『苦情。アドバイス。』
その後、ツバキさんの一人舞台だった。
一応、僕も一曲だけ歌ったけど、結果は、察してほしい……。
それでも笑って応援してくれた彼女には、本当に感謝しかなかった。
帰り道。
「今日は楽しかったな」
「そうだね。僕も楽しかった」
夕日を見ながら、そう話す。
楽しかったのも、嘘ではない。
ただ彼女の歌に感動して、凄すぎて、本当に現実味がない。
その上、やっぱり思ってしまう。
自分が本当に彼女の横にいていいのかと。決心をしたはずなのに、不安が拭えない。
「カゲル?」
「えっ? ん? な、なに?」
「大丈夫か? ちょっとボーッとしてたが」
「大丈夫大丈夫。むしろこう……なんていうか、フワフワしていてさ、ツバキさんが、こんな素晴らしい人が彼女だなんて幸せだなと思ってて……」
「えっ。そ、そんなこと……。ないって、いや。その嬉しいじゃないか」
ツバキさんは、頬に手を当てて、視線を逃していた。
そして、自分が言った台詞にまた恥ずかしくなって目線をあさってに向ける僕。
コントをやっているみたいだ。
そこから行きと同じく、互いにフワフワとしたまま、アパートに帰った。
「そ、それじゃあまた」
「ま、またな」
互いに顔を合わせることなく、アパートの一階で解散した。そしてカンッカンッと鉄の高い音を鳴らしながら二階に上がり、そして自分の部屋の扉を開いた。
靴を脱いで、フワフワとした気持ちのまま、廊下を歩き引き戸を開く。
そして、台所のコップを取って水を注いで飲み干す。
まだフワフワする。
冷蔵庫にある炭酸を取り出して、コップに注ぎ一気に飲み干した。
「カゲル。俺らにも分けてくれ」
「わかりましたよ」
僕はコップを三つ取り出して、盆にのせて、それぞれに炭酸を入れる。
そしてリビングに向かいテーブルの上に置いて、みんなに分ける。
「おお! サンキュー」
「ありがたき幸せでござる」
「ありがとうっす」
三者三様の掛け声を聞きながら、僕は炭酸をもう一度飲み干した。
そして……。フワフワとしていた熱が冷めて、現実をはっきりと認識した。その上で、現れた焦燥と額に流れる冷や汗を感じながら、ドンとコップを置いて覚悟を決めた。
「色々突っ込みたいんですけど、もうある程度察しがいったので聞きます。どこから気づいていたのですか?」
てるやん先輩、エリ先輩、そしてカメケンの三人は目を見合わした。
「ん?」
「驚かないでござる?」
「散々やられてきましたら、慣れます」
「えー。それは面白くないでござる」
「カゲルの反応が面白かったのに」
僕の反応に、ジト目を送る先輩二人。そしてカメケンは静かに僕の肩を掴む。
「か、カメケン?」
僕の肩を掴みながら下を向いて、プルプルと震えだした。
そして、もう片方の手で空いている肩をぎゅっと掴まれた。
「え、えっと?」
「カゲルの裏切り者ー! 俺なんてまだカノジョなんてできていないのに、いつの間にあんな美人と知り合ったんだよー!」
「えええええええええ!?」
顔をしわくちゃくにして血涙を流しながら高速で僕の体をゆすってきた。
「ちょ、ちょつ、ちょっと、タンマ、タンマ、待って」
「そうだぞカゲル! 抜け駆けは許さ~ん!」
「先輩に一言もないとは寂しいでござる!」
先輩二人が飛び上がり、てるやん先輩が僕の脇をしっかりと捕縛し、エリ先輩が僕の靴下を脱がした。
「無限クズグリ」
「あっ、ちょっと、ふ、フハ、ハハハハハ」
足裏から伝わるこそばゆい感覚に耐えられそうにない。なんでそんな器用なことができるんだよ。
本当にどうにかなりそうだ。
「そろそろいい加減にしろ、うるさすぎるぞ! なにやってんだ……」
一瞬にして、空気が氷のように固まった。
僕ら四人は玄関の方に目を向けた。そこには僕の家の真下に住んでいる新木勇一さんが怒りと困惑が入り交じったまま、見下ろしていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
時が止まった様だった。
沈黙の間に、彼は目まぐるしく表情を変えた。約1分位の時間を使い状況を把握してから、最終的に腰に手を当てて盛大なため息をつく。
「はあ。お前って災難の渦中にいなきゃならない呪いでもうけたのか?」
怒りを通り越して呆られてしまった。
「えっと、高校卒業まで平凡な人生だったんですけど」
本当になんでこうなったんだろう。
「正座!」
「え?」
「お前ら全員、正座しろ!!」
『は、はいいいいいい!』
新木さんのものすごい剣幕に一同即座に正座をしたのであった。
そして長い長ーい説教を受けるのであった。
時間は少し遡り、こちらは大学のキャンパス内。
とある広場。
河川敷の予定だったのだけど、ふとここが空いているのではないかと気が付きここに来た。
ここは校内で唯一、事前の許可なしで練習ができる場所である。一応、他団体との譲り合いやマナーは必要だが、基本この場所なら自由にできる。
けど来たのは久しぶりである。何故かというと、自由だから人が多い。そしてジャグリングは場所を取る上に練習時は意外と危険であるから、人に当たるリスクを考えるとあんまり挑戦的な練習は厳しいからである。
だが今日は文化祭の次の日で休みだから、人は殆どいない。他団体の人たちは片付けをやっているか、休んでいるかのどっちかだ。
だから、今日は絶好の練習日和だ。
最近ジャグリングの練習が出来ていなかったから、しっかりやらないと。
バックからビーンバックボールを取り出す。
さてと、どの技をするか、できない技は結構ある。
まだファイブボールも安定していないし、ピルエットも不安だし、バッククロスもなんだかなあー。
覚えなければいけないことがたくさんある……。
一つに絞ろう。
二兎追うものは一兎も得ず。一つずつ着実にものにするべきだと思う。
どの技にしようか。
部屋ではできない技にしようか。
んー。ファイブボールかな。
ボールを右に3個、左に2個持ち、軽く見上げるように構えた。
右から交互に一つずつ素早く投げ上げる。
投げ上げたボール達はすぐに重力に捕まり、早くも落ちてくる。両手でボールを受け止めて、また空へ投げ返す。
「30、31、32、33、っと」
一つのボールが手からすり抜けると、同時にポロポロとボールが落ちていく。散らばったボールを拾い、また投げ上げる。
「31、32、33、34、っと」
一回伸びた。でもここくらいでいつも躓く。
これだとまだ人前で見せるには不十分だ。何か解決策があればいいのだが、いや数もこなせていないから、ひたすら投げ続けるか……。
いけないいけない。転がったボールを回収しないと。
散らばったボールを一つずつ回収していく。
(あれ。一つ足りない?)
手元には4個、あと一つの姿が見えない。キョロキョロと辺りを見回す。
「これはあなたのですか?」
振り返ると、見知らぬ金髪の男性が私のビーンバックを差し出していた。
「あ、ありがとうございます!」
男性からボールを受け取り、ペコリと頭を下げた。
「今日から練習ですか? 珍しいですね」
去ろうと思ったが、話しかけられた。ここで無視するのもちょっと悪い。そんな悪い人ではないと思う。ただ、あんまり変な感じなら、逃げる準備をしないと。
警戒を強めて話を続ける。
「そうですね。いつもは人が多いですから、むしろ今日だから来ました。あなたもですか?」
「そうです。今日は人が少ないですから」
男性は広場を一瞥する。
理由は同じか。
となると、昨日は忙しくなかったのかな。
「文化祭には参加してなかったのですか?」
「いや? むしろ忙しかった。本番が多くて大変だったっすよ」
「休まず練習ですか?」
「そうですね。とは言っても軽く体を動かすくらいかな」
だとしてもかなり意識が高いと思った。それくらい本気だと言うことか。
「あと、お節介かもしれないが、一つだけ聞いてくれませんか?」
何だろう。大丈夫だろうか。なんか変なこと言われるのではないか。警戒をますます強め、拳を背中の後ろに隠す。
「はい。何でしょう?」
「さっきの技、後半くらいかな、右肩に力が入って若干体が傾いていたから、右肩、いや両肩の力を抜く意識をするといいかもしれない。あとは、フォームを動画に撮ってみて確認するとより良くなるかも」
「えっ? あ、はい。わかりました」
アドバイスされた?
「それじゃ。練習頑張ってください」
そう言って、広場の端の方に走っていったのであった。
数秒止まってから、私は先ほどのアドバイスをメモした。そして一度心を落ち着かせるために、水分を補給した。
一体何者だったのか、大道芸経験者か、それとも運動部なのか。全くわからない。あと、今さらになって、あの男性をどこかで見た気がするような、しないような……。
しばらくの間、困惑する私であった。




