『梨奈は見た』 その2
「さて。これ以上は、覗くのは止めようかな」
マッキーさんは二人から視線を外して、立てかけているメニュー表を掴みとり、徐に開いて目を通し始めた。
気を使ったのか、それとも興味が無くなったのか。
私はもう少し見たいなと思いつつ、確かにこれ以上盗み見することに罪悪感を感じないこともなかった。
ネタ方向に走るなら、石にかじりついてでも目に焼き付けようと思ったんだけど、二人の惚気シーン(特にメグだが)を見るとそう思ってしまった。
「何か追加で頼む?」
「いえ。私は大丈夫です」
「そう」
マッキーさんは「よっ」っと叩くようにベルを鳴らしたあと、やって来た店員にメニュー表を眺めながら、注文していた。
私は冷めたコーヒーに口をつける。
当然、美味しくない。
ぬるくなった変に苦い味が広がり、長く舌に残る。
でもそれ以上に、何かが欠けたようなそんな物足りなさを覚えながら、水面に揺れる自分を眺める。
何だろうこの感じ。
「リナちゃんって好きな人いるの?」
「ンッ!」
コーヒーを噴き出しそうになり何とか堪えて飲み込むことで、事なきを得た。
本日二回目。
タイミングが悪くて困る。
両者ともに狙っていないから困る。
「急に何ですか?」
「ごめん。ごめん。さっきの二人を見ていると、ふとそんなこと思っちゃって。それに折角の機会だし」
片手を顔の前にもってきて謝り、ちょっぴり笑みを見せる。
やっぱり思い付きだった。
「もう。いませんよ」
笑みを見せながら、正直に答えた。
私にはそんな人はいない。
「そうなんだ。じゃあ気になる人とかいないの?」
結局ほぼ同じ質問だと思いつつも、少し考えてはみる。
気になる人、そんな人ね。
ぼんやりと頭の中で描こうとするが、全く形にならずただ真っ白だった。
「いないですね」
「えー。そうなんだ」
ムムッと眉間をピクピクっと震わせながら、じーっと見つめてくる。
私を観察したって、何も出てこないのに、何を探しているのかな。
「じゃあ。同じ部活の先輩の耕次君とかは?」
「ん?」
はたまた妙な人物を提案してきた。
身長二メートルを超える人間離れした肉体を持った私の部活の先輩。
見た目は男らしく逞しく頼もしいが、それに反して結構涙もろい。
特に感動系の事柄には涙腺が緩い。
男性としては頼りになるとは思うんだけどね。
「んー? 人としての性格や男らしさな所がいいし、先輩としてはいい人ですけど、恋人関係とか考えると違う気がしますね」
「確かに。私もいい人だとは思うんだけど、そこから先がね」
マッキーさんは口元に手を置いてフムフムと二・三回頷いた。
「じゃあ澤本君は……。違うかな?」
「はい。そうですね」
察しがいいマッキーさん。
別に嫌いではないし、面白い人だと思うけど、間違いなく私とは釣り合わない。
それに先輩のノリについていけない。
確固たる世界を作っているから、私にそこまでの応対する能力がない上に、理解しようとする気もない。
面白い人で飽きない人。それまで。
たぶん釣り合いそうなのはエリ先輩だけだと思う。
「私も彼と付き合うには覚悟と度胸がいるから、色々渋ってしまうね」
「同意はしますけど、妙に具体的な心情を言いますね」
「そこはかなりオブラートに包んでいると言ってほしい」
「それ本心は辛辣だと言っているじゃないですか」
「そうだけどね」
ニヒッと笑うマッキーさん。
何となく私と似たような考えなのは分かった。
いや私よりもっと重い評価を下しているかもしれない。それはそれで面白いけど。
ちょっぴり苦笑する。
そんな姿を見て再度笑うマッキーさんは、左手人差し指をスッと立てる。
「じゃあ。カゲル君は?」
何となく話の流れから来るとは予想していたが、ぱっと出てこなかった。
彼のことをどう思っているか。
「ンー? どうでしょう?」
「というと?」
そこから先の答えが出てこなかった。
何故だろう。
迷っているのかな。
そんなはずはない。
カゲルは地味でパッとしなくて理論的で、それにたまにドジしたりと不器用な人。
決して評価がいいとは思わない。
それにルックスもスタイルも平凡の域をでない上に、魅力があるかと問われても無いと答えるのが自然である。
大ちゃんの不器用は可愛らしいと思うけど、彼の不器用は心配になる。
好印象にあたるポイントがほぼない。
けど、何故だろう。
最近彼に視線が向く回数が増えているのは。
すぐに違うと言いたいのに、違うと言えないこの心のモヤモヤする気持ちは一体何?
「ムフフフフ」
マッキーさんが頬骨を上げて、無駄に顔を赤くしてニヤニヤし、生暖かい視線を浴びせて来た。
気づいた私はカーッと熱が込みあがり、顔が火照ってしまう。
「違いますから」
そっぽを向いて誤魔化すがもう手遅れなことに気が付く。
向かいの熱い眼差しが、今はとても痛く感じる。
「いいんじゃない」
「違いますから」
「でも気が付かないうちに、意識していることもあるから」
「ム」
不覚だった。
こんなことで私が動揺してしまうとは。
これでは先輩に弱みを握られてしまったのではないか。
「まあ。ゆっくり考えればいいから」
マッキーさんの上から目線の言葉に虫唾が走りつつも「貴重なお言葉ありがとうございます」と嫌み十分な言葉を送る。
マッキーさんは気にも留めなかった。
「あ!」
沈んでいる私の耳に、何か思いついた様な声が聞こえて、その声の主に振り返る。
「あ」
私たちの席の真横に立つひょろっとした身長の青年と視線がぶつかった。
「あ。リナ」
「ダイちゃ」
「あああああああああ!」
彼の名前を呼び終わる前に、背後から鬼気迫る叫び声が聞こえてくる。
その主はメグだった。
「リナ! え? あとマッキーさん?」
二人の顔を何度も交互に見た後、きつく目を細める。
「えっと? 何でここにいるの?」
普通の質問が飛んできて、普通に困る。
「メグと大ちゃんをつけて来た!」なんて言えるはずがない。
だからと言って「たまたまここにいた」なんて信じるはずがない。
とはいって他に言える理由なんてパッと思いつかない。
本来、二人から視線を外すつもりなんて無かったから、こんな不意打ちになるなんて予想していなかったし。
ああ。時間かけすぎると、メグの疑念が深まってしまう。
どうしよう。
「あー。私とリナが丁度ばったり目の前の通りで遭遇して、ここに偶然入っただけだから」
さらっとマッキーさんが答える。
「ちょっとそれ絶対信じてもらえない」という思いを抱えつつ静観する。
「あ、そうなんだ! それは奇遇ですね」
大ちゃんがポンと手を叩きながら、何も違和感がなく答えたことにより、この場にいた私を含めた三人共に目をパチクリとした後、丸くした。
三人の驚きを全く知らない大ちゃんはそのまま話を続ける。
「どうしたのですか?」
「いや。特に。奇遇ですね」
マッキーさんが敬語になった!?
「そうですね。折角ですから、こちらの席で一緒に飲みます?」
「ええ。ああ。そうですか。それなら」
「いや。ちょっと待って。待ったよ。大ちゃん。とりあえず一旦席に戻ろうか」
「え? ちょっと、ちょっと!」
大ちゃんはメグに首の根っこを掴まれ、ズルズルと引き摺られるように連れていかれた。
私とマッキーさんは茫然としながら二人を見送った。
その後口に手を翳しながら、徐に顔を近づけてきた。
「えっと。大介君って、天然?」
「いや。どっちかというと鈍感ですかね。ジャグリング以外はアレですし、特にコミュニケーション能力に至っては、慣れてないというかですね」
「いや。まあ。今回に至っては私たちにはいい方向に働いたからいいけど」
「それよりも、マッキーさんも何であんな分かり易い嘘を言ったんですか?」
「いや。私もあんまり思いつかなかったし、それにバッタリ会ったのは事実だし、何とかなるかなって」
「そうですけど、今回大ちゃんの珍プレーで事なきを得ましたけど、あー何か調子狂う」
こう。物凄く歯痒い。
私の盗み見がバレなかったことは良かったけど、何か振り回された感が半端ない。
何故か酷く疲労感が襲ってきた気がする。
気のせいだと思いたい。
「とりあえず。食べたら早急に出よか」
「そうですね」
実際メグには疑いの目を向けられてしまった上に、半分くらいは気づいているだろうと思うので、一時退散する判断に至った。
逃げる様にファミレスを出て、私とマッキーさんは降り注ぐ日差しを避ける様に小走りで進み、目の前のショッピングモールに飛び込み、中にあるシャレた大きな木の近くにある長椅子に座り、一呼吸を置いた。
「何か、妙に体力使ったね」
「そうですね」
真夏の暑さの影響も相まって、いつもより体が重く感じた。
「ちなみに聞くけどリナちゃんの中で大介君はどう思うの?」
「この状況でよく訊けますね。天然鈍感でメグの彼氏(仮)みたいな感じです」
「結局答えるんだ。リナちゃん面白い!」
急に人差し指で私の鼻先を突かれた。
少し仰け反りそうになってしまった。
今、マッキーさんのお気に入りの仲間入りに勝手にされた気がした。
悪くはないけどね。
「とりあえず。喉渇いたね」
「そうですね何か買ってこうか。奢るよ!」
「えええ。それは流石に悪いです」
「いいっていいって。元はと言えば、私が遭遇したばっかりに起きたことだし、先輩としてね。遠慮はいらないから」
「えー。分かりました。じゃあアイスコーヒーでお願いします」
「了解したよ!」
左手で軽く敬礼をするような仕草を見せて、駆ける様に人波に入っていった。
本当に元気な人だ。
カスミン部長と話している姿もそんな感じだったかな。
そんなこと思いつつフッと腕を上に大きく伸ばして体を解して力を抜く。
メグのデート尾行でこんなことになるとは思わなかった。
慣れないことをしたせいかな。
でも今日はどのみち暇だったから、良い時間つぶしできているからいいかも。
結果的にマッキーさんと仲良くなれたし、かなり恋バナが好きみたいだけど。
その上に私の部活との関わりはあの発表会一回だけだったのに、殆どの人の名前を憶えているのは純粋にすごいと思う。
もともと友達を作るのに苦労しない人なのかもしれない。
私には絶対無理かな。
私の中のマッキーさんの評価が大体決まってきたのだった。
ふと近くのエスカレータにぼんやりと目を向けた。
夏休みのせいか家族連れや中学・高校生くらいの集団が多い。
子供がエスカレーターの手すりに上ろうとして注意する母親とか、ワイワイと賑やかに友達同士で話す姿。
部活が止められている私にとってちょっぴり羨ましく思える光景だ。
その人たちに少し嫉妬しながらも、眺めていたら、ある場所でピタッと視線を動かすのを止めた。
いや止めざるを負えなかったと言うべきだったでしょう。
私の注目はある二人に引き寄せられていった。
私は即座に立ち上がり、その二人組を追いかけるために柄もなく走り出していた。
流れる人波を縫うように走り抜けて、エスカレータを駆け上がっていき、そして上の階に到達する。
だが、さっきの二人組の姿は消えていた。
心がギュッと締め付けられるような苦しさを覚えた。
何でこんなに心が痛いのだろう。
私とは友達だけど、それ以下でもそれ以上でもないのに、何でこうも胸が苦しくなるんだろう。
友達が何をしていようともいいはずなのに、何でこんなに悔しんだろう。
私は信じられなかった。
いや。信じたくなかった。
だってそんな素振りなんて無かったはず。
でも私は確かに見た。
カスミン部長とカゲルが手を繋いで仲睦まじく話をしている姿を……。




