『カゲルとツバキと……。』
文化祭が終わって次の日。
一年メンバーは朝起きるなり、荷物をまとめて帰っていった。
疲労が溜まっていたのか、二言三言話しただけだった。
それもそうか。
一昨日、昨日と二日間の大学祭、疲れてない方がおかしい。僕も体が酷く重かった。
軽く部屋の掃除をして、二度目の睡眠に入ろうと思ったとき、スマホの電子音が鳴った。
「今日は何時ぐらいならいける?」
ツバキさんからのデートのお誘いだった。
忘れかけていた。
人生初の彼女ができて、デートを忘れかけていたとか、誰かに怒られるかもしれない。
疲れていた上に実感がないという言い訳でも、許してくれないかもしれない。
ただ正直に言わせてもらうと、本当に実感がない。
あれだけ歌に心奪われていてそれはないだろと、誰かに激怒されそうだけど、夢なんじゃないかと思ってしまっている。
「上手くいくときはサクサクと進む。そんなもん」と、昔、誰かが言っていたが、そう片付けられるほど、理解が早いわけではない。
湯船に浸かっているのに暖かさを感じない。そんな感覚だ。
でも彼女の誘いに応えない訳にはいかない。
「昼から大丈夫です。アパート前で合流してからどこかのファミレスで昼食にする流れでいいですか?」
「わかった。正午。12時にアパート前で」
返答を確認し、ホっと一息ついてから、画面を閉じる。
何に対しての安堵かは全くわからないが、肩の力がすっと抜けて、壁に貼りついた。
今日はツバキさんと付き合ってから初デートである。
「……」
恥ずかしい。顔が熱を帯びている。
今一度冷静になって考えてみて思う。本当に現実なのだろうか。
ほっぺをつねってみる。
痛い……。
えっとどうすればいいんだ?
とりあえず、遅刻は厳禁。
さっと頭を上げて、時計を確認する。
(10時18分)
あと約一時間半だけど、早めに行くべきだよな。こういうときは何分前集合だっけ? あととりあえず身だしなみは整えるべきだよな。服ってまともなのあったっけ。大丈夫だろうかっ、痛って!?
数分前まで睡眠欲はもう吹っ飛び、脚をぶつけるほどあたふたとするのであった。
そして時間は11時03分。
カンカンと鉄の階段を鳴らしながら降りると、もう彼女は立っていた。
慌てて腕時計を確認するが、間違っていなかった。
「お、おはよう」
「お、おはよう」
振り返った彼女に僕は脚を止めた。
毛先のはねっ気はなくなり、さらっとしたストレートヘア。デニムジャケットに黒のワイドパンツ。スニーカー。いつもの少しワイルドな雰囲気から清楚な雰囲気を纏った彼女に、僕は見惚れるしかなかった。
って、いかんいかん。
何とか正気を取り戻し、次の言葉を発した。
「今日は、いつもより、きれいですね」
「そ、そう」
ツバキさんは、そっと目を逸らした。
僕はカーっと熱くなった。
え、今自分はなんて言った?
「カゲルも、今日はカッコいい」
「!? そ、そ、そうですか」
少し頬を赤くしながら話す彼女の破壊力はすさまじく。
ちょっと、いや、そ、そ、そ、そ、そんなことあ、あるのか。
もう頭が茹でてまともな思考にならなくなっていた。
時は少し経ち。
(ええええ! だ、誰なのあの人)
私は道の角に隠れて、顔だけ出してその二人組を確認する。
昨日の決意を今日に実践し、ジャグリング練習をしようと近くの河川敷に向かおうとした途中に見かけてしまった光景。
一人は後輩のカゲル。そしてもう一人は全く見たことのない女性である。
どういう関係かはわからないけど、並んで歩いている姿を見てると、普通の関係ではないのは察しはいく。
(もしかして、大学祭中のカゲルの妙な感じってあの人のことなの?)
ふと閃いた思考、我ながら冴えてると思う。
「……」
それよりも、なんで私はこんなに焦っているのか。
別にカゲルが誰かと一緒にいたって私には関係ないはず。だからこんな風に隠れたりする必要はない。
ない……はずなのに。
もやもやした感情が形成される。
どうするべきか、ついていくべきか、ついていかないべきか。
いや、ついていかない方がいい。水を差すのも良くない。でも、やっぱり気になる。
うーん。と頭を抱える。
「あら、こんなところで何してるの?」
心臓が飛び出るくらいぎょっとしてから、振りかえるとフワッとしたラベンダーの香りとともに、見覚えのある人がニコッと微笑んでいた。
「はぁ。心臓に悪いんだけど」
「驚かすつもりはなかったけど、ごめんね」
私の恩人は片手を顔の前に出して、申し訳なさそうに謝る。
今は楠原小百合という名前を名乗っているらしい。
「それでカスミン。何をやってるの」
「あなたにその呼び名で呼ばれると違和感がすごいんだけと、まあ、ちょっと気になる人がいて」
「ほほう。恋でもしてるの?」
途端に顔の温度が急上昇する。
「ちっ、ちっがう!」
「発言からしてそれに近い内容だったけど」
「それは断固としてない!」
……はずだと思う。
「冗談だよ。最近、からかうの習慣化してたからつい癖で」
「えー! って、もう!」
にっこりと笑う生命体にイラっとする。
こうも振り回されてると、とても歯がゆい。
「で、どうしたい? カゲル君を追う? もう見えなくなりそうだけど」
気がつくとカゲルたちの姿は小さくなっていた。
「そっとしておいておくべきなんだけど、物凄く気になるのも事実だし」
「それはどういう感情?」
「それはなんというべきか、いや、どうなんだろう?」
質問を疑問形で返すほどよくわからなくなっている私に、ピクリとも表情を変えない楠原さん。
「一つ確認だけど、一応わかってる?」
「わかってるよ。今後のことと、私の寿命と、それに関する弊害も」
「それを加味しても、追いたい?」
「ンンンン」
たぶん。今、物凄く眉間に皺が寄っていると思う。
楠原さんの澄ました表情に苦みが垣間見える。
「それにあなた、ジャグリングの練習をするつもりだったんじゃないの?」
「なんで知ってるの!?」
「あら、当たったみたい」
「ッッッッ!!?」
つくづく弄ばれてる。何だか自信を失くしそうである。
だが相手はエリやアーヤと違って人間離れしている生命体。たぶんどうあがいても何一つ勝てないから色々と諦めるしかない。
「だったら、他人の動向にうつつを抜かすより、自分の本来やるべきことに真剣になったら? あなたの過去人生から考えたら、そこに興味を持つことは否定しない。けど、あなたの残された時間が少ない上に、いつ消えるかもしれない危うい橋の上にいる現状を理解しているのなら私は勧めない。でもそれでもというなら、止めもしないけど……」
「……。そうですよね」
そう。その通りだ。
こんなことをするために戻ってきた訳じゃない。
彼の動向が気になることは否定しない。でもそれ以上にやるべきことがある。
それを誰かに指摘されるまで気づかない私も、反省しないといけない。
「……。少しは落ち着いた?」
目をパチクリとした楠原さん。私は素直な言葉を述べる。
「落ち着いた。ありがとう」
「それはどうも」
「でも気になる」
ちらっとカゲル達に視線を向ける。
「答えてもいいけど」
「知ってるの?」
「さあ?」
「ッッ!?」
軽く見せる彼女の笑顔に、本日二度目の諦めを感じたのであった。




