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目覚め

蒼は全く気が進まなかったが、待機所へと足を進めた。侍女が、蒼の顔を見てホッとしたような顔をして、頭を下げる。蒼は、言った。

「どうしておるか。」

侍女は、顔を上げて答えた。

「はい。お茶を差し上げましたが、ただ呆けたように庭を見てぼうっとなされておりまする。」

蒼は、頷いた。

「では、引き続き頼む。様子を見て参るゆえ、誰も近づけぬようにの。」

侍女は、表情をきりっと引き締めると、頭を下げた。

「はい。決して、何びともこちらへは近付けませぬ。」

蒼は、王の御為、と一生懸命に尽くしてくれる侍女に、涙が出そうだった。こんな面倒なことを命じられているのに、文句も言わず。

「主は頼りになるの。頼んだぞ。」

そうして、侍女が嬉しそうに顔を上気させるのを見て、感謝しながら輝章と共に、中へと入った。

すると、中には他の侍女が居て、蒼に頭を下げた。その向こうの窓際には、結蘭が維月の袿を着て、座って外を見ていた。眺めているというよりも、ただぼうっとどこか遠い場所を見ているようだった。間に合わせに結われた髪は、それでもまた美しかった。結蘭は、確かに公青が言うように、嗜み深く美しい完璧な女神だった。碧黎にさえ、心を奪われなければ…恐らく、二夫にまみえるのも難しくなかっただろう。

「茶を頼む。」

蒼は、目の前の侍女に言った。侍女は頭を下げ直し、そこを出て行った。蒼は、結蘭に声をかけた。

「結蘭殿。」

結蘭は、びくっと肩を震わせた。そして、恐る恐るこちらを見て、蒼を見ると、涙を流した。

「蒼様。」結蘭は、頭を下げた。「大変に面倒な事を…我は、なぜにあれほどまでに思い詰めたものか。ただただ恥ずかしく、蒼様にはお顔を見ることも出来ませぬ。」

その言い様は、本当に心からの後悔を伝えていた。蒼は、始めにここに来た時の結蘭を思い出し、途端に気の毒になった…箔翔の妃としてついて来て、それは美しい模範的な女神だと一目で思った。出過ぎる事もなく、一歩引いた様は正に王族の妃だった。

それが突然に離縁され、深く傷ついていた。あれは結蘭のせいではなかった…政略のせいなのだ。

蒼が言葉を失なっていると、同情したようにそれを見ていた輝章が進み出て、言った。

「結蘭殿。過ぎた事はもう良いであろう。主はよう苦しんだのだ。それよりも、己の名誉を守るのだ。主は皆に不名誉な噂を立てられるような女神ではない。」

結蘭は、涙に濡れた目で輝章を見上げて驚いたように言った。

「でも…我は、このような事を。皆が知らずにおれるようなことではありませぬ。」

輝章は、困ったように頷いた。

「確かに、此度は愚かな事をした。しかし、主はその時それが唯一の策であると信じておったのであろう?上位の宮の妃として嫁いだ主が、己の名誉も顧みずただ己の想いに正直に行動した結果なのだ。」と、輝章は手を差し出した。「我には主の気持ちが分かる。分かっていても止められない気持ちと言うものがあるのだ。」

蒼はそれを聞いて、輝章は自分と結蘭を重ねているのだと知った。輝章も、スターシャという人の女をそうして娶ったのだろう。後に起こる出来事も、皆分かっている上でどうしても引き返せなかった道。どんなに神達に批判されようと疎まれようと、輝章にはその時それが唯一の策だったのだ。

スターシャへの愛情と、相手が望む事を叶えてやりたいという一心で、凜と結を生ませたのだろう。

短い命の女を愛した、神の輝章の精一杯の愛情表現だったのだ。

結蘭は、躊躇うように差し出された手を見た。

「輝章様…?」

輝章は、頷いた。

「我とて、同じ。」と、蒼を振り返った。「蒼殿、しばらく結蘭殿と二人にしてくれぬか。我の事を、話して聞かせようと思う。」

蒼は、黙って頷いた。自分は、まだそこまで誰かを愛した事がない。なので、二人の気持ちなど分かるはずもなかった。なので黙ってそこを後にすると、十六夜と維月の所へと急いだのだった。


輝章は、二人になって、差し出した手をそのままに、結蘭の側に座った。

「まずは、我を警戒しておるであろうから、我の話をしよう。」

輝章が言うと、結蘭はしばらくじっと輝章を見つめていたが、おずおずと輝章の手を取った。輝章は、ホッとしたように微笑むと、話し始めた。

「我は、ここより南西にある小さな宮の第二皇子。宮は小さいが、格は主らの宮と同じ上から二つ目なのだ。代々人の世話をして生きて来た。我らに願う人の望みを吟味し、それを叶えてやるのが我らの仕事であった。そんな宮であるので、人とは大変に身近くに生きておった。」

結蘭は、その様を思い浮かべた。確かに、西にもそんな宮がある。輝章は、人の面倒を見て、人のために心を砕く神なのだ。

結蘭が自分を見てじっと聞いているので、輝章は続けた。

「それほどに近いので、我はある日、人の女を見初めた。相手が我を認識出来ておらねばそのまま見守るだけであったろうが、その女は我を見ることが出来た。それから毎日やって来るその女を、我は愛してしまい、ついに宮を出て人として、人世で生きることにしたのだ。」

結蘭は驚いて袖で口元を押さえた。神が、人と…。それほどまでに、その女を想うておられたのね。

結蘭は、その女が羨ましかった。自分は、まだそんなに愛されたことがない。誰かに愛されるとは、どれほどに幸福なことなのだろうか。

輝章は、穏やかに先を続けた。

「我ら神から見たら、人の寿命など一瞬のこと。兄も、強く引き留めることはしなかった。だが、その女は我を愛し、我との間に子が欲しいと言うた…己の寿命は短いが、己が生む半神である子は、我と共に生きることが出来る。ゆえ、己が生きた証として、子を残したいと言うたのだ。しかし、それは女の死を意味する。最初我は取り合わなかった。神世を統べる龍王は、神と人の女との婚姻を禁じている。子を産めば、その女は必ず死するからだ。」

結蘭は、龍王がそれを禁じているのは知らなかった。西の島は、兄の公青が統べていて、兄は禁じていなかったからだ。

「こちらでは…そうなのですね。」

輝章は、驚いたような顔をした。

「西は違うか?公青殿が決めておるからか。」

結蘭は、頷いた。

「はい。時にそのようなことが起こりましてございます。ですが兄は、それに対して何某か言うことはありませんでしたので、禁じておるのではなかったのでしょう。今は龍王様とご交流があるので、どうなっておるのかは分かりませぬ。」

輝章は、頷いた。

「そうか。我もそういったことまでは知らぬのだが。」と、話を戻した。「だが、我はの、その禁忌を破る決心をしたのだ。どう足掻いても、女は数十年で死ぬ。ならば女が生きた証と共に、我は生きて行こうと。」

結蘭は、また驚いた。

「それは…」と、息を飲んだ。「龍王様に、逆らわれたということ…?」

輝章は、頷いた。

「そうだ。戻れば我は罰しられて殺される。兄の宮もただでは済むまい。なので、終生人世に身を置こうと決意して、我は女との間に子を成した。それが、双子の凛と唯で…今は、凛が安芸殿に望まれて嫁ぎ、それゆえに我は、こうして神世に戻って来たばかり。」

結蘭は安芸を知っていた。あの、粗暴で短気な神の王…兄に、反発ばかりしていたが、兄はいつも、困ったヤツだと苦笑するのみだった。結蘭は、しかし安芸が苦手だった。

「…凛様には、大変に気苦労の多い場へ嫁がれて。」

今度は輝章がそれを聞いて驚いたような顔をしたが、すぐに苦笑して、答えた。

「主は知らぬか。此度戦があったであろう。我はその間、まだ許されず病まで得て人世でじっと独り生きていた。月がいつも気遣って様子を見に来てくれておったので、その折戦のことも知った。安芸殿は戦に負けて捕らえられ、こちらへ送られておったのだ。鷹の宮に居たと聞いたぞ。」

結蘭は、では箔翔様に…と表情を暗くした。鷹の宮。良い思い出はあまりないが、安芸は鷹の宮に囚われていたのだ。

「鷹の宮で、大層精進したのだと聞く。我が婚姻の折りにちらと目にした時には、それは落ち着いた堂々とした王であったぞ。主が知る安芸殿がどんなものか我もよう知らぬが、恐らくは安芸殿は、大変に成長されたのだ。凛も、望んで幸福そうに嫁いで行った。我は、凛が西との繋がりを強くするために嫁いだということで、特別に許されてこうして神世へ戻ることが出来たのだ。病も治療され、こうして何不自由なくまた王族として生きている。皆に助けられ、命を落とすことが無かったのだ。」

結蘭は、この穏やかで優しげな輝章が、そんなことを経験していたなど、全く知らなかった。まだ若いこの皇子が、人の女との恋に全てを懸けていたのだ。

「では…愛しておられたその人の女は、もう居らぬのですね。」

輝章は、頷いた。

「20年ほど前のことになるか。黄泉へ旅立ったのでな。しかし、我に二人も子を残してくれたのだ。あれも、母になること、我の長い寿命を継いだ子が生まれることを、それは楽しみに喜んでおったことか。誰が何を言おうとも、我はそれを後悔しておらぬ。我はその時の想いを精一杯に己なりに考えて、そうして決断したのだ。全ては己で選んだ道。死した女を、神世へ戻った今、もう想うこともないが、それでも忘れぬよ。凛と唯が居る限りはの。」

結蘭は、それを聞いて一気に涙を溢れさせた。そう、確かにそうなのだ。自分も、報われない想いにどうしたら受け入れられるのか精一杯考えて、あの時、あんなことを決断した。しかし、あの時の自分には、あれしか無かった。いつもは警戒している碧黎が、ぐっすりと眠り込んでいるその時を、何よりの機と思って行動したのだ。

「我も、あの時は精一杯でございました。ですが、我は大変に後悔しておりまする。あのようなことは、擦るべきではなかった。輝章様とは違い、我は愚かであったのです。皇女として、正気であったなら選ばなかった道でありましたのに。確かに、碧黎様のことは大変に深く想うておりました。しかし、こうなってみて、我はどうしてそこまで思いつめたのか、己でも分からぬのですわ。狂うておったように思えてなりませぬ。」

輝章は、息をついて頷いた。

「そうかもしれぬ。後で後悔するような思いもあることよ。」

結蘭は、それを聞いて頭の中の靄のようなものが、すーっと消えてなくなるような気がした。そう、あの時は狂っていた。碧黎への想いにだけ心を征服された状態で、正常な判断が出来なかった。でも、あの時の自分にとっては、本当に唯一の、そしてあの時だけの機だったのだ。あの時の自分の気持ちは分かる。だが、あれは間違っていたことも、今の自分には分かる。どうして、この恋だけに固執したのか。きっと、箔翔との破談に己の見失っていたその時に、心の隙間にするりと入った救いだったからだ。あの時は、何を信じて何を頼りに生きればいいのか、己の未来も見えなかった。それなのに、碧黎との語らいは、自分に未来を見せてくれた。また、前向きに生きようという気持ちにさせてくれたのだ。あれは、自分にとってあの時は必要だったもの。だが、箔翔とのことを吹っ切れた今、もう必要がないもの…。

「分かったような気が致します。」結蘭は、涙を流しながら言った。しかし、今度の涙は、後悔の涙ではなかった。「碧黎様は、我が立ち直るために、必要なかただった。だから、天が我に与えてくれたのでしょう。でも、そうやって箔翔様とのことから立ち直り、碧黎様に想いを告げる勇気を持つほどに回復した我には、もう必要がないのですわ。それなのに、まだ碧黎様に救いを求めていた我に、甘えるなと、これは天からの声でしょうか。我は、今度こそ碧黎様なしで、己の力でこれを乗り越えなければならぬのですわ。」

輝章は、微笑んだ。

「そうやもしれぬな。」

輝章は、頷いた。結蘭がどう判断するかは、結蘭次第。輝章は、ただ結蘭に、己を見つめ直して欲しかった。

つまりは、これに答えなどない。全ては、己の中にある気持ちを切り替えて、前に向かう力を引き出すための手段だったのだ。

結蘭は、涙を拭いて微笑んだ。

「ああ、何やら胸のつかえが取れたような。ですが我は、これより更に険しい道に、己から向かってしまいました。これよりは、恥知らずの皇女と(そし)られるのを、ただ耐えねばなりませぬ。大きな代償でございまするが、甘えていた己に下された罰でありまするから。甘んじて受けまするわ。」

輝章は、頷きながらも、やつれた様子だった結蘭が、驚くほどに美しいのに息を飲んだ。人も神も、何かを見付けた時はなんと輝いていることか。

「主は、強い。何も知らずに宮で安穏としておる皇女に比べ、どれ程に優れておることか。そのような謗りを、主は受けるような皇女ではないのに。このただ一度の事で…口惜しい事よ。」

結蘭は、寂しげに微笑んだ。

「こうなってしまった以上、仕方がないのですわ。あのまま絶望の中ただ恥じと苦しむことを思えば、我の心持ちは今、大変に平穏でございまする。数十年も経てば、皆の噂にも上らぬようになり、静かに暮らせるようになるでしょう。我はそれを信じて、じっと耐えまするわ。しかし今しばらく、この部屋で気持ちを整理致します。蒼様に、そのようにお伝え頂けまするでしょうか。」

輝章は、一生懸命己を奮い立たせている結蘭に、どうにかしてやれないかと悩んだ。何度も傷ついて、それでも起き上がろうとしているのだ。

「何か、手だてはないものか…。主も、何か考えぬか。」

結蘭は、首を振った。

「侍女に聞いたところによると、我が侍女達が我を探して回っておるよう。もう、無理でございますわ。」

輝章は、考え込んで黙った。そして、時間が欲しいと言う結蘭に別れを告げると、蒼の元へと向かったのだった。

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