三日後
維月は、碧黎の部屋に通いつめ、とにかく碧黎に子供の頃さながらベッタリと過ごしていた。
時に結蘭とすれ違うこともあったが、維月はつんと横を向いて、碧黎は維月が機嫌を悪くするので気付かないふりをして、十六夜や蒼の思惑通り二人で接することは全くなかった。碧黎は、維月が自分から離れないので、それはいいのだが結蘭が絡むとそれは不機嫌になるのに疲れて来ていた。
今日も、維月は自分の腕の中に収まって、隣りにじっと座っていた。それは心地よくていいのだが、ここへ結蘭が来はしないかと、碧黎は気が気でなかった。
維月は、ため息をついた碧黎に言った。
「お父様?私と一緒に居ることに、飽きて来られたのではありませぬか?」
碧黎は、維月を見ると、首を振った。
「そんなはずはあるまいが。子供の頃を考えてみよ、四六時中側を離れなんだくせに。それに比べたら、何でもないことよ。」
維月は、ふふと笑った。
「まあ、確かに。お父様お父様と、十六夜と共によう追い回しましたものね。」
碧黎は、またため息をついた。
「維月…聞いておかねばならぬ。主、あの…あー、何といったか、あの女の名は?」
維月は、苦笑した。本当に覚えるつもりがないのだわ。
「結蘭でございまするか?」
碧黎は、頷いた。
「確か、そんな名であった。西の島の。あやつが近付くと、主はなぜに嫌がるのだ。不機嫌になるゆえ、気を遣ってしようがないわ。」
維月は、ちょっと考えたが、言った。
「お父様を、盗られるような気がするのですわ。だって、とても仲良くなさっておったのでしょう?」
碧黎は、明らかに迷惑そうな顔をした。
「なぜに名も知らぬ女とそのような。あのな維月よ、主は我をよう知っておるのではないのか。普通の神には興味ない。この間も言うたし、常言うておるの。我は主か陽蘭しか相手にせぬのだ。今は主にしか興味がない。地上の生き物は皆、同じ。我がこの身の上で育んでおる命でしかない。主は、己の髪や爪などに婚姻を願うような愛情が湧くか?我にしてはそのような感覚ぞ。」
維月は、息をついた。確かにそうだろう。でも、相手が好きだって言ってるんだとしたら、その髪や爪に気遣った返事が出来るかというと、絶対出来ないだろう。とにかくは、結蘭には碧黎に直接に徹底的な言葉を投げつけられない間に、西へ帰ってもらわないと。
「でも…安心することが出来ませぬの。せめて、結蘭が帰るまで、私の側に居ってくださいませ。」
碧黎は、ふっと鼻から息を吐くと、微笑んだ。
「主の気がそれで楽になるのなら。だが、十六夜が拗ねたりせぬのか?あれはそれでなくても主と我のことを必要以上に警戒しておるであろうが。その気になれば、我に敵うはずもないものを。今の我にその気がないことは分かるであろうになあ。」
維月は、頷いた。
「はい。ですからこうして側に居っても何も言わぬのですわ。お父様が、私をそのようにしようなどと思うておられぬのを、知っておるからですの。」
碧黎は、しかし怪訝な顔をした。
「誠に?…どうも解せぬが、まああれが気にならぬなら良いわ。」と、表情を変えると維月の頬を撫でた。「ほんに困ったやつよ…父が他に盗られるのは嫌か。妬く対象でもないものに妬くでないわ。」
維月は、それを見上げて微笑み返しながらも、思っていた。この反応…どこかで見たことがあると思ったら、維心様と同じなんだわ。
碧黎は、そんな維月を抱き寄せてその気を感じて和んでいる。
これは、十六夜と維心が案じるはずだと、維月は思っていた。
そうやってベッタリと三日、維月は碧黎と共に過ごした。
それでも碧黎は面倒がることもなく、維月の我がままでもよく聞いてあちらこちらへと一緒に出かけた。それでも、他の神の男のように、維月に手を出そうとは本当に全くしなかった。そもそもそんな事はどっちでもいいというのが、碧黎の考えで、十六夜もそんな感じなので、維月はつくづく親子だなあと思った。
結蘭は、ついに片時も碧黎の側を離れない維月のために、碧黎に想いを告げることなくその日を迎えてしまっていた。碧黎に話をと、ついには正式に申し入れてまでいたが、にべもなく断られ、叶えられなかった。
西の宮から来た相留という若い臣下筆頭が、結蘭に膝をついて頭を下げた。
「王よりの命を受け、お迎えに上がりましてございます。どうか結蘭様、輿へ。」
結蘭の侍女達が、気遣わしげに結蘭の方を見る。しかし、結蘭は相留に背を向けたまま、答えなかった。相留は、更に言った。
「王からは、これ以上こちらにご迷惑をお掛けしてはというお言葉でございます。蒼様も、最近急に忙しくおなりで、あまり結蘭様のことまで気遣うことが出来ぬと。王も、なので引き取ろうということになったのでございます。どうか気強くなさらず、宮へお帰りくださいませ。月の宮は、結蘭様の宮ではありませぬから…こちらは、月の眷族の宮でございます。」
結蘭は、ぐっと眉を寄せた。そのようなこと、言われなくとも分かっている。でも、このまま黙って去るなど出来ない。箔翔様にも言いたいことが言えないままに、離縁になって二度とお会いできぬようになった。今度こそ、結果がどうであっても我は、碧黎様に想いを告げてここを去りたいのに…。
「…ひと月待ってはもらえませぬか。その間に、気持ちも整えましょうほどに。此度はあまりに急なことで、我も宮へ戻る覚悟が出来ませぬ。」
相留は、息をついた。
「あちらの宮では、皆が待っておりまする。結蘭様を厭うような者は誰一人居りませぬから。覚悟など、されずとも。」
やはりひと月も引き伸ばすのは無理か。
侍女達が、見かねて進み出て言う。
「結蘭様、あちらも戦の後で大変なことでしょう。結蘭様を悪く言うものなど誰もおりませぬわ。こちらが気に入られておるのは存じておりまするが、また訪問されたら良いのです。王も、王妃様もこちらを気に入っておられるご様子。また参ることが出来ますわ。」
それも、いつになることか。
結蘭は、じっと黙っていた。いくら臣下や侍女とは言って、無理に王族の結蘭を動かすことは出来ない。出来るのは、兄王だけ…。
相留が、他の臣下達と目配せをし合った。
「…では、王がお出ましになられることになりましょう。此度ばかりは、我がままを聞かぬとの仰せでありました。大変にご立腹なさるでしょうに。」
それでも、結蘭は動かない。仕方なく、相留は侍女達に大げさにため息をついてみせると、そこを出て行った。
「結蘭様、これでは王がどれほどにお叱りになられることか。」侍女達が、結蘭を囲んで言う。「お忙しい御身であられながら、こちらにまで足を伸ばされねばならぬのですから。まだ間に合いまする。どうか、相留殿達と共に西の宮へ。」
それでも、結蘭は顔を上げない。侍女達は、今までにないほど強情な結蘭に、戸惑いながらも持て余して、そこを出て行ったのだった。
相留は、結蘭の与えられている客間を辞して、蒼に目通りするために謁見の間で膝をついて待っていた。結蘭は、驚くほどに頑なだった。女神の手本のように美しく嗜み深い結蘭が、まさか王の命に背くとは思わなかった。
相留が、心持ち憤って下を向いていると、蒼が入って来て玉座に着いた。相留は、慌てて深々と頭を下げた。
「表を上げよ。」蒼の声で、相留は顔を上げた。目の前には、若い大きな気の王が座っていた。「主が、新しい筆頭重臣である、相留か?」
相留は、頭を下げ直した。
「はい。蒼様には、初めてお目にかかりまする。此度は、大変にご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ないとの王のお言葉でございます。」
蒼は、苦笑して頷いた。
「良い。オレが受けたことであるしな。して、結蘭殿は何と?連れ帰るのか。」
相留は、申し訳なさげに首を振った。
「申し訳ありませぬ。我の力不足でございます。」
蒼は、目に見えてがっくりしたように椅子の背に身を沈めた。
「そうか。…仕方がないの。公青が来るということになるか?」
相留は、不本意ながら頷いた。
「はい。我が王には、ただ今大変に政務が忙しく、しかしながら、隙間を縫って来ることになろうかと。結蘭様には…帰還に同意して頂けませんでしたので。」
蒼は、考え込む顔をした。では、結蘭は何が何でも碧黎に、自分の気持ちを伝えたいと思っているのだ。しかし、兄王に逆らってまでとは…これは、もっと面倒なことになりそうだ。
「では、致し方ない。公青が来るまで、こちらで預かるゆえ。主はこれより帰って、公青に日取りを知らせてくれるように言うてくれ。」
相留は、蒼に深々と頭を下げた。
「は!よろしくお願い申し上げまする。」
そうして、相留と臣下達は、そこを出て行った。蒼が憮然としてそれを見送っていると、十六夜が脇から出て来て蒼の横に立った。蒼は、それを感じてそちらを見ずに言った。
「…碧黎様が振り向くことなんて、万に一つもないだろうってじわじわ思わせてるって言ってたのは誰だよ。」
十六夜は、肩を落とした。
「そう思ったんだがな。困ったもんだ…あんまりあからさまに仲良くしたり、直接的なことを言ったらまたショックだろうからって、親父がどれほど維月命なのかって見せつける形にしてたんだがなあ…駄目か。」
蒼は、十六夜を見た。
「お嬢様タイプは、一度こうと思ったらこうだから、妄想とか膨らんでて振り向かないはずはない、とか思ってるのかも知れないぞ。まして、神世で嗜み深く美しい女、で通っていた女神なんだ。自分にどこかで自信があるんじゃないか。」
十六夜は、蒼を見つめた。
「なんだ、言葉に棘があるな、蒼。そのお嬢様タイプが好みなんじゃなかったのか。」
蒼は、横を向いた。
「思い込みの激しいのとか、人の迷惑顧みないヤツは別だよ。気の毒だと思ったからここに置いてたけど、ここで精神的にショックを受けたとかで、病気にでもなったらオレも責任を感じるんだ。だから、速く公青に返したいのに。どうにかして、諦めさせることは出来ないのか。」
十六夜は、空を見上げた。
「こうなったら…親父に話してうまく断らせるよりないな。いきなり言われたんじゃなくて、こっちでこう言って断れって言っておいたら、親父だってうまくやるだろう。芝居をさせるのさ。」
蒼は、十六夜を見た。
「でも…何て言わせる?難しいぞ、棘がなく断るのは。まずは碧黎様の演技のうまい下手を見てみなきゃ…物凄いダイコンだったりしたらどうするのさ。」
十六夜は、声を立てて笑った。
「そんな、親父がそんなはず…」と言い掛けて、止まった。「…そういや親父、他人に何かを言わされるとか無いよな。芝居が出来るんだろうか。今まで、自分が思ったようにしか言わないじゃないか。始めから決められた台詞をうまく言えるのか。」
蒼は、顔をしかめた。
「知らないよ!とにかく、碧黎様に話すんだろ?もう、さっさとこんな事は終わらせよう!」
十六夜は、蒼の手前頷いて歩き出したが、とにかくは先に維月に相談しようと、そこを出て行ったのだった。




