身代わり
蒼は、着替えた維月と、十六夜と共に自分の居間で座っていた。輝章がとても結蘭を案じていて、それが自分と重ねているからだというのを説明した時には、十六夜も維月も神妙な顔をした。自分達には、縁がなかった悲恋。といっても、前世は月と人でありながら愛し合い、触れ合うことも出来ず、そのまま維月が生涯を閉じて、終わってしまうはずの恋だった。それが、維月が月の命を宿し、人から月になって、成就した恋。あのまま、維月が月にならなかったら、十六夜と維月も、悲恋だったはずだ。
「…オレ達にとっちゃ、無謀な恋でも、当事者達にとっちゃあ本気で、必死の恋なんだな。簡単に忘れろとか諦めろとか、無理だよなあ、やっぱ。ちゃんと相手の立場に立って考えるってことが、オレにはなかなか出来てなかった。」
維月も、頷いた。
「私もそう思った。結蘭は一生懸命で、お父様も自分に正直で…。駆け引きとかそんなの、考えてちゃいけないわね。私も前世で人の頃、十六夜が今みたいに人型もとれなくて、話すことし出来なかったのに、生涯愛していたわ。人としての命を落として月になったけど、あの終わっていたら悲恋だった。私も十六夜も、きっと苦しんだわ。あの時の私は、本気だった。叶わないと分かっていたのに。」
十六夜は、維月の肩を抱いた。
「オレもそう思った。オレ達は運が良かっただけなんでぇ。結蘭の想いは遂げさせてやれねぇが、醜聞だけでも何とかできねぇか。」
蒼は、悲しげに首を振った。
「もう、今頃はいろいろと噂が駆け巡っているだろうよ。侍女達の噂話にまで、なかなか統制を敷くのは難しい。オレの侍女達は出来た者達ばかりだから、そんなことはないんだが、皆が皆そうなわけではないからな。龍の宮とは訳が違う。」
維月は、息をついた。
「龍の宮では、維心様のお言葉一つで誰も何も言わなくなるけれど、維心様もあまりそこまで口出しされないから、普通の宮と同じ程度には噂話もしているわよ。広めたらいけないこととなると、維心様がそのことを口にするのを禁じられるから、そうなると気持ち悪いぐらい皆黙ってしまうけれど。」
蒼は、顔をしかめた。
「維心様の力ならそれもありかもしれないけど、オレは言語統制を敷くなんて出来ないからなあ。もうここまで広まってるんだし、ここで言っても皆、かえってそれが本当なんだと思うだろうし…。」
十六夜も維月も考え込んだ。すると、侍女の声がした。
「王。輝章様がお越しでございます。」
三人は、同時に顔を上げた。
「これへ。」
蒼は、慌てて言った。結蘭は、少しは持ち直したんだろうか。
侍女の気配が去ってから、輝章があの、穏やかな顔に珍しく緊張感を漂わせて入って来た。そして、十六夜と維月が居るのを見て眉を上げたが、何も言わずに入って来て、言った。
「お邪魔であったか?」
蒼は、首を振った。
「いや。この二人は身内だから、遠慮は要らない。座ってくれ。」
輝章は頷くと、示された椅子へと座った。
「あの、話の件であるが…」
輝章は、ちらと十六夜と維月を見た。蒼は、言った。
「大丈夫、知っているから。今、三人で結蘭の噂をどうにか出来ないものかと考えていたところなんだ。」
輝章は、ホッとしたように言った。
「我も、それを考えておった。結蘭殿は、立ち直ろうとしておる。それなのに、心無い噂に翻弄されるのはあまりにも哀れではないか。」
蒼は、息をついた。
「今更どうにも出来ない。オレもいろいろ考えてみたが、夜明けにでも結蘭の侍女が動き始める前に知っておったなら、どうにか出来たやもしれないが、こうなってしまうともう無理なのだ。オレのところへ呼んだことにして、オレが娶ったことにしたら、丸く収まるというのは分かっては居る。だが、オレは己の妃と約したことを違えるつもりはないので、結蘭でなくとも今、他に妃を娶るつもりはないのだ。気の毒には思うが、そこまでの犠牲を払って庇うほど、結蘭に同情している訳でもないのでな。」
蒼は、少し冷たいかもしれないと思ったが、はっきり言わないと分からない神世なので、そう言った。輝章は、息をついて頷いた。
「確かにそうよな。蒼殿がそこまでする責任はない。」
十六夜が、言った。
「いっそこっそり公青の宮へ返して来ちまうか。そうすりゃ勝手に帰ったってことにならねぇか。」
蒼が、顔をしかめた。
「どうして勝手に独りで帰ったかってことになるだろうが。そんなのは不自然だ。明らかに何かを隠すために帰ったってバレてしまう。」
維月が、横から言った。
「じゃあ、私と一晩中話していたとか?」
蒼は、それにも首を振った。
「母さんは碧黎様の部屋に居たじゃないか。碧黎様に所に忍んだって話が出てるのに、それじゃあ母さんが庇ってるって言ってるようなもんだよ。」
十六夜が、憤って言った。
「じゃあ、どうしろってんだ。否定ばっかしやがって。お前も何か考えろ。嫁にもらうのは嫌なんだろうが。」
蒼は、ぐっと詰まった。
「え…それは、考えてるんだ!待ってくれ。」
十六夜は、ふんと横を向いた。
「考えてるうちに、噂が独り歩きして他の宮にまで届いちまわあ。」
輝章は、険しい顔のままだ。蒼が、苦し紛れに輝章を見た。
「輝章殿は、どうか?何か考え付いたか。」
すると、輝章はハッと顔を上げた。蒼は、あまりに真剣な顔をしているので驚いた。
「どうかしたのか?」
十六夜も、ただならぬ気配に輝章を見て言う。
輝章は、思い切ったように言った。
「我が。」蒼と維月と十六夜は、何事かと目を丸くしている。輝章は、三人を見回して、今度は決心したように言った。「我が娶る。ならば、収まるのではないのか。」
「ええ?!」
蒼も十六夜も維月も仰天して輝章を見た。輝章は、思いつめたような顔をしている。蒼が、一番最初に我に返って言った。
「そ、そ、それは、ぬ、主は昨日、初めて結蘭に会ったばかりではないのか。それに、結蘭の方が20年ほど年上で。」
十六夜が、それを聞いてやっと我に返った。
「そうだ!お前、そこまで犠牲にならなくたっていいんだぞ!たまたま居合わせただけなのに!」
しかし、輝章は首を振った。
「我も、いろいろ考えた。だが、それが一番良い。結蘭殿がどう思うか分からぬが、それでも我は、今一度結蘭殿に話して参る。昨夜、散策しておって、たまたま出会ったことにする…そうして、我が娶ったのだと。さすれば、噂は消えよう。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「そういうことではないのよ。犠牲にならなくても良いと言っておるの。それは、確かに皇子であられるのだから、妃は幾人でも娶られるだろうし、一人ぐらい構わないと思われるのは分かるけれど…それでも、神世に戻ったばかりであるのに。」
輝章は、苦笑して首を振った。
「別に犠牲になど思うてはおらぬ。幸い、結蘭殿は美しいし、年上と言うて20年しか変わらぬではないか。100も違う夫婦も居るのに。同じ思いをした者同士、話も合うのではないか。我は良い。我とて、皆に助けられたのであるから。」
十六夜と、維月は黙った。蒼が、心配そうに言った。
「本当にいいのか?確かに結蘭は美しく、本来嗜みも申し分ない気品のある皇女。だが年上で、箔翔の宮から離縁されて戻った身。そして、碧黎様にまで忍んだのだぞ。」
輝章は、微笑んで頷いた。
「分かっておるよ。世間であれがどう思われてどう言われておるのかぐらい。だが、そんなことは良い。我は、結蘭自身の性質を見てみたい。悪評があるのが何であろうか。我はもう、あれが何を乗り越えてどれほどに強いのか知っておる。」
十六夜も、蒼も輝章の類い稀な優しげな癒しの性質を感じ取っていた。知章の宮で育っただけはある…皆、穏やかで優しげな神なのだ。
十六夜が、言った。
「もう、何も言わねぇよ。お前って、どこか月の気に似てる。何だろう、癒しの…慈愛のような気。男神には珍しい。」
輝章は、椅子から立ち上がった。
「我らは闘神ではないからの。我ら、人には守護神と呼ばれておる。守る神であって、攻める神ではないのだ。」
維月は、感心してその気を読んでいた。
「輝章様…何やら優しげな暖かな気でありますること。」
輝章は、笑った。
「主から言われるとはの、維月殿。その癒しの気には敵うまい。」と、歩き出した。「では、我は結蘭に婚姻を申し込んで参らねば。断られて、泣いて戻るやもしれぬぞ?強い神ではないからの。」
蒼は、笑い返した。
「よく言うことよ。それで案外に肝が据わっておるのは知っておる。」
輝章は軽く会釈すると、そこを出て、また待機所の結蘭のところへと、向かったのだった。




