『大学祭1日目!』その7
「数谷さんは、その……。誰か好きな人はいるのか?」
「えっ?」
柿沢さんは顔を真っ赤にして訊いてきた。
僕は目が点になる。
「す、好きな人ですか?」
「ん!」
彼女は少しずつ眉間に皺を寄せて、細く鋭くなっていく。
何でこんなに怖い表情をしているんだ。
いや。好きな人って、正直に言うと「いる」であるのだが、この表情はなんだ。
蛇が獲物を狙うような顔つきで、僕から視線を外さない。
そんなに真剣に訊きたいことなのか。
これは……。いや。だからと言って嘘をつくのは良くない。正直に言うべきだ。
僕は唇に力を込めて答えた。
「い、い、いますよ」
口に発してから数秒後……。ものすごい勢いで体が熱くなった。
正直に話した。
だけど、ハッとしてしまう。
好きな人がいるって言うことを、関わって間もない人にいきなり言ってしまうって、バカなんじゃないのか。
柿沢さんに顔を合わせられなくなった。
「……」
「……」
彼女は今何を思っているのだろうか、どういう表情をしているのだろうか。
怒っているのか。それとも泣く……。泣きはしないと思うが……。
怖いな。
自分で話しておいて、相手の反応が怖いとか、度胸無さすぎ。
「そ、そうか」
彼女の声は怒鳴るわけでもなく、叫ぶことなく、ごく普通の声色だ。
「それは……。やっぱり、あの女性なのか」
僕の心臓が一瞬止まった……。
見透かされていたのか、それとも当てずっぽうなのかはわからない。だけど、実際当たっている。
そして直後の僕の反応で相手に気づかれたのは、まず間違いない。
ますます顔を向けることができない。
「答えなくていい。別にそれは構わない」
予想外の言葉に驚いて、パッと振り向く。
柿沢さんは、僕に視線は合わせず、ただ前を向いていた。
その姿を見て、ホッと、理由のわからない安堵を覚えた。
その瞬間だった。
僕の右手にほんのりとした暖かさが芽生えた。
ぎょっとしつつ、自分の右手を確認すると、僕の右手の上に、別の手がそっと重なるように握られていた。
ど、どういうこと!?
僕の全細胞が多種多様な叫び声を上げた。
待て待て待て待て待て。
何が一体どうなってんだ!!
本当にどうなってんだ!!
一旦落ち着け。落ち着いて状況を理解しろ。
一度目を閉じる。
幻覚かもしれないし、幻触かもしれない。舞い上がっているだけだ。
深く呼吸をする。
そして意を決して目を開く。
自分の右手が、柿沢さんの左手に優しく握られていたのだった。
微かに震え、ほんのりとした暖かさが伝わる。
間違うことなく現実だった。
これはその、やっぱりそういうことだよな。ここまで来て偶然触れたとかそういうレベルではないよな。
自意識過剰でもなく、ホントにホントにホントなんだよな。
で、でも。なんで。
もう一度柿沢さんの顔を伺うが、柿沢さんは前を向いたままである。
本当にどういうことだよ。
一旦離したほうが、いやこちらから離していいものだろうか。
めぐるめぐる混乱の波で、僕の頭はショートした。
「はい。どうぞ!」
前方から聞こえた声に、パッと柿沢さんは手を離し、背中の後ろに隠した。
僕は我に返り、目前を確認すると、左手にリストバンドを着けた胴着姿の男性が僕たちが注文するのを待っていた。
「あっ。はい! たこ焼き6個入り2パック。お願いします」
「はいよ!」
男性はサクッとパックに詰め込み、ビニール袋に入れてくれた。
「はい。500円になります」
僕は財布から500円玉を取り出して渡した。
「どうもありがとうございました」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げながら、袋を右手で受け取った。
そして僕が先に歩き始める。
また、後ろからぎゅっと手を握られた。
僕の体温がまた急激に上がる。
早くこの場を去りたい。
僕は振り返えらずに、柿沢さんの震える手を引っ張るように歩いていった。
どういうルートを通ったか覚えていない。
気がついたら、キャンパスのやや南にある池についた。僕が飛び込んだ池……。あまりいい思い出ではない。
学祭をやっているが、ここら辺には人はほとんどいない。
近くにある年期の入ったベンチに、一旦二人で座った。
それと同時に握った手を離してくれた。
「……」
「……」
当然無言になる。
正面の池を眺めつつ、トボドボと流れる水の音と、拡声器から流れる音楽だけが響く。
このままだと辛い。何とか思いつく言葉を絞り出す。
「た、たこやき。食べますか」
「そ、そうだな」
袋からパックを取り出し、柿沢さんに渡す。
そして自分のを開いて、パクッと一口。
あ、味がしない。
いや、全くしないわけではないが、ほとんど味が伝わってこない。
二、三個食べたが、後は食べられる気分ではなかった。
楊枝をパックの中にしまい、蓋を閉じた。
ほぼ同じタイミングで柿沢さんも食べるのを止めた。
「……」
「……」
何度目かわからない沈黙。
「……」
「……」
こうなったらもう、一切話を聞こう。中途半端は良くない。というかたぶん後々引きずるし、午後のシフトに影響してはいけない。
変に開き直った。
一度目を閉じて集中し、クワッと開いて手に力を込めた。
そして振り向く。
「柿沢さん」
「あ、はい」
上がりぎみだった目尻が下がり、少しだけ丸くなった彼女の瞳がゆっくりと僕を見つめる。
変わった雰囲気の彼女にドキッとしつつも、僕は尋ねる。
「訊いてもいいですか。どうして僕を……」
「数谷さんは私に無いものを持っている」
僕の雰囲気を感じ取ったのか、彼女も据わった目をしていた。
「ないものって」
「数谷さんはジャグリングを初めて何年?」
「えっ。いやまだ5か月ぐらいですよ」
そう答えると、柿沢さんはその瞳を大きくする。
「5か月か……。となるとあの時の演技はまだ2か月半……」
「あの時って、外でやった時ですか」
すると、柿沢さんはゆっくりと体を僕に近づけた。
「数谷さん。なんであんなにも堂々とできる!? 2か月半って自信なんてものまだ全くついていないはずなのに、なぜあんなに堂々とできる!?」
近づく彼女の表情と、仄かな甘い香りに、クラっとしそうになる。
「僕はいや、まだ初めて間もない初心者で、先輩たちに比べたら足元に及ばない人間です。客観的に見ても分かることです」
必死に説得を試みる。勘違いであって欲しいとすら思う。
だけど柿沢さんは、僕の拒否なんて全く意に介せず、自信を満ちた瞳で言った。
「だからだよ! 初心者の君があんなにも健気に堂々としていた。そこにアタイは惚れたんだ!」
自然のイタズラか、風が彼女の髪を撫で、色づいた葉がハラハラと舞う。
彼女の真っ直ぐ透き通った瞳。
僕は目を奪われた。
とくんと揺れる心臓。
自分の中の細胞が一瞬にしてほわっと暖かくなる感覚。
同時にその熱の有り余った部分に恥ずかしさという感情も足される。
「それは、とても嬉しいです」
「おう」
少しだけ口角が上がる。
「でもまだ、演技の方の自信も、そしてあなたの意志を理解するほど、まだ気持ちが落ち着いていません」
「それも、そうか。時間がかかってもいいよ」
否定もしない。素直に受け入れてくれる。僕の柔らかい部分に、そっと包むように入っていく。
「それに、僕に柿沢さんに無いものって……」
「ああ。すまん。話を飛ばしていたな」
柿沢さんは、池に視線を移した。
言いづらそうに、少しの間口を開いては閉じてを繰り返していた。
「アタイ。あがり症なんだ」
静かに俯く。
「でもそんな風には」
「いや。今も震えが止まらないんだ」
ベンチに置いている彼女の左手は、まだ微かに震えている。
「高校から歌を初めてもう四年以上経つ。でも何度舞台に立っても、緊張がとれない。実力が出せない」
「……」
この人の舞台を見たわけではない。だからどういった状況なのかはわからない。
でも過去二度立った舞台での緊張は確かに独特なものだ。
「弱いだろ」
彼女の左手がぎゅっと力強く握られる。
僕は憶測からしか判断できない。だから正直この人のために何と声をかけてあげるのがいいのか、分からない。
でも多少向こうの勢いだが、悩みを言ってくれた人に、何も答えてあげられないのは男ではない。
これから言うことに、僕は気持ちの整理をつける。
一度目を閉じて自分の意志を確認する。そして静かに目を開く。
「僕があの時、緊張しても舞台に立てたのは、ある人のためです」
「それは、数谷さんの……」
柿沢さんが言いかける前に首を横に振る。
「その人は部長です。訳あって再起不能寸前だったんです。その人に立ち上がってもらうために、あの時僕は、舞台に立ちました」
「それが、数谷さんの強さ?」
「いやどうでしょうか。理由はそうであって、演技最中はただがむしゃらに、やっていただけかもしれません。でもこれだけ、あくまで自分の中ではそうだと思います。誰かのために立つことが緊張をほぐすかと思います。だから……」
僕は今から言うことは正直恥ずかしい。でもそう言ってくれた柿沢さんには答えてあげるべきだ。
ここまで来たなら覚悟を決めて言え。
「僕のために歌って下さい。僕はあなたの歌を聴いてみたいです」
振り返った柿沢さんはポッと頬を赤く染めた。そして……。
今までのしかめっ面だった仮面が剥がれ、中から彼女の笑みがこぼれた。
「わかった。聴きに来てくれ」
「わかりました」
「いつですか」
「今日の16時半だ」
「わかりました。必ず行きます」
「それで、もし伝わったなら、その……。付き合ってくれ」
「……」
気がつくとまた体の温度が急上昇した。
改めて気づくととても恥ずかしい。でもそうだよな……。ここまで来て、ごねるのはダメだな。
「時間を下さい。あなたに対して真摯に考えて、答えを出してからにしたいです」
「ああ。好きな人の気持ちがあるんだよな」
急かさない。待ってくれる。だったら早めに、この大学祭の間に決めないと。
「でもアタイは、はっきり伝えたよ。好きだ!」
柿沢さんは笑った。
僕の心に、ポトンとひとつの色づいた滴が水面に広がり、ゆっくりと全体を染めていったのだった。




