『私の家に来た後輩』 その3
そして完食したあと。
テーブルの上には湯呑に入った緑茶が三つ置かれていた。
私とアーヤは横に並んで座って、テーブルを挟んで向かい側にリナが座っている。
リナは両手で湯呑を持ち、静かにお茶を一口飲んだあと、コトンと正面に湯呑を置いて、両手を膝に添えて落ち着く。
リナは視線を下に向けたまま、静かに口を開いた。
「正直、しんどいです」
私達は大きな反応はせずに、静かにその言葉を受け止める。
「でも、先輩たちの家に来て、あんなドタバタ劇があったあとで、こんな暗い話したくはないですけど」
視線をゆっくり持ち上げて、私たちに視線を合わせた。
だがすぐに面を下げる。
「自分がジャグリングを続けていける自信がないですし、実際全然うまくなっている気がしていないですし、それに……」
一度言葉を切ったあと、唇を内側に引き絞りながら、目線をゆっくり右から左に半弧をなぞる様に動かしたあと、話を続ける。
「メグが元気になってやる気に満ちていくたびに、私がメグとの距離が離れていくような気がして、それが怖くなってきまして……」
さっと髪が顔の上半分を覆うくらいに俯く。
実際にメグはここ最近になって、いや発表会の発表の後になって、バリバリ練習するようになって、出来る技も増えてき、成長が著しい。
一方リナは練習しているが、あまり伸びしろが見えてきていないことに、少しずつ不安を重ねていたみたい。
でも私はそれに気がつくことができていなかった。
この場を用意しようと提案したのは、日頃部員観察をしているアーヤだった。
今日、部活を休んだ事を知った時に、私に言付けしてくれた。
私から連絡をとったら、意外とすんなりと返答してくれた。
未だに俯いている彼女に私はどう言えばいいのかわからない。ただ今練習頑張ってというのも場違いだし、今はゆっくり考えてというのも、違うし。
結局私の頭の中では言葉をまとめられない。
アーヤは胸の前に腕を組んで、じっとリナを見つめる。
「だからって辞めたら、もっとメグが離れてしまうよ」
私の曖昧で陳腐な考えが一瞬にして消え去った。
アーヤは回りくどいことは言わない、いつだって核心を突いて話す。
リナは俯いたまま、動かない。
組んでいた腕を解いて、テーブルの上にスッと手を置いて、リナ側に姿勢を傾ける。
「ちょっときついことを言うかもしれないけど、メグが離れるかもしれないと、そう思っているなら、尚一層練習していかないと、もっと離れてしまうよそれでもいいの?」
「よくないです!」
強く体が震え、激しく声を荒げて、言葉をぶつける。
必死に顔を上げて、大きく開かれた瞳は真っ赤に染まっていた。
今にも崩れそうな表情を必死に堪えている。
「そんなこと、そんなこと言われても、練習しても上達している実感がほとんど感じられない状態で、続けられる気がしないです」
「でもそこで、諦めたら全て終わり」
「そんなこと、そんなことわかっていますよ」
リナの肩が小刻みに震えている。
アーヤは目の前の湯呑を持ち上げ一口お茶を飲んで、元の位置に戻す。
「それにそんな悩むことでもないけどね。メグがリナから離れていくと思えないんだけど」
『えっ?』
リナと私が同時に思わず声を上げてしまう。
今度はアーヤがキョトンとする。
「ちょっと待って、今の流れでなんでそういった展開になるの」
アーヤの目の前に手を出す。
観察者としているつもりだったけど、話が一転したせいで、強制介入することにした。
「え、なんでって?」
依然キョトンとしている副部長。
「だってそうじゃない。リナはメグの上達が早すぎて、リナからは手の届かない存在になってしまうのではないかって思っているのでしょ。なんで離れていくと思わない解釈になるの?」
「それってあくまでリナ側からの見解であって、メグ側からの見解じゃないよ」
「ん?」
今疑問符が私の周りの空間いっぱいに出現した。
リナも真剣な表情なんてとうに消えて、唖然とした顔になっている。
「えっ。ちょ。ど、ど、どういうこ、ことですか」
呂律が回らにないほど混乱している。
二人がここまで慌てているのに、アーヤは全く動じずに、落ち着いてお茶を飲んでいる。
「要は考え方の違い」
『考え方の違い?』
一緒にハモリながら首を傾ける。
アーヤは湯呑の中が空っぽになったことを確認したあとテーブルに戻し、私とリナを両方見れるように体を傾けて、肩肘を付けて答える。
「だから、リナと長年の付き合いのメグからしたら、リナから離れたいと思わないでしょ。それにむしろ、そういった悩みを話して欲しいと待っているはず」
私は今日のメグの行動を思い出す。
練習には打ち込んでいたけど、時よりボーッと考えていたり、どうも落ち着きがなくそわそわしたりとか、リナがいないことに不安を感じていたし気になっていたのは間違いない。
「それは、そうだと思いますけど」
リナは当然納得はできていない。
「要は難しく考えすぎ。もっと楽に考えて。あなたが考えている程、メグは離れないって。たぶん……。」
「たぶん?」
ブーブーブー。
どこからかバイブル音が鳴る。
さっと私はスマホを確認するが、私のは鳴っていない。
アーヤはニーっとリナを見つめる。
後輩はポケットからスマホを取り出して、画面を開くと大きく目を見開いた。
「メグどうしたの?」
『リナ。今何しているの? ラインにも返事しないから、めちゃくちゃ心配したよ。もう何かあったら言ってよ。ジャグリングの練習が一人でできないなら私が一緒に付き合うから、リナがいないと練習すらできないよ。リナぁ、クラブに戻ってきてよ』
「メグ!」
スマホをギュッと握り締め、満面の笑顔とそして、涙で潤した瞳が光る。
「うううっ」
『ちょっとどうしたの泣いてるの?』
「ううん何でもない。メグ今から家に行ってもいい?」
『ええ! う、うん。リナなら、いつでもいいよ!』
「ありがとう!」
さっと立ち上がり、リナはカーペットの上にあるバックを持つ。
リナは私たち二人の正面に立ち、ペコリと頭を下げた。
「アヤメさん。カスミンさんありがとうございます。私行ってきます」
『いってらっしゃい』
元気よく送り出してあげた。
リナの後ろ姿は気分揚々と踊っているように見えた。
お客様は帰り、今は家主の二人だけになった部屋。
二杯目のお茶を飲んでいる相方に、私は今どんな眼差しをむけているのだろうか。
「どうしたのカスミン?」
「いや。アヤメはメグからの電話を予想していたわけ?」
私の一番の疑問に、アーヤは手を挙げて「そんなまさか」とあっさりと否定した。
「じゃあ、なんで?」
追求をしてみるが、アーヤはうーんと少し考えたあと、これまた簡潔に答えるのであった。
「女の勘かな」
内心、いくらなんでも無理があると、女だけどそんな勘などない私が本気のツッコミを考えもしたが、敢えて言わないことにした。その代わり。
「アヤメって絶対彼氏作る条件厳しそう」
「何その全く根拠のない予想は、あと妙に傷つくんだけど」
「いいじゃない。どっちも彼氏いないんだから」
「うっ。まあ。そうだけど」
アーヤはヤレヤレといつもの呆れた表情をしながら、「今日は疲れたからもう寝る」と言って部屋に戻っていった。
私は、相方の部屋の扉をじっと見つめた。
自然と部屋の扉に手を伸ばしていくが、届く寸前にピタッと止めて力なく腕を下ろした。
いつかこの扉を開ける時が来るだろうか。
そんな小さな不安を抱えつつ、私は部屋に戻った。




