間一髪
この逃走が始まって一番の爆発と爆風が施設内を轟音と共に走り抜ける。
先程まで分厚い壁だったその場所にはぽっかりと大きな穴が開き、外からの光が差し込んでいる様はまるでこれから天使が迎えに来て天国へ運んでくれるような穏やかな光だ。
…………まぁ俺達は死んでないし、そもそもここは地獄なんだけどな。
「……あっぶねぇ」
キュピ男が放った閃光弾が動けなくなっているビリーに襲い掛かる中、俺の身体は何故だか自然と彼を助けていた。身を覆いかぶさり限界まで地面に突っ伏したことで間一髪寸での所で回避することが出来たのだ。
くそっ! 俺は何をやってるんだ!? 自分の平穏を第一優先に考えるべき筈の状況で何でビリーを助けに行った!? 間一髪とか思ったけど髪の毛の先焦げてるんですけど。チリチリ言ってるんですけど!
俺は路上を横切り車に轢かれそうな猫が居ても身を挺して助けに行くような絵に描いた善人でもなければ、その現場に居合わせギャーギャー叫ぶような野次馬でもない。ただ何事もなかったように黙って道を通り歩く人間なのだ。
そりゃあ俺だって人間の心は持ち合わせている。轢かれた猫を思い悲しむことも、猫を庇った善人のことも尊敬出来る。しかしだ、普通の人生を目標に生きている俺には自分の命を犠牲にしてまで他人を救おうとは思えないのだ。
それなのに、本当何をしてるんだ俺は!
「た、崇ぃ…………!」
自らが取った行動に頭がパニック状態に陥る。そんな俺に抱きかかえられたビリーは子猫の様なつぶらな瞳に涙を溜めながら俺の名前を小さく叫んだ。おい、漫画でありそうなか弱いヒロイン見たいな顔でこっち見るのやめろよ。
「ほら、立てよビリー。このまま黙って寝転がってても殺されるだけだぞ」
「お、おう……」
そんな顔で此方を見られるのも嫌になったので俺は先に立ち上がりビリーに手を差し伸べる。
戸惑いながらもそれを握った彼はゆっくりと立ち上がって何処か恥ずかしそうに頬を掻いた。だからそれ止めろって言ってるだろうが。次は絶対助けないぞ?
ビリーの照れ顔などこれ以上見たくはないので彼から顔を逸らす。すると今度はぽっかりと口を開けて表情が固まっている泪が目に入った。ったく、どいつもこいつも何なんだよ。
「どうしたんだよお前まで。教官の時みたいにまたビビって動けなくなったのか?」
「い、いやそうじゃなくって、えっと……えっとぉ」
泪も頭の中の整理がついておらず、目を左右に泳がせながら言葉を探すも見つからない様子。まぁ彼女の気持ちも分かる。先程ビリーの事を置いていこうとした人間が急に助けに入ったんだからな。
人間緊張したり、混乱、パニックに陥ってしまえば平常ならこなせるパフォーマンスも出来なくなってしまう。
サッカーのPK何かが良い例だろう。一流の選手でもプレッシャーがかかり混乱してしまえば僅か十一メートル程の距離でもシュートを外してしまうのだ。
スポーツでもそれだけの心理状況に陥るのだから今命をかけている俺達、しかも一流とは程遠い凡人と馬鹿二人にはビリーを助けた理由なんて考えている余地はない。キュピ男から逃げることだけに集中するべく、まずは深呼吸をして落ち着かねば……。
「んんんんんん!!!!! 」
しかし、息一つつく間もなくキュピ男が声にならない唸りを上げ第二攻撃を仕掛けようとしてくる。そうとなれば今やらなくてはいけない事はただ一つだ。
「いいか泪、ビリー。俺が合図したら一斉にあの穴から逃げるぞ。いいな?」
俺は依然戸惑う二人に作戦の指示を送り逃げるベストなタイミングを掴むべく、キュピ男が閃光弾を放つ瞬間を待つ。
普通で目立たないことを信条にしてきた俺が指揮を執る。しかも命をかけた状況でだなんて普段の俺からすれば絶対に嫌がるだろう。いや、それ以前に想像も出来ないんだと思う。
しかし、これだけ嫌で危機的状況下の中、何故だか俺は不思議と楽しく感じていた。これはアドレナリンが分泌されている所為か。泪の言葉に感化された所為か。はたまた大人になるに連れて消えていった『何か』が再び蘇ってきているのかは分からないが。
「崇、君って奴はつくづく僕を驚かせてくれるね……いいよ、手綱は君に預けた。だけどこのマルコシアスを簡単に手懐けたとは思わない方がいい。いつ主人に噛み付くか分からないからね」
そう言って泪は平素通りのクール面を作り、ニヒルな笑みを浮かべる。
「お前本当に噛み付いたりしたらすぐ置いてくからな…………ビリーは大丈夫か?」
この馬鹿が何か変なことをすればすぐ転ばして置いていくことにしてビリーにも一応確認を取ることにする。しかし彼は聞こえていないのか返答が帰ってこない。
「おいビリー聞いてんの?」
「あ、お、おぅ。聞いてるよぉ」
再度ビリーに声をかけると曖昧な返事で返された。またビビッて小便でも漏らしそうなのか? それは勘弁願いたいのだが。
「お前本当に大丈夫なのかって……ビリー?」
小便を漏らしそうか否かは冗談半分だとして本当に大丈夫なのかもう一度ビリーに確認を取ろうと思い声をかけた。しかし俺の声は彼には届いておらず、何時になく真剣な表情のビリーは目の前にいる筋骨隆々なキュピ男を見据えていた。
「…………さぁ、ここがお前達の死に場所だぁっ!!!」
ビリーの不自然な様子に気をとられているとキュピ男は両手に特大の閃光弾を作り終えていた。ひとまずビリーの件は後にして意識を全て集中させ、逃げるタイミングを図る。
辺りには緊張の渦が発生し俺達を取り巻く。じんわりと嫌な汗が額から滲み出てくるがそれを拭い去る余裕と時間はない。
その汗が額から頬に伝い、頬から顎まで流れ落ちる。極限まで膨れ上がった緊張に辛抱ならず今にも声を上げて逃げ出したい所だがここは自慢の理性で耐える。耐えろよ、俺。
全身に踏ん張りをきかせギリギリまで耐えていると無駄に力んでしまった所為か身体がブルブルと震えてくる。その振動で顎まで到達していた汗が一滴の雫に成り吸い込まれるように地面に落下していった。
――そして。
「今だっ!!! 走れっ!!!」
ピチョン、と雫が跳ね返った瞬間。俺は大声で合図を送り破壊によって生み出された穴に向かって思い切り走り抜けた。外から差し込んでくる優しくて穏やかな光。その先に待っているであろう普通の日常にまた戻るために。