義務がある。


 これでリスクは全て排除することができ、後はキスをして人間界に帰るだけになった。ここまでの道のりを考えれば少々味気ない終わりにはなったが逆にこれまでの道のりがあったからこそ最後は簡単に終わった方がいいのだ。


 これでいい、これがいい。そう自分に言い聞かせ意思を固めていく。眼前に映っているのは契約の口付けを待っている可愛らしい獣耳少女。色の薄い唇が朱肉を付けた印を押されるのを待っている。


 俺は彼女の両肩に乗せていた腕をゆっくりと下げて背中と腰に回した。少し力を入れてしまえば壊れそうなほど繊細で華奢な身体を大事に、丁寧にこちらに寄せる。お互いの身体が密着しそうな程近距離まで寄せたところで彼女も俺の胴体に腕を絡めてきた。


 日はほとんど落ち、何千年も前から人々を見守り、導いてきた一番星が姿を現し何時もの様に自分の立ち居地で俺達二人を眺めている。そんな中一等星よりも輝きを見せる泪の唇に俺もまた導かれていく。


 


 ――これで全部が終わる。そして戻れるんだ。また、俺のいつもの日常に。




 「…………見つけたぞ、この蛆虫が」


 後数ミリ単位で契約が完了する所で俺の耳には怒りが凝固しドス黒く固まったような声が突き刺さる。この威厳のある声圧とお決まりのキャッチフレーズは今この瞬間最も出会いたくなかった人物に違いない。


 「崇、契約は一先ず保留にすべきだろうね。どうやら嗅ぎ付けてきたようだ。ここの施設の忠実なる狂犬がね……」


 泪がするりと俺から離れ前方にいるであろう敵を睨み付ける。俺も少し遅れたタイピングでその人物を捉えた。


 そこにいたのは空を彩る星々に負けない程煌く禿頭を持っているこの施設最強のクソ蛆虫教官だった。

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