『本番 私』 その1
私は校舎の廊下をスキップしながら歩く。
一階のロビーで足を止める。
横には掲示板があった。
数々のクラブのポスターがあり、ざっと見まわした後、ピタッと目が留まった。私たちの舞台のポスターが貼られていた。
フフッと自然と顔に笑みがこぼれる。
今日は本番。
私の夢にまで見た舞台。
よしっとガッツポーズを作った。
再び向き直り、前に歩き始める瞬間に、何か似通ったのを見た気がする。
それが何だったのか。
私は全く気にすることはなかった。
空は曇天、地面を叩きつける雨粒、視界不良。だけど私の心は晴れ晴れとしていた。
例え矢が降ろうと槍が降ろうと剣が降ろうとも、私は一歩もひるまずに前に進んだ。傘から鳴る雨音も明るい音楽に聞こえる。
ホール前に到着すると、てるやんと耕ちゃんがわっせとわっせと、私の身長ほどの大きさの看板を運んでいた。
「よし! これで行けるな。」
よっこらしょっと言いながら、ホールの入口に置いた。
「お疲れ! ありがとう!」
「お。カスミン! 今日はいつになく元気だな。お前はずっと舞台に憧れていたもんな」
改めてそのことを言われると少し恥ずかしくもなる。
「そうか。お前が俺らを誘ってから、もう一年近くか」
耕ちゃんが少々感慨深く腕を組む。
「お。泣くのか。号泣屋」
てるやんが耕ちゃんの脇腹を肘で突っつく。
ちょっとむず痒い顔をしつつ、「それは本番終わるまで取っておく。」と、タフに答えた。私も同感である。
「カスミイイイン! 今日も元気かな」
後ろを振り返るとリングを抱えながら、エリが傘もなしで大雨の中を爆走してきた。あっという間に私の横を通り過ぎ、飛び上がったあとに前宙したと思ったら……。
「耕ちゃん覚悟!」
全力の飛び蹴りを耕ちゃんのお腹に向かって繰り出した。だが耕ちゃんはしっかりと両手でピタッと止めたのであった。
「流石だね耕ちゃん」
「エリ。テンションが高いからって、俺に向かってそんな危なっかしい蹴りをするな。他の人なら最低でも気絶レベルだぞ」
「そんなこと知っているから耕ちゃんにしたんだよ。いやあ流石の安定感だよ。これで私も本番に全力で迎えられるよ」
相変わらずの光景だ。エリはいろんな意味で吹っ飛んでいるから、少々怖い時もあるけど、この雰囲気なら特に問題なさそう。
リハーサルの時に感じた三人の違和感は消えていた。
「せんぱーい!」
今度は明るく若い声が聞こえた。奥の道から四つの傘の集団を見つけた。
一番前で大きく手を振っているのは、メグだった。
その横にリナ、後ろにカゲルと大ちゃんが話をしながら来ている。というか大ちゃんの緊張をカゲルが背中を叩いて、何とかしている感じだ。
「お疲れ」
「お疲れ様です! 皆さん元気ですね」
「そりゃもう。本番だからのう」
「当然だ」
「私は今全力でメグにハグしたい気持ちだよ」
「それは全力でお断りします」
すかさずエリに向かって手を広げて止める。ムウっとわざとらしくエリは口を膨らます。隣にいるリナは、何故か顔を背けて必死に笑いを堪えている。
「何なら、リナにもしようか」
「お断りします」
さっきの笑い顔が嘘のように変わり、真顔で断った。
「うー。やっぱり緊張します」
「ここまで来て何言ってんだしっかりしろ。それよりまたあの三人組の攻撃をくらいたいか」
「ああああー。それだけわああ」
瞬時に三人の目線が大ちゃんに集まった。大ちゃんは速攻でカゲルの後ろに隠れる。
リナはまた笑い。メグは何故か不服そうに大ちゃんを睨みつけている。
「全く。本番前だというのに、緊張感の無いこと」
一年生の最後尾からアーヤがゆっくりと現れる。相変わらずの呆れ顔での登場だ。
「天気は最悪なのにね」
「俺らに天気など関係ない」
「そうだ」
「天気ってあるものだっけ」
「先輩たちは天気を超越するみたいですね」
「色々ぶっ飛んでいます」
「そんなメンタルに成れたら、僕もここまでビクビクしなくていいんだけど」
「大ちゃん成れたらではなくてなるでしょ」
「ヤレヤレ」
この会話を聞く限り緊張なんてものはなかった。
「まあ。いっちょ頑張っていきましょうか!」
「おー!」
私は大きく声を上げて、みんな呼応するように大声を上げた。
控え室で着替えを済ませる。茶色の放浪人の様なマントを身に纏う。自分の道具の数を数えしっかりと確認する。
何度もボールを握りかえし感触を確かめる。
手が変に血液の流れを感じる。
けどそれすらいい感触として私は還元する。
控室を出ると皆各々に待機していた。
道具をジッと見つめたり。目を瞑っていたり。
歓談したりと、気持ちは様々だ。
でもみんな流石に時間が近づくと、何とも言えない張り詰めた空気が漂い始めた。
「俺ちょっと観客席を覗いてくる」
そう言っててるやんが舞台袖に向かった。
珍しい。でもそうかここにいるみんな本番なんて初めてだから。
「緊張で、あえてバレないように出ていったのかな」
「もう照れ屋さんなんだから」
アヤメとエリがクスクス笑う。
そんないつもどおりの光景だった。
この瞬間まではそうだと思っていた。いつもの光景だと思っていた。
てるやんがいつもと違う暗い表情をして、扉を開けてくるその時まで。
「おい。ちょっと大変だ。今すぐ来てくれ」
てるやんの焦った声に、全員が一斉に舞台袖に向かった。そして袖の幕の隙間から、観客席をのぞき見た。
私に見えたものはリハーサルの時とほぼ変わらない、ガランとした静かな客席だった。
最初は、何に驚いたか分からなかった。
けど気付いた時には、今の状態が異常であることを理解した。
時間が間違っているのかなと時計を確認するが、もう開場時間がとっくに過ぎており、開演時間もあと五分に迫っていった。
ほとんどいなかった。
ゼロでは無かった。何人かは座っていた。
女性が隣の席に二人と、男性が別々の席に二人しかいなかった。
でも何故ここまで人がいないのか。ビラは配れているはず。ポスターも宣伝もした。それなのになぜ。
私は控室に駆け込み、スマートフォンを取り出すと受付にいるはずのマッキーに連絡する。
「マッキー!」
「カスミン!」
「そっちどうなっている。お客さん来ている?」
すぐには返答がなかった。電話の奥から、何かをつぶやいているのか、ボソボソと音が聞こえた。力強くスマホを握り締め、マッキーの答えを待った。
「あー。うん。大丈夫だから。カスミンは本番で最高の演技をしてきて」
プツっと接続が切れる音が虚しく響いた。
私はスマホを耳に当てたまま、数秒ほど固まってしまった。
今、とてつもなく入場口に行って状況を確認したい衝動に駆られる。でも舞台に出る演者に、しかも部長の私が今この場を抜けることは良くない。
ギュッと拳を握り、衝動を抑え、私の今いるべき立場を認識する。
「カスミンさん。どうですか」
振り返ると、後輩の女の子二人が不安な表情で見つめていた。
私は沈んでいた体を無理矢理に奮起させて、歩き二人の肩をポンと叩いた。
「大丈夫。マッキーがお客さんは来ているから大丈夫と言っているから、そんな不安な顔はしないで、練習どおりにすればいいから。それにそんな顔したらダメだよ。折角の可愛い顔が台無しじゃない。ほらにっこり笑う」
ニッと私は笑顔を見せると、後輩二人も何とか笑顔を作ってくれた。
私が戻るとみんなの空気は重くなっていた。
けど今することは一つ。この本番をやり遂げることである。だから部長である私がくじけることはあってはいけない。
何故このような状況になった理由は後で考えたらいい。
「とりあえず。開演時間通りに始めます。それに来てくれているお客さんはいるし、またその後にもお客さんは来ます。その人たちのためにも私たちは舞台に立ちましょう」
とは言ったものの、みんな士気がそう簡単に上がる感じではなかった。
それもそうだ。お客がどれだけ来るか期待していたはずなのに、二桁にものっていない状態だから。
「よし。てるやん。背中を向けて」
こうなったら気合に入れるために、私は喝を入れることにした。
だがアーヤが即座に、私が胸の高さまで上げた右手をガシッと掴んだ。
「ちょっと待って、その役は私がやる」
「え。なんで?」
「カスミンがやると気絶者が続出するよ!」
「あ!」
自分の力の具合を忘れていた。一人も犠牲者が出なかったので良かった。代わりにアーヤが気合の一発をみんなに入れていった。
みんなそれぞれに痛そうな背中をさすっている。
けど、最初に比べて顔色は良くなった。これで何とかなるだろう。
時計を見ると、開演時間残り一分になっていた。
私は笑顔のままでみんなを急かせた。
「さあ。早く舞台袖に行って準備して」
みんな矢継ぎ早に舞台袖に向かった。その背中を見ながら私は胸を押さえた。やはり鼓動は早くなっていた。
私は胸を握り締めるように掴み、静かに呼吸を整えた。
不安を募らせながらも、準備を始めた。
バッティングセンターでノリで140キロに挑戦。インコースの球をグリップにひっかけ、両手に大ダメージ。 痛かった(泣)




