『大学祭2日目!』その15
さっきまで助けようとした男性は黒服の横でぐったりと倒れていた。
黒服はケロッとした顔で首を回す。
「余計な体力を使わせやがって」
首を軽くさすり、空いた手で服についた埃を払った。そして僕の姿を見るとにやりと不気味な笑みを見せる。
「さてと。君をどうしようか」
その声一つで、僕はプルプルと寒気のような震えを覚える。冷たい目に、妙にきちっとした歩き方、そして揉みあった時の赤く滲んだ手の甲。
「どうします? そっちの方、傷ついているから、上手く写真とれば偽装できますよ」
純浦の言葉に反応することなく、黒服は僕の目の前に立った。
気がついたら僕の顔は右を向いていた。そして左頬が後から焼けるような熱がこもり、ひりひりと痛み始めた。
黒服の手が近くにあったのを確認して、ようやくはたかれたことに気がついた。
呆気にとられた僕は何も声を発することすらできなかった。黒服の顔を眺めるだけで精いっぱいだった。
「無言ですか。泣き叫ぶかと思ったのですが、見た目の割にタフなんですね」
彼の左手が、僕の右頬を歪ませた。
皮膚が弾ける音が空間に悲しく鳴り響き、右頬がじんじんと痛み始める。睨むことすらできない。ただただ自分の非力さを嘆くしかできない。
「つまらないですね。まあいいです」
疲れたのか、呆れたのか、興味が冷めたのか、黒服は背中を向けた。
「純浦。きちんと二人を縛っておけ、私は監視カメラを元に戻す」
「わかりました。合図は下さいよ」
「いつものだな」
「はい!」
純浦は喜んだ声をあげた。
僕はもう蚊帳の外だった。
掴まれた腕、抵抗もできずにそのまま倒れた彼の隣に連れていかれた。隣に座らせた後、純浦がロープを拾い上げ、僕の体を縛っていく。
隣の彼はうつぶせになったまま動かない。僕を必死に逃がそうとしてくれたのに……。僕は一緒に逃げようとか口上を並べて、結局僕が逃げられないって……。
愚かだ。
このまま、誰か来るのを願うのか。
惨めだ。
よくないよな。浮かれていたせいなのかな。彼女ができて浮かれていたせいか。部活の方に力を入れていなかったせいかな。いや……。
やっぱりそうか。
せめて、何か抵抗できる手段とかないのか。このまま、だったらせめて一発だけでも。
ぎゅっと拳を作ったその時。
「誰だ!」
黒服が叫びながら奥から出て来た。
焦燥に駆られた表情で、必死に辺りを探し回る。
何を言っているんだ。何を探しているんだ。他に誰かいるのか。話が見えてこない。
「おい。純浦退くぞ」
「えっ。どういうことですか」
「話する暇はない。急げ」
黒服が言いかけたあと、扉の方から足音が聞こえた。そしてドアがバンと開かれた。
一人は全く知らない女性。そして後ろからやってきたのはもう一人。カスミン部長だった。
「おやおや。会長殿どうしたのですか? 戦闘狂も連れてきて」
急激な黒服の人格変化に、さっきの黒服の焦燥は幻覚かという錯覚に陥る。
部長の眉間に皴が寄る。
「堂島君。これは一体どういうことですか」
黒髪の女性は僕らの姿を一瞥し、黒服と焼きそばのお兄さんを細く睨む。
「何って、あなたがやっけになって潰そうとした部活の相手ですよ。少々関係ない人が混じりましたけどね」
腕を大きくひろげる黒服。
「そうね。潰そうとしたのは否定しないわ。でも同じ部統会のメンバーに危害を加えることを許した覚えはない」
倒れた階下の男性を指さす。
「それはこいつが裏切ったからですよ」
「そう。なら」
女性はスマホを取り出した。そして画面が動き始まるや、黒服の表情がみるみる歪んでいく。
純浦もうっすら浮かべていた笑みが消えていく。
「これが出回ると流石にまずいですよね。今まで裏で色々動いていたけど、こっちに有利に働くので多目に見てましたが、今回は度が過ぎます。目に余ります。しばらく行動を控えて頂けますか」
「何故。こいつらの肩を持つんだ真田。あんたが潰そうとしたのを手助けしたんだぞ」
「だからと言って不必要に負傷者を増やすことは違います。暴力沙汰で学校に迷惑をかけるのはあなたもまずいのでは」
「……。仕方ないですね。純浦。引き上げるぞ」
「は、はい」
堂島は顔の歪めたまま、雑な足取りで倉庫から出ていった。そしてあと追うように純浦が走って出ていった。
結局何がどうなってどうなったんだ。
置いてけぼりになっていた僕は呆然としたままだった。
「カゲルゥゥ!」
カスミン部長が飛びついてきた。僕は成す術なくぎゅっと部長に抱き着かれた。
「めちゃくちゃ心配したんだから」
「ちょ、ちょっと、わ、わかりましたから、あの、その、なんというか」
向こうは気がついていないだろうけど、これはこれで心臓によくない……。
カスミン部長……。
「本当に呑気な奴だな。君は」
気がつくと「新木?」さんは、起き上がり、細いジトーッとした目を向けていた。
「ちょ、ちょ、君は大丈夫ですか」
「心配するな。かすり傷だ」
「でも倒れていましたよね」
「んなもの、ただの芝居だ。あんなに大袈裟に倒れるかって」
「えー。そうなんですか?」
全く違う方向から、力の抜けるような声が聞こえてきた。棚の裏からひょこっと特徴的なお団子頭を出して現れ、ひょこひょことした足取りで現れた。
目力を強くして彼は睨み付けると、金橋さんはひょいっと躱しながら黒髪の会長さんにむかって歩いていった。
「金橋さん。ご苦労でしたね」
「いやー。まさか、数谷君を尾行していたら、とんでもない状況を見つけましてね。で、何やらヤバそうなので撮っときました」
「その動画を私に送るって、あなたって本当に気ままね」
「だったらさっさと助けて下さい」
男性はムスッとした表情かつ、棒読みでジーっと金橋を睨む。
「そりゃ無理だよ。力はないんだから」
ブンブンと顔の目の前で手を振る。本当に力が抜けるような人だな。
でも待って、少し前に聞き逃せないワードが聞こえたんだけど。
「ちょっと待って下さい。金橋さん。また僕の後をつけていたんですか?」
「はい。そうですよ。と言っても大学祭の始まってから時々ですよ。全体的に君らの部活のメンバーを追っていましたけど、一番隙があった上に、全く気がつかないですし、何かと楽でしたし、楽しそうだったのでつけていました」
「え。えええー」
楽そうと隙が多いって。理由がひどすぎる。
「偶然ですよ。昼頃君が旧棟から出て来た時、ついでに私も昼ご飯取る予定だったので、ついつい」
片手間で追跡って、酷く心を殴られた気がする。
「だから、その隙を狙われたんだろ」
「あ、はい」
追撃してきた男性にさらにしゅんとさせられた僕。
するとカスミン部長が僕の前に立って手を広げる。
「みんな揃って隙があるって言わないで下さい。初めての大学祭で楽しんでいたはずです。そんな純粋な人の心の隙をつく、あなたたちの方が酷いです。数人がかりで一人の学生を弄んで、部活を統治する人がすることですか!」
三人は目を丸くし、沈黙したあと、男性は首の後ろに手を置き、目の前の女性は一つ深いため息を吐き、金橋さんは目をぱちぱちと二回瞬く。
「会長。この人たち、本当に教員と喧嘩した怖い人なんですか?」
「このなんというか……。なんだ、ああ、なんというか抜けているというか、純粋だというか」
金橋さんは不思議がり、男性はやるせないように肩を落とす。
部統会会長は、またもや一つのため息。
そっちがダメージを受けているようだけど、僕にもかなりの精神的ダメージを負っていることに気づいてほしい。
そんな僕の気持ちは置いていかれ、唐突にカスミン部長が立ち上がり、会長と向かい合った。
「このタイミングで言うのも、裏口への受付を通してくれたことと、この後に関するアドバイスには、感謝しています。ありがとうございます」
静かに頭を下げた。
「ただ一つ腑に落ちない点が、私たちがこの前したこと、多大なる迷惑をかけたことに関しては今でも申し訳なかったと思います。それであなたたちが私たち部活を良くないと思っていることも気づいていました。ですが、今回急に私たちを味方したのは何故ですか」
カスミン部長は面を上げて会長の返答をじっと待った。
会長は部長の顔を見るや否や、三度目のため息をついた。
「勘違いしてるようだけど、今回に関しては新たな問題が増えそうだったから、私が動いただけです。あなたたちがまた余計な騒動を起こしそうだったからしただけです。金橋もほぼ偶然でしたので。買い被らないでいただけないでくれませんか?」
きつく眼を飛ばす会長。
カスミン部長は何かを言おうと口を動かすが、言葉を発することができないでいた。
話の流れはいまいち理解できていない。この人が部活をどうしようが、男性の行動どうしようが金橋さんが何をしたかに関して、正直細かいことはわかっていない。その上、みんなの精神攻撃に僕のメンタルはズタズタになっている。
でも……一つだけは、やっぱり言っておかないといけないことだけはあった。
いくらメンタルがやられようが言わなければいけない。気づくのが遅かったのもあるけど。
「えっと、一ついいですか」
全員から否定の言葉がなかったので、僕は縄を解いて立ち上がった。
そしてぺこりと深く頭を下げた。
「会長さんにとっても、金橋さんにとってもついでだったかもしれません。でもお二方、そして部長、そして、えっと、新木さん」
男性がほんの軽く頷いたのを確認する。
「助けに来ていただき、ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました」
部長も一緒に頭を下げた。部長に対しても言ったつもりだったけど、その細かいところは置いておこう。
結局僕は何もできなかったし、不甲斐なかったし、迷惑をかけた。だからこれだけはしっかり言っておくしかない。これだけは……。
本当に不甲斐ないな。
「まあ。今回は大事にならなかった。ただそれだけです」
「私はそれなり面白かったからいいですよ」
「はあ。次から気をつけろよ」
三人の言葉を聞いて何故か安堵の息をついた。
「あと余計なお世話かもしれないけど、そろそろ行ったら? 公演が終わる頃のはずですから」
その会長の言葉は、僕は何のことだかさっぱりわからなかった。




