『約束と練習』
「この人と数谷さんとはどういう関係なんだ?」
「ん?」
柿沢さんの顔は真っ赤になり、目が少しだけ潤んでいるのが見えた。
「えっと。なんでそんなことを?」
「それは……」
彼女の声がゴニョゴニョと尻すぼみする。
叫んだりと縮こまったりと、感情が豊かな人だ。でも答えた方がいいよな。
「えっと。小百合さんとはですね。同じ学部の友達です」
チラッと小百合さんに視線を移すと、にっこりと微笑みかえされた。
ど、どういう意味の顔だろう。
対して柿沢さんは怪訝そうな顔でいる。
「じゃあ、ただの友達がどうして数谷さんの家に用があるんだ?」
「あ、それは」
「それは、私から彼の練習を手伝うつもりで来たの」
「れんしゅう?」
柿沢さんの鋭い眼光が小百合さんに向く。
だが全く気にせずに両手で丁寧にお茶を飲む小百合さん。
「何の練習だ?」
「それは大学祭のことで、僕が頼んだからです」
「大学祭……」
「そうです」
僕の説明と小百合さんの同意により、柿沢さんは少し納得をしたのか、力が抜けるように肩がストンと下に落ちていった。
そして静かに黙る柿沢さん。
何か思い違いをしていたのかな。今ので解決をしていたらいいんだけど。
「ちょっといいかな」
すると小百合さんが突然立ち上がり、対面にいる柿沢さんにアイコンタクトを送る。
それを挑発と捉えたのか、ぎりっと歯軋りをして立ち上がる柿沢さん。だが目立った抵抗はせず素直に小百合さんの後を歩いていく。
「ちょっと待っててね」
小百合さんはそう言い残して、二人は玄関に向かった。バタンと扉の音が聞こえ静かになった。
一体なにがなにやら。
毎度のことから状況についていけない僕である。
少しだけ考えたあと、とりあえずバルーンとポンプを棚から引っ張り出す。
そしてシューシューと音を立てながら風船を膨らます。
何かしておかないと落ち着かない。それに練習しておかないと本番緊張したくない。いやそれでも緊張しそうだけど。
とりあえず忘れるため黙々と作り始めた。
数分後。
風船の熊が完成した辺りで、再び玄関の扉が開いた。そして満足そうな小百合さんと、少し落ち込んだ様子の柿沢さんであった。
そして急にペコリと頭を下げた。
「すまん。アタイの思い違いで早とちりした」
とても素直に謝った姿にギョッとする。一体この数分で何があった。
またチラッと小百合さんに視線を移すと、腕組みをして満足そうにしている。
いや待て、本当に何したんだよ。
「だからその……。大学祭フリーマーケット見に行く。それで……」
ボソボソと声が萎んでいき、聞き取れなくなる。指がモゾモゾ動いて、ブルブルと震えているのがわかる。
「それで。もし時間が空いていたら、何か奢るからさ。一緒に大学祭回らないか?」
「……ん?」
思いもしない誘いに、僕はどぎまぎした。
これは、えっと、どういうこと。えっと、そんなまさか。
僕は静かに小百合さんの表情を確認する。
満面な笑み。むしろその笑みに裏の意味が込められてそうで気が気ではない。
いやたぶん。でもまあ。断る理由があるかというと、特にない。それにこんなに頭下げているし。
これで断ったら、流石に酷な気がする。なんか流されている気がするけど……。
「あ、はい。シフト以外の時間なら空いていますので、その時間帯なら大丈夫ですよ」
「ほ、ほんとか?」
パッと面をあげたその表情に、僕はドキッとした。
いつもしかめっ面の印象だった人が、花が開いたような笑顔に変わると思わなかった。
「は、はい。大丈夫です」
「じゃ。今日は本当にすまなかった。長くお邪魔した。また大学祭でな」
「あ、はい」
くるっと振り返り、柿沢さんは足早に外へと出ていったのであった。
ばたんと扉が閉じて流れてきた沈黙。僕は仁王立ちになっている小百合さんに不可解な視線を送る。
「えっと。小百合さん?」
「なにかな?」
「小百合さん。さっき外で二人何の話していたの?」
「そうね。知りたい?」
得意げに瞳をパチクリする。
うー。なんか尋ねてはいけない領域な気もする。けどここまで来て退くわけにはいかない。でもたぶんはぐらかされそう。
「聴きたい」
「そうね。女の秘密!」
「やっぱり答える気ないよね」
「あれ? バレた?」
ふふっと面白そうに笑う。
誰かに似ている。というか他の人達の対応に慣れすぎたせいで予想できてしまった。
この人も気まぐれというかひょうきんというか、底が知れない。
「まあいいよ。慣れているので」
「えー。そうあっさりとした反応で済まされると、それはそれで恥ずかしいんだけど」
仄かに頬を赤くする小百合さん。
その姿にまたもやドキッとする。いかんいかん。こんなことで心が動揺するのは良くないと、首を左右に振って一度別の方向を向く。
好きな人だけど、そこはしっかりしないと……。いや待てよ……。
脳裏に過った一つの答え。そんなはずはないと思いつつも、僕は今一度視線を戻す。
「あの。もう一つ質問よろしいですか?」
「ん。いいよ」
「柿沢さんってまさか……」
「ん?」
にっこりとした表情で耳を傾ける。そこから声を発せない僕は、小百合さんにわかる様に僕は自分自身に向かって指さした。
すると彼女は満面の笑みで答えた。
「それは流石に思い込みが強いよ」
「そうだよね」
杞憂で終わったことにものすごく安堵する僕。
安堵するのも変な話であるが、これ以上考える案件を増やしたくないのも事実である。
「じゃあ練習しようか」
「は、はい」
パッと切り替えて小百合さんはテーブルの向かいに座り、静かに待つ。
僕も慌てながら、フローリングの床に置いていたバルーンセットを取り出してテーブルの上に置いた。
彼女の目を確認して深く呼吸する。
「それじゃあ」
僕はポンプと風船を両手に持ち、そして固まった。
何を話せばいいんだ。何を語ればいいんだ。そして何を言えばいいんだっけ。
完全に頭が真っ白になった。
「えっと。これはかなり重症だね」
小百合さんの苦笑いを見て、僕は壮絶な勢いで現実に戻ってきた。
そして羞恥全てが僕を襲ってきた。
「すみません。どう話せばいいか全くわからないんです」
力なくテーブルに崩れていく僕。
すると小百合さんはふむと考え始める。
「じゃあ。あらかじめ質問することを決めておいて、もうそれしか言わないことにするとか?」
「……?」
その提案にいまいちピンと、きていない。
「どういうこと?」
「例えば三つほど言うことを考えていて、紙にメモして覚えておくとか」
「なるほど」
先輩たちはアドリブでやっていたけど、別にそんなことせずに、あらかじめ言うことだけ決めておいて、それしか言わないようにすればいいのか。
そしたら多少気は楽か。
「でも。それそのあとの言葉はどうしたらいいのか」
「うーん。そこは質問する内容を考えたら、ある程度は返ってくる内容は絞られるはずだから、そこも予め言葉を用意していたらいけるよ。頭で考えるからパニックになると思うよ。こういうのは一回紙に書き起こす! ほら、紙とペンを持って!」
小百合さんに急かされながら、僕は紙とペンを用意した。そして書き出してみる。
・今日はどこからお越しになったか。
・大学祭はどこを回ったか。
・年はいくつか(子供限定)
・好きなものは何か(子供限定)
「んー。大体は子供が来るからいいと思うけど、絶対に女性に年を訊いたらダメだよ」
「はい。絶対にしません」
でも緊張してそんなこと口走る可能性があるかもしれないから、年はいくつかは子供相手でも止めておこう。
僕はその項目の上に横線を引く。
「んー。一番無難なのは、大学祭どこ回ったとかかな? 話を膨らませ易いし、それにオススメも言えたら向こうにもいい情報になると思うよ」
なるほど、確かにこれなら当たり障りもなく話せると思う。下調べは必要だけど。
モヤモヤしていた頭が少しだけスッキリした。
「それじゃあ。それを踏まえつつやっていこうか」
「えっ。あ。はい!」
僕はまた慌てたのか、肘をテーブルにぶつける。
「大丈夫落ち着いて、片言でもいいしカンペを見ながらでもいいから話してみて」
「は、はい」
こんな姿を見ても冷静にアドバイスをくれる小百合さん。僕も深く呼吸する。一度冷静になって落ち着く。
小百合さんが真剣に考えてくれている。だから僕も少しでも頑張らないと。
体に着いた緊張に飲まれないように、自分の心臓を落ち着かせた。
そして僕は紙を横目に見ながらも、練習を始めたのであった。




