『本番 僕』 その1
先輩達か騒いでいた。
来ているはずの客が全然いないことに動揺していた。
僕も同じく動揺していた。
発表会とは沢山のお客さんが来ている状態と思っていたから。
けど、その動揺は先輩程大きくもなく、長く引き摺ることは無かった。
何故なら、客が少ないことにホッとしていたからだと思う。
ジャグリング初心者の僕は、まだ満足にできる程の演技は完成していない。
正直こんな中途半端な演技を見せるのに引け目を感じていた。
だから無神経なことを思ってしまった。
他のみんなはわからない。その事実を知って、モチベーションは上がらないみたいだ。
僕もモチベーションは上がらない。
「よし。てるやん。背中を向けて」
不穏な空気を変えるために、カスミン先輩が喝を入れることにした。
だがアヤメ先輩が即座に、カスミン先輩の上げた右手をガシッと掴んだ。
「ちょっと待って、その役は私がやる」
「え。なんで?」
「カスミンがやると気絶者が続出するよ!」
「あ!」
そうだった。
カスミン先輩の力は人智を超えそうな勢いだったな。
一人も犠牲者が出なかったので良かった。代わりにアヤメ先輩が気合の一発をみんなに入れていく。
「カゲル背中向けて」
「えっ!はい!」
背中にバチッという服と皮膚の衝撃音と共に、時間差でくる痛む背中に熱がこもる。
ただ不思議だ。ホッとしたのと合わせてリハーサルまでの緊張は消えていた。
同期の面々の表情を見る。緊張はしているが、落ち着いているリナ、背中をかなり気にしているメグ。
そして、自然体な大介。
開演数十秒前の頃の現状だった。
開演と同時に暗転する舞台。
カスミン先輩のナレーションが流れる。
そしてその後出て行くアヤメ先輩とてるやん先輩に耕次先輩。
舞台が明転すると女王と執事による劇が始まった。
舞台袖に立つ大介の背中は何故かしっかりしていた。
三人の演技が終わり、大介は舞台の上に立っている。
お客さんの少なさ動揺している訳でもない。
君も僕と同類なんだ。
演技が始まり落ち着いて技をこなしていく。
切れ味はいつもと比べて良くはない。けど落とすこともなかった。
気がつくと最後まで落とすことなく、演技を終えた。
少ない客席からポロッと拍手が聞こえた。
大介は手で胸を撫で下ろしながら、舞台から降りてきた。
すっきりとはいかなかったが、安心した感じだった。
待機していた三人とアイコンタクトする。
何かを伝えてはくれたと思うが、わからなかった。
けど「頑張れ」と言ってくれた気がした。
次のリナがステージに立つ。
立った瞬間の、お客の少なさに動揺の色をみせながらも、リナは練習の成果を出そうと、真剣な瞳でリングを見つめながら演技をする。
リナもミスを何度かしたが、うまくまとめフィニッシュは綺麗に決まった。
終わり際は、大介と同じホッとした表情だった。
すれ違い時に一言「やっぱり眩しいから気を付けて」と。
軽く頷いてからステージに向かった。
ステージに立ってから見る客席は、リハーサル時とほぼ変わらない。見知らぬ顔の人が数人いるだけ。
状況はあの時とほぼ同じだ。
ただ一つ違うのはあの時よりも練習はした。
妙に胸がすとんと落ちたように平常心でいられる。
リハーサルは慌てていたのにこの落ち着きは、人がほぼいないせいか。本番なのに。
ちょっとおかしいと思う。
けど今は自分の演技を成功することだけを考えよう。
ギュッと目を閉じて集中した。
曲のイントロが流れると、即座にボールを投げた。そのボールの軌道ははっきりと見えた。落下地点に手を伸ばしてしっかりと掴む。
曲が流れるタイミングとボールを投げるタイミングが分かる。
自然と体が動いた。練習していたときは全然だったのに。何でだろうな。
不思議な感覚だった。
時よりボールを落とした。でも落ち着いて拾い上げてすぐにルーティンに戻る。
気が付いたら演技は終わっていた。
パチパチと拍手が聞こえる。
僕はその少ないお客に向かって深々と礼をして、下手に退場した。
やり切ったとまではいかなかった。けど確かな感触。できたと思える感触はしっかりと僕の手の平にあった。
その手をしっかりと握りしめる。
舞台袖でメグとすれ違う。
「なんか。できたみたいだね」
メグが妙に口を尖らせていた。
何で、そんな難しい顔をしているのかは分からなかった。
「ああ。できたみたいだ。メグも頑張ってな」
「う、うん」
歯切れが悪かった。何をそんなに難しい顔をと安易に思っていた。
僕は首を捻りながら、メグの後姿を眺めていた。
メグはステージに立って演技を始めるが、何かぎこちなかった。足がおぼつかず、腕の動きもガチガチになっていた。
技は何とか成功している。
だが、メグに笑顔は無かった。必死に歯を食いしばっていた。
何をそんなに焦っていたのだろう。
僕にはその違和感が分からなかった。
理解できないまま、メグはディアボロを落とした。
大きく転がり、ステージの下まで転がっていた。急いで取りに行くメグ。
横で「早く、早く」と舞台袖で小声を出す。
メグは拾って舞台に戻ってきて投げ上げるがキャッチし損ねる。
それにより、大幅な時間ロスをしてしまった。ルーティンの6割ほどしか演技ができなかった。
終わったあと肩をぐったり落として、メグは帰ってきた。
僕はメグに声をかけることが出来なかった。
悔しかったのか。いや悔しいに違いない。
練習したのに本番で成果を発揮できなかったのだから。
メグが控室に入っていく直前に、耕次先輩がポンポンと肩を叩いた。
「ようやった。大丈夫だ。あとは任せろ」
メグは立ち止まった。
全身をプルプル振るわせていた。
俯きながらも、メグは力なく頷いた。
「ありがとうございます」
そう一言残して、彼女は控室に入っていった。
「お前ら良かったぞ」
てるやん先輩がフラワースティックを肩に構えながら奥から出てきた。
「良かったよ。あとは先輩たちに任せて、何とかするから」
「控室で少し休んできたら」
部長と副部長が拍手を送ってくれた。
直球で褒められることもなかった僕は、少しだけ照れてしまった。
大介は慣れているのかいつも通りだし、リナは何か落ち着かなそうである。
そんなリナにさっと耳元で囁くアヤメ先輩。
「メグにも良かったと伝えておいて」
リナは、はっとしたように顔を上げ、まっすぐに控室に入っていった。
「二人も、しばらくは休んでいいよ」
アヤメ先輩は念を押して言ってくれた。
大介は素直に従って控室に戻っていった。僕もつられて戻ろうとした。
でも控室のドアノブに手をかける直前に、動きを止めた。
奥から最後に出てきたエリ先輩が笑っていなかったことだった。
本番前になって緊張するのも分かるし、集中している場合は笑っていないのは普通なのだが、それでもあのエリ先輩がみせた一瞬の表情に、僕は嫌な感覚を拭えなかった。
夜行バスの中で夜行バスに乗り遅れる夢を見る。タイムリーすぎる(笑)




