『始める計画、終わらない火種』
「グギギギ」
午前6:00。
全身に汗をにじませながら、歯を食いしばる。
1回、2回と、回数を増やしていく。
いつも使っていない筋肉だから、すごく悲鳴を上げている。それでも必死に上体を起こして、また後ろに倒す。
18、19、20!
バタンと、背中から仰向けに倒れた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
腹筋20回、世の中ではそんなに大層なことではないのかもしれない。でも僕にとってはめちゃめちゃしんどい。
それもそうだ。
大学生になるまで、体育の授業以外で体を動かすことをほぼしなかった人間だ。
腹筋なんてそれこそ体力測定以外することなんてなかったから。
「よし。あと2セット」
ふんっと声を上げて続けた。
腹筋20回3セット、腕立て伏せ10回3セット、クランク4種類30秒を3セットを行った。
「はあー」
天井を仰ぎ見た。
皮膚が汗で滲み、体の熱さと空気の冷たさが混ざる。今は涼しさが心地よい。
ただ疲労を感じる。しんどい。あまりにも体を動かしていなかったせいだろう。ここまでしんどいとは思わなかった。
これを毎日続けるのかと考えると億劫になる。
「いや。頑張ると決めたんだ」
ふんと体を起こした。
勉強も筋トレもジャグリングも、姿勢も、まずそれだけでもやる。そのために昨日の晩の間に計画を立てた。
具体的にスケジュールを組んだ。
何をするか、時間帯を決めて、その時間帯はそのことだけに集中する。そうすることで迷う時間を減らすことにした。
ノートを開いて確認する。
今日は朝筋トレをして、朝食を食べたら1限目と2限目の授業を受ける。そして、空きコマ2つでジャグリング練習を行う。夜帰ったら勉強を行う予定である。
だから最初から躓くためにはいけない。
僕はその決意を胸に朝食の準備を始めた。
外に出ると寒さが肌を刺す。寒さが本格的になってきた。
思わず両腕を抱えてしまう。
だがその分空は澄んでいるように見える。より濃くなった青色に少しの灰色の丸い雲を散らして。
最近あんまり空なんて気にしていなかったけど、何故か今日は気にして見ている。
決意したせいなのか……。それは流石に気持ち悪いか。
いかんいかん。まだやり始めだ。今から頑張るんだ。
浮きそうな足に力を込めて、しっかりと踏みしめて1階に降りていった。
「あ」
「あ」
扉を開けて出ようとしている柿沢さんが立っていた。
「おはよう」
「お、おはよう」
急激に体の温度が上がる。
綺麗だと思う。彼女になってから本当に綺麗に見える。恥ずかしい話だが顔がにやけそうだ。でもいけない。しっかりした男になるべきだ。
とろけそうな顔を引き締める。
「今日は練習?」
「そう朝練! カゲルは?」
「授業」
「そう。じゃあ。一緒に」
「一緒に行かないか」
柿沢さんは、少し驚いたような顔を見せた。
僕も何故先に言ったのかは、正確に言語化はできない。ただ先に言うべきだと本能的に思ったのだと思う。
「いいよ。行こう」
今日の彼女の笑顔はいつもより華やかに見えた。
そんな楽しそうな2人の後ろ姿を複雑な心持で注視する人が、またいた。
別の人達ではあるが。
「あー。そろそろ禁断症状が出そうでござる。そうは思わないでござるか?」
「うるせえ。黙れ。機嫌が悪いんだ」
「奇遇だね。拙者もでござる」
「ふん。知るか。その腹の読めない上に、謎の時代劇の話し方、気持ち悪い。あの文化祭終わった時に見た時の察した表情も」
「勘がいいのも困るでござるよ」
「けっ」
顔を突き合わせる新木勇一と西条エリ。
なぜこの2人がいるのか、偶然1時限目の授業があり出てきたタイミングがほぼ一緒だったからだ。それであのカップルの姿を見たのも一緒だった。
そして。
「はあ。朝からいとこの惚気顔と、アイツの面を見るのは気分悪い上に、腹の読めない西条さんとか朝からついてねえ」
「一緒の部活の一員になったのに、その言い草は酷いでござる」
「うるせえ。半年間、上で近所迷惑をしていた野郎に仲良くできるか!!」
「およ。それはその。悪かったでござる」
西条エリが珍しく謝った。
「じゃあ。なぜうちに入ったのでござる?」
「……」
新木勇一は無言を貫く。
「だいたい察しはつくでござる」
「うるせえ。だから気持ち悪い。あー。なんでだろうな」
「それよりも、拙者のカゲルにいじる許可を」
「勝手にしろ。だが今の状況でしたら許さねえ」
「カゲルが嫌いじゃないでござるか?」
「あいつは嫌いだ。だがツバキのあの笑顔を邪魔したくねえ」
「拙者はめちゃくちゃ邪魔したいけどね。カゲルに彼女がいるのも含めて」
「だから邪魔はするな。するなら他のところでやれ」
「カゲルの家だと近所迷惑でござる」
「あーもう」
新木勇一のイライラが溜まっていく。
「だから、交渉でござる。カゲルをいじる時間をくれるでござる」
「別に部活の最中でもできるだろ」
「できなくもないでござるが、カスミンがいるでござる」
「あー。くそ」
新木勇一の顔がどんどん歪んでいく。
「あいつは嫌いだが、あいつの心情だけは少しわかった気がする」
「で、どうする旦那?」
「知るか!」
「ええ!? でござる!」
新木勇一は先に歩き始めると西条エリが慌てて追いかけるのであった。
僕は1時限と2時限目をいつも以上に集中して受けた。
だが、今まで疎かにしていた分、わからないことが多かったのは正直萎えそうにはなった。だがそれは自分が巻いた種だ。何とか追いつくためにあとで復習するしかないと思った
だがひとまずは休憩だ。
そう思って食堂でご飯を食べようとしているのだが、今は、この上なく酷い状況だった。
少なくとも休憩という言葉からは掛け離れていた。
「カゲル。そろそろ拙者にいじられるでござる」
「うっせー。黙れ」
「勇一、なんで邪魔ばっかするんだ」
「だから、それは悪かった席がなかったんだ。それとこいつがちょっかいかけそうだったから」
「こいつって酷いでござる」
およよ。と泣く姿を見せるエリ先輩。
「そこは説得するのがあんたでしょ。ってか何であんたがカゲルの部活に入部してんの!」
「それは、俺の勝手だろ! 誰から聞いた!?」
「今日の朝、カゲルから」
「ああ!? ん、あー」
新木さんの顔が歪んでいく。
「そっちがあんたの勝手なら、アタイとカゲルが付き合ってんのもアタイの勝手だろっつってんだろ」
「だから、わかったけど、こいつ止めねえといけねえんだよ!」
「ちょっと、ここ食堂で皆いるんですよ。静かにしてください!」
僕はバンッとテーブルを叩く。
すると食堂全体からひどい注目を浴びてしまった。
悪いのは僕かよ。
いや声出したのは僕だから悪いんだけど。
3人はムッとしたあと、自分の手元にあるご飯を食べ始める。
新木さんはたぬきうどん。ツバキはきつねうどん、エリ先輩はハンバーグ。
ちなみに僕は味噌カツ丼である。
いや……。まあ。悠長にランチの内容を説明する暇はないんだけど。
いつもいつもなんでこう面倒事に巻き込まれるのだろうか。
そこの親族2人は、知ってるからいいんだけど、何故にエリ先輩がいるのやら。
正直長くなるのだけは勘弁してほしい。
長くなる気しかしない……。
僕は今日の朝、昼ご飯も一緒に食べないかと誘って、この食堂で約束していただけだった。
約束して集合して席に座ったまでは良かった。
そのあと、席がないと言って、この2人が座ってきたのだ。
いや、まだそこまでは知り合いだしわかるんだけど、そこからね。
「勇一。折角のデートを邪魔しに来てなんなの?」
「だからそれは悪かった。席がなかったんだよ」
「じゃあ、外で食えよ」
「無茶言うな寒いわ」
「だから」
「永遠に終わんねえんだよ。おい西条さっさと離れるぞ」
「いやでごさる。カゲルをイジれないことに禁断症状がでそうでござる」
「アタイのカゲルに何をしようってんだ」
「だから、一旦静かにしてください。ここは公共の場なんですよ!」
ぎっと睨みつけたあと、静かになる3人。
なんでこうなるのだろう。エリ先輩はなんでそんなに僕をいじるのに拘るのだろうか?
何故だろうか?
エリ先輩の奇妙な強情さを、不審に思う僕であった。




