申し込み
輝章は、奥宮を出て、あの待機所へと急いだ。蒼は、まるで輝章が犠牲になるような同情した目で自分を見たが、輝章自身は、そんな心持ちではなかった。話してみると、結蘭ととても賢い女だった。世間的にはどうなのかはわからないが、輝章はそう感じた。自分の意見も、きちんと話していたし、人に慣れた輝章にも、違和感などなかった。
実は、輝章はあまり、自分には欠点などありません、とでもいうような、控えめでありながらどこか取り澄ました神の女が苦手だった。なので、人の女に惹かれ、宮を出て子供までなしたのだ。
結蘭の弱さも、逆に強さも、輝章は好ましかった。これからともに居れば、きっと通じ合うものがあるように思えたのだ。
待機所の前に着くと、蒼の侍女が頭を下げた。
「あ…蒼殿には、許可をもらって…。」
輝章は、誰も入れるなと言われていた侍女に、こんなことを言っても無駄だと思いながら言った。蒼に、使いを送ってくれるように言うのを、忘れていた。
すると、侍女はもう一度頭を下げた。
「はい。十六夜様より念が届きましてございます。中へどうぞ。」
輝章は、驚いた。そうか、月が居た。先に連絡してくれていたのだ。
輝章は、ホッとしながらも、少し緊張気味に中へ入った。
結蘭は、そこに落ち着いて座り、茶を手に庭を見ていた。何かを考えているようで、しかし何かを悟ったような気がした。
輝章は、思いきって声をかけた。
「結蘭殿。」
結蘭は、少し驚いたように目を開いた。
「まあ輝章様?何かお忘れになられましたか?」と、手にしていたカップを見た。「これを飲んだら、我の侍女を呼ぶつもりでありましたの。」
輝章は、それを聞いて足を進め、結蘭の前に立った。
「お願いがあって参った。」と、驚いている結蘭の手をとり、膝をついた。「もうしばらく時間を取るが良いか。」
結蘭は、ためらったように頷いた。
「はい…ですが、いったい何を?我にはもう、力はありませぬ。此度の事で、兄は恐らく激昂なさるだろうし、我の頼みなど聞いてはくれぬかと。」
輝章は、首を振った。
「公青殿に頼む事などない。ならば蒼殿に頼めば済むこと。我は、主に願いたいのだ。」
結蘭は、戸惑いながらも頷いた。
「はい…なんでございましょうか。」
輝章は、取った手を両手で握り締めながら、言った。
「主にしては不本意やもしれぬ。我は一度は人世ではぐれ者であった神。しかも、王ではない。第二皇子ぞ。それでも、我は主をこれより終生幸福に過ごさせると約す。ゆえに、我の妃として、宮へ共に参ってくれぬか。」
結蘭は、目を見開いた。一瞬、何を言われたのか分からなかったのだ。
「え…」そして、慌てて首を振った。「そのような!我はこのように離縁されて戻った身。しかも、このようなことをしでかした女でありまする!輝章様のお名に、傷がつきまする!」
とんでもないと手を振り解こうとする結蘭を、輝章はその穏やかな外見からは想像もつかない力で引っ張ると、自分の腕に抱き寄せた。
「主は、出戻っただけではないか。それも、政略の婚姻の結果であったと聞く。」
結蘭は、それでもぶんぶんと首を振った。
「此度のことは?我が外でどのように言われておるか…。」
輝章は、首を振った。
「我が主を娶ったのだ。ならば主には、あのような噂を立てられる謂れなどない。」
結蘭は、ハッとした。昨夜部屋に居なかったのは、碧黎様に忍んだのではなく、輝章様と過ごしていたからだということにすると…?
「そんな…そのようなことを、輝章様にご迷惑になることが分かっておるのに、我は承知出来ませぬわ!」
輝章は、じっと腕の中の結蘭を見た。
「主は、このように美しい。それに、我は主の強さも弱さも知っておる。実は我は、神世の女のあの高慢そうな様が嫌いでの。なので、人の女などに懸想しておったのだ。主は、素直に己の考えを聞かせてくれたではないか。我は、主を望む。主は、我のように王ではない男では否か。」
本当に案じているような輝章の目に、結蘭は本気で輝章が自分を妃にと言っていることを、やっと悟った。輝章様…昨日会ったばかりの神。でも、輝章様は我を助けてくれた。自分のことを話して、楽になるようにと力添えをしてくれたのだ。穏やかでこちらが何でも話してしまう雰囲気を持っていらっしゃる。だからこそ、自分もあれほどに、素直に話せたからで…。
「我などで…本当に良いのでしょうか。」結蘭は、自信なさげに言った。「やっと神世に戻られて、これからは妃もいくらでも選べるでしょう。我のような者が、その中に混ざって良いのですか。」
輝章は、苦笑しながら答えた。
「何を言う。今も言うたの。我は神の女が苦手でな。主は己に素直であるし、出会った最初に主の強さを見せてもろうた。なので、主でなければならぬ。同情でも何でもないのだ。我は主を望む。」
結蘭は、涙を流した。自分でも、その涙が何の涙であるか分からなかった。
「ま、まあ…我は何を泣いておるのか。」結蘭は、輝章を見上げて、微笑んだ。「そのように、言うて頂いたのは、初めてでございまするの。誰も…我自身を望んでなど、くれませんでしたので…。」
結蘭は、顔を手で覆って泣き伏した。輝章は、そんな結蘭を優しく抱きしめながら、言った。
「では…返事は?我は、妃を娶ったと兄に報告しても良いのか。」
結蘭は、泣きじゃくりながら頷いた。
「はい。」そして、輝章に抱きついた。「はい…!輝章様、どうか終生、よろしくお願い致しまする。」
輝章は、ホッと肩の力を抜いて、結蘭を抱きしめ直した。
「おお…良かったことよ。我は断られはせぬかとハラハラしておった。主はほんに、ハラハラさせる。」
結蘭は、涙を拭きながら顔を上げて笑った。
「このように化粧もせぬような様での婚姻の申し込みなど、聞いたこともなかったものですから。輝章様こそ、我を驚かせるかたですわ。」
そうして、輝章は結蘭に、自分と過ごしたと言うように告げ、その内容も言いつけた。
ほどなくして結蘭の侍女は奥宮脇待機所へと慌ててやって来て、そうして事は公になったのだった。
唯は、それを聞いて驚いた。
父は、間違いなく朝にはこの部屋に居たのに…結蘭様を娶ったのだと。
「お父様は、朝こちらにいらしたわ。私はここでお父様とお話ししたもの。確かに、噂話のことをお聞かせした時には、そのような口さがないことを皇女が申すでないと、嗜められたけれど…。」
侍女は、頷いて言った。
「もう、こちらでは大騒ぎでございまする。輝章様から蒼様にご報告があり、蒼様はありもしないことを言いふらしたと、噂を吹聴しておった侍女達に直々に大変なお叱りを。これからはそのような不確かな噂を宮でした者には、宮での任を解くとまでおっしゃって…穏やかであられる月の宮王の激昂された姿に、皆縮み上がったそうでございます。」
唯は、その噂を父に話して吹聴した一人である自分に、罪悪感を感じながら頷いた。
「確かに…結蘭様には大変な不名誉でありますもの。お父様が私を叱ったのも、道理だわ。お父様はそうではないことを、知っておられたのだもの…。」
唯は、がっくりと見るからに力なく下を向いた。どうにかして、父を安心させようと、皇女らしくと学んで頑張っていたのに。これでは、きっとお父様は呆れてしまわれたわ。
侍女が、庇うように言った。
「そのようにお力を落とさず。誰でも、噂話などするものですわ。今回のことは、確かに結蘭様に大変に失礼なことでございましたけれど、まさか輝章様が張本人であられるなんて、誰にも分からなかったことですもの。父上からも、きっとご説明がおありになるでしょう。唯様、大丈夫でございまするわ。」
唯は、頷いた。お父様が、妃を…。まさか、こんなに早くとは思っていなかったけれど、でも、これでやっと普通の神並の人生を送ることが出来る。お父様には、幸せになってもらいたい。
唯は、顔を上げた。
「でも、大変におめでたいことですもの。あなた達も、お父様にお祝いをね。私も、何をしたら良いのか、考えてくれないかしら。」
侍女は、ぱっと明るい顔をした。祝い事は華やかで、侍女達も大好きなことなのだ。
「はい、唯様!」
そうして、唯は自分の侍女達と共に、婚姻の祝いはどうしたら良いのかと楽しく話したのだった。




