『ステージ練習後の夜』 その1
舞台の上に立つと何か世界が変わる。
そう思った。
いつもの練習と違う。空気も違う。お客がいない状況でもその違いをハッキリ分かる。
じゃあ客がいたらどうだろう。大介のあの気持ちも安易に捉えることはできない。
ステージ練習が始まってからというもの、僕は人生初めての緊張に悩まされている。
バミリが終わったあと、まさかの自分の演技を通してくれと言われた。
練習は一生懸命やってきた。けどまだ自信が無い。
「はい。じゃあ次カゲル!」
奥からアヤメ先輩の声が聞こえ、僕はステージに上がった。
「ぬはー」
近くの定食屋で盛大な溜息を吐いて、テーブルに顎をのせる。
「溜息吐かないで。こっちも気分がブルーになる」
「落ち込むって。成功した数より失敗した数の方が多かったんだから」
「気持ちは分からなくもないけど、私も自分の演技に自信がなくなって……。くう……」
対するメグもテーブルに顔が落ちていき、唇を強く噛みしめる。
「そんな葬式みたいな顔しない。私たちお客に感動を与える演者がそんな顔してどうするの」
「リナ。人は目の前の出来事に一喜一憂するものだよ」
顎を乗せて「ううー」と唸るメグ。
「そういうリナは大丈夫か?」
自信あるリングジャグラーを恨めしそうに見つめる僕。
「大丈夫。私はそこまでメンタル弱くないから」
「私に電話でメグーと泣きついてきたのに」
「メーグー!!」
表面は微笑み、裏は怒りを滲ませながらメグのわき腹をピンポイントで掴みかかりにいった。
隙だらけのメグはクリティカルヒットし、笑い声と悲鳴と悶絶が混ざり合った悲しい叫び声となって散っていった。
その後の光景は見るもではないと咄嗟に判断し、隣の大介に視線を向けるが。
「ハハハハハ」
こっちは確実に魂が抜けている。
いつもは消極的に悲観的になりながらも、演技をする瞬間には別人になって切れ味のある演技をするのだが、今回のステージ練習ではそうなることができなかった。
だから今、顔をあげて放心状態になっている。
「だーいーすーけー」
「あー。僕なんて肝心な所で何もできない屑だよ」
もう肌の血色が薄れて白くなっているように見える。
かける言葉が見つからない。
『はーい。レバニラに唐揚げだよ! って何この状況?』
明るくやってきた店員が一瞬にして一歩退がりたくなるこの状況。
女性陣は座敷でじゃれあい、廃人と、テーブルに顎を乗せて悲しむ男の姿。
当然の反応だけど何故かノリがいいのは気のせいかなと、店員の姿を一瞥してみると……。
「榊原さん!?」
ひっくりかえってしまった声に、一年生一同は注目した。
「真希乃さん!」
「なんで」
「ここにいるのですか」
文を一つ一つ繋ぎながら驚いた僕らに、割烹着姿で両手にお盆を持ちながら、ウインクする榊原さん。
「私ね。ここでバイトしているから。でも明日と明後日は休みにしているから、君たちの演技をしっかりと見るから!」
『……ハアアアアア』
四人のシンクロ溜息。もう今年最大の落ち込み。しかも四人分。明るい食堂のはずなのに、この一帯だけ暗黒のドームができた。
「え。ごめんごめんごめんごめん。え。どうしたの? えっと。そう! なんなら私持ちで奢るからさ。元気出して。 ね!」
顔が右往左往している。あんな明るい人がここまで取り乱すと、かなり面白い動きするのだなと興味がわくが、絶望を超すわけではない。
さらっと聞き流しかけたが、今注文した食べ物を奢ってくれるみたいだ。けどそれで気分が晴れるわけがない。ステージ練習が絶望的に終わった僕らには慰めにすらならない。
だから無理に奢る必要などないから気にしなくても……。
「本当ですか!ありがとうございます!」
(元気出すのかよ! メグ!)
立ち上がって深々と頭を下げるディアボラーのメグである。
悪びれる雰囲気が無いメグに僕ら三人は空いた口が塞がらなかった。
「ほら。三人も礼を言う」
突然のフリに、僕らの方が右往左往させられた。ほんの数秒にどれだけの余計な動きをしたのだろうか。
「榊原さん本当にありがとうございます!」
感謝と戸惑いと罪悪感が混じり合ったお礼だった。
『ごちそうさまでした!』
お店の主人に挨拶した後、僕らは店を出た。
ごはん代は本当に全部榊原さんが奢ってくれた。しかも複雑な顔をするわけでなく、満面の笑みで奢ってくれた。
恐縮の一言に尽きる。
だってまだ会ってから一日も経っていないというのに。
罪悪感だけしか残らなかった。
クーラーの効いた部屋から外に出るとムワッとした熱気で気分が害され、梅雨明けの湿気の多さで更に体に嫌悪感と疲労感がのり、絶望感が上乗りされ最悪な気分だ。
「ふうー。食った食った」
一人だけ満足そうにお腹をさする。
「メグはもう少し遠慮というのを覚えなさい!」
「いいじゃん。こんな状況だから、貰えるものは貰っておかないと……ね」
末尾を言いきる前に、彼女の表情に陰が落ち始め、歩きを止めた。
さすっていた手を下に伸ばし、ギュッと握りこぶしを作る。
「明日リハーサル、明後日本番。それで今日の結果、誤魔化し切れるわけないじゃん」
俯きながら震える腕を逆手で抑えるメグ。
「うう。こんな状態であと一日ちょっとで間に合うかどうか」
頭を抱え始め、壁にもたれかかりうずくまる大介。
「まあ。今回はかなりダメージ受けるよね」
暗い雰囲気とずっしりとした空気。このままボロボロのまま本番を迎えるのか、練習はしているつもりだが、今回は傷心するレベルだ。
「それに、自分のルーティンだけでもこれなのに、サイレント演技もしないといけない。いやでもあれはノリでいいか」
メグの言葉でさらに重くなる。
そう今回はジャグリング演技だけのオムニバス形式ではなくストーリーの中にジャグリングの演技を混ぜるという、何か高度そうなのをすることになっている。
この形式にも名前があったのだが、覚えていない。
その中のサイレント演技というのが、セリフがない演劇と言えばいい。
セリフがないのはいいのだが、体のジェスチャーだけで表現しないといけない。
ジェスチャーだったらできるかなと思ったが、これがかなりの曲者で、素人に毛が生えたような演技しかできない僕らには全然観客に伝わってないみたいらしい。
演劇の榊原さんからダメ出しの嵐だった。
「もう最悪サイレント演技は捨てていいんじゃない。だってメインの演技がこんなガタガタだからさあ」
「そうだな」
リナの言葉に同意する。
技術はアレだから全力で伝える努力さえすれば何とかなると思う。
「ああー。もう仕方ない。みんな道具持っている?」
三人の目の前に駆け出したメグは自分の道具を取り出して天高く掲げる。
「持っているけど?」
「持ってるが?」
「うん?」
三人そろって首を傾げる。
「今から朝まで練習! それで寝泊りはカゲルの家!」
「……」
今から練習かそうだな。結局はしないとまずいしそれでしか落ち着けないし、その手段しか……。
いやちょっと待て今さっき……。
「朝まで? ぼ、僕の家?」
「そう! 異論は認めん!」
ビシッと指さして固まるメグ。アルファ空間に意識が飛んでいく。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、またゲリラで僕の家使うのかよ」
「なんかまずいの?」
「いや、そうではないけど、掃除ができていない」
今、絶賛豚小屋状態。特にイベント練習し始めてから家事がかなり疎かになっている。
「ふーん。それだけ?」
「それだけって?」
「別に?」
何を疑っている? リナは心の奥にある疑念を敢えてチラつかせる癖がある。
あと微妙に距離を態と詰めてくる。
「なんだよ。あ、もしかして如何わしい本でも期待してるのか」
「あ、バレた」
「マジか」
適当に言って当たると思っていなかった。
拍子抜けと同時に、そんなことであんなに楽しそうに疑っていたのか。
女性は分からない。
「今から練習するのか。それしかないんだけど、僕は舞台に立つときの緊張がね」
一人だけ問題点が違う。僕ら三人は初心者だから練習不足なのはわかる。だが大介は本番の度胸だ。
「それも今日の晩にするの!」
意識が戻ってきたメグは大介に詰め寄る。転びそうになる大介はぎりぎりで踏ん張る。
びくびくと子犬のように震えている大介に対してメグの瞳はキラキラしている。
何だこの状況。
「一つ忠告するが僕の家、今悲惨な状況だぞ。それでもいいのか」
「いいよ! でも掃除して!」
「結局かよ!」
とまあ相変わらず突然の決行であった。
それしか方法はないんだけど。
最近雨が多いですね。
遅くなってすみません。
ちょっとペースが不定期になりますが何とか頑張ります。




