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オタマジャクシズ!!!  作者: 三箱
第二章 「夏から秋の騒動」
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『大学祭1日目!』その10

 柿沢さんを先頭にステージ下手から続々と現れる人たち。

 ギター、ベースで男性が一人ずつ。そしてドラムとキーボードに一人ずつの女性。全員同じ黒色の服で統一され、見るからに熟練者の雰囲気が醸し出されていた。

 そして柿沢さんがスタンドマイクの前に立つと、会場は息を飲むように静かになった。

 登場時こそ盛り上がっていたが、真ん中に立った瞬間に会場を注目させるほどの彼女の実力が伺えた。

 だが気がついた。

 ステージ真ん中に立つ彼女は震えている。

 少し距離があり、彼女が僕に言わなければ、気がつかない些細なこと。

 でも震えている。腕を握り必死に振り払おうとしている。

 何か声をかけるべきなのだろうか。何か叫ぶべきだろうか。

 でもこの沈黙に対し、僕は声を発してもいいのだろうか。固唾を飲んで見守ることしかできないだろうか。

 葛藤、焦燥、不安、見る側なのにこんなにも緊張するとは思わなかった。

 だが、その不安は次の一声で一瞬にして消えた。


「お前らー。盛り上がってるかああああ!」

「うおおおおお!」


 柿沢さんが放った言葉で会場が怒号を上げるが如く、一気に沸き上がった。

 経験のない大きさに思わず耳を塞いでしまう。

 さっきの彼女の緊張や震えが止まらない姿。だかそんな雰囲気なんて微塵も感じさせない。


「お前ら(らく)してんじゃねえだろな!」

「うおおおおお!」

「えええ?」


 会場の熱気と相まって、僕にとっては後ろから殴られたような衝撃だった。

 ど、どういうことだ。


「カゲル。落ち着いて、これが柿沢さんのパフォーマンス」

「パフォーマンス?」


 隣いる小百合さんが僕を落ち着かせるために、そっと肩に手をのせてきた。


「カゲル。ライブ見るの初めてでしょ」

「そ、そうだね」

「ライブはこんなノリだよ」

「そ、そうなんだ」


 いや。それにしてもいきなり「楽してんじゃねえだろうな」って相当なメンタルじゃないと言えないのではないだろうか。


「あと柿沢さんは大学内でそこそこ有名なシンガーだよ」


 ここに来てのこの観客の数とこの熱気である。薄々そう思ったが、やはりそうか。

 でも何故……。


「知ってたの?」

「一応ね。でも知ったのは、ババ抜きしたあと、知り合いから聞いたの」

「そうなんだ」


 小百合さんの話を横目で聞くと少しだけ心が落ち着いた気がした。


「人生一回きり。このライブも一回きり、音に飲まれて気絶すんじゃねええぞ!」

「うおおおお!」


 前髪が立ち上がるほどの声圧、そして観客の熱気。彼女のたった三言で、会場の空気を最高潮に押し上げた。

 全くの別人だ。

 震えが止まらないなんて、嘘じゃないのか。そう思ってしまった。

 でも。


「……」


 柿沢さんがマイクを両手で抱え、じっと下を向いた瞬間に、ピタッと会場が静かになる。

 これもパフォーマンスなのか。

 会場の一体感から考えて、たぶんそうなのかもしれない。

 でも。

 彼女の押さえた手は必死に震えを止めようとしているように見えた。

 だが、彼女はそれを振り払うように手に力を込めると、バッと顔を上げた。

 

「じゃあ。行くぜ! 一曲目! 『ノコセ。』」


 ドラムのバチから刻まれたテンポに続き、激しいギターの音と、ベースの重音、そしてキーボードの音色が響き重なりあった。

 そして短い前奏から彼女は大きく息を吸った。



 逃げてきた 嫌だというだけで

 逃げてきた 見せかけな壁から

 逃げてきた 不如意が当たり前の現実から


 じゃあ聞こう 君の手に何が残った


 凡百のただ語る言葉より ただ一振りの姿が

 心を突き動かす

 自分にない姿に羨望し嫉妬し憧れて憎む

 どれを選ぶかは自分勝手だ

 でも後悔しないなんて 一つしかないだろ

 

 追いかけろ 実力をつけるために

 追いかけろ 自分が憧れた姿に近づくために

 追いかけろ 永遠に届かない距離だとしても


 じゃあ聞こう 君の手に何が残った


 

 激しいギター、荒ぶるドラム、走り回るベースに、目まぐるしく動くキーボード、音が入り乱れ歓声の波で重なり合い暴れる音の会場の中でも、彼女の声は驚くほど通っていた。はっきりと聞こえる。

 それゆえに、震えていたのがわかった。

 耳が普通な僕でもわかる。

 だがそれゆえに、僕も震えた。

 心を揺さぶられ、そして聞き入った。

 最初の印象とは全く違う。声を荒げて威嚇していた頃とは、似ても似つかない。僕を本当に憧れるなんて、冷やかしなのかと思ってしまうくらい。

 でも彼女は今も必死に戦っている。震えているのがその証。あがり症、本当なら前に立ちたくないはず。でも立っている。逃げずに、追いかけている。僕なんてとうに超えているのに。

 歌が好きなんだ。

 そして、たぶん。


「あっ」


 彼女の視線と、僕の視線が重なった。


 彼女は、少しだけ口角を上げた。

 スタンドからマイクを右手で引き抜き、繋がったコードを右手で掴み、僕を正面に捉えた。

 その瞬間、彼女から震えが消えた。

 通っていた声がくっきりとし、ぼんやりとしていたものから芯が現れ、そして笑った。


 彼女は今、壮絶に楽しんでいる。


 わかった。


 僕に歌いかけている。


 それもわかった。


 自意識過剰なのかもしれない。思い込みが激しいかもしれない。頭が幸せ過ぎてそんなことを思っているかもしれない。

 でも彼女の視線は間違いなく僕に刺さっている。

 僕も彼女に視線を釘付けにされた。


『僕のために歌ってください』


 そして柿沢さんの答え。

 彼女は本当に真っすぐに、そして克服した。

 僕の胸の鼓動は早くなりそして、彼女しか目に入らなくなった。

 周りの歓声が消えていき、暴力的に近い音楽も消えていき、残ったのは柿沢さんの歌声。


 見惚れた。


 こんなこと二度とないと思っていた。

 でも今、起きた。

 心の高揚が、一番心地いい場所で落ち着く。

 ぽかぽかと暖かく、そして優しい気持ち。歌は鋭いのに、暖かい気持ち。

 これが、そうなのか。


 そうだろうな。


 曲が終わると、観衆の声がゆっくりと戻ってき、現実に帰ってきた。柿沢さんは全体のお客さんに視線を戻した。


「お前らあああ。どうだ。盛り上がったかあああ!」

「うえええい!」


 会場は最高潮に達した。

 その立役者は吹っ切れて、すっきりした表情。

 凄い人だ。

 こんな凄い人と、僕なんかと釣り合うのだろうか。

 幸せだった瞬間があれば、陰りも出てくる。

 初心者の僕が、彼女と釣り合うものだろうか。


「大丈夫だよ。君がそこで立ち止まらず、歩き続けるなら」

「えっ」


 僕は隣に振り向く。

 そこにいたはずの小百合さんは忽然と姿を消していた。


「……ああ。うん。そう……なのか」


 できた陰りはすこしだけ淡くなった。そして、今ストンと腑に落ちた感覚。

 僕はステージに、目を向けた。

 

 

 柿沢さんのライブは終了。

 僕は、例の池前のベンチに座り待っていた。

 茜色に染まる空。噴水の音。そっと肌を撫でる風。そして小刻みに聞こえる息に、地を蹴る足音が近づく。


「数谷さん」


 振り向くと、柿沢さんが立っていた。髪が少し崩れ、息は絶え絶え、顔を真っ赤にして立っていた。


「柿沢さんっ!」

「数谷さん!」


 僕は立ち上がると同時に、彼女は走って飛び込んできた。彼女の熱く火照った体がぎゅっと僕の体を包んだ。


「届いた?」


 柿沢さんの問いに僕は答えた。


「届きました」


 ぎゅっと彼女の力が強くなる。

 バクバクと音を立てて鼓動する彼女の心臓の音。


「克服できた。君のおかげだ」

「そんな、僕は何もしてません。あなたが乗り越えただけですよ」

「でも、君が気づかせてくれなければ、アタイは一生克服できなかったかもしれない」

「ただ、ほんの少し手助けただけですよ。あなたが自らこじ開けた。それはかわりないんですから」

「君は謙虚だな。謙虚すぎる」

「そうですか?」

「そうだ」


 柿沢さんは僕の両手を繋いだまま、改まるように正面に立つ。

 いざ向かい合うと、変に緊張する。柿沢さんも頬を赤く染めてどきまぎしつつも、僕を見つめる。


「それで、君の答えを聞かせてくれ」


 僕は感じるまま素直に答えた。


「はい。いいですよ」


 彼女は飛びっきりの笑顔を見せた。


「数谷!」

「柿沢さん。ちょ。タンマです。タンマです!」


 彼女の二度目の飛び込みと抱擁力が強すぎて、体が悲鳴を上げかけた。ポンポンと柿沢さんの背中を叩くと、少し緩めてくれた。だけど彼女は俺を離しはしなかった。


「すまん。幸せ過ぎた」

「僕も、ちょっと、じゃない、かなりしあ……。いや動揺しています。だって人生で初めてできた彼女なんですから」

「アタイもだよ。その、なんだ。これからよろしくな。か、カゲル!」


 目が合うと急に照れたのかぷいっと顔を背ける柿沢さん。

 その仕草がちょっとかわいい。

 彼女になった瞬間、かわいくなると聞いたことあるけど、本当なんだな。


「はい。よろしくお願い致します。つ、ツバキさん」


 僕は人生で一番の満面の笑みで返したのだった。



 その後、柿沢さんはバンドの片付けがあり、僕も部活の会合があるので一度別れた。

 控え室がある旧棟までの道を歩いていく。日はほぼ落ち薄暗い。

 半分くらいの距離を歩いた時、僕は人気が少ない小道に敢えて入り、すぐに足を止めた。


「小百合さん。いるんですよね?」

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