月の宮
十六夜は、蒼の居間に腰掛けながら、じっと険しい顔をして一点を見つめていた。そういう時は、十六夜は何かを見ている。ここではない、何かを月から見ている時、十六夜は決まってそんな風だった。
なので、蒼は言った。
「十六夜?何を見てるのか知らないが、なんだってそんなに険しい顔をしてるんだよ。」
十六夜は、ハッと我に返ったように蒼の顔を見て、目を瞬かせた。
「ああ。…いや、オレの思い違いならいいが、面倒なことになってるんじゃねぇかと思ってよ。」
蒼は、首をかしげた。
「面倒?西の騒動が落ち着いて、どこの宮も穏やかなんじゃないのか。」
十六夜は、目を細めて口をへの字にした。
「灯台下暗しとも言うぞ?」
蒼は、にわかに顔色を変えた。
「なんだって?結界の中か?」
十六夜は、慌てて結界の中を見ようとしている蒼に首を振った。
「お前が危惧してるようなことじゃねぇ。オレが言ってるのは、色恋のことだ。」
蒼は、途端に表情を緩めて椅子の背に沈んだ。
「何だよ、そっちかよ。」
十六夜は、ぶんぶんと首を振った。
「安心するのは早い。親父だぞ?」
蒼は、目を見開いた。
「え、碧黎様!?母さんのことを好きなんじゃなかったか?!案外気が多いとか?」
十六夜は、呆れたように蒼を見た。
「あのなあ、それならオレだって別に心配もしねぇよ。維月を持ってかれるとか思わなくていいじゃねぇか。じゃなくて、親父ってもしかしてあれでモテるのかもしれねぇって思ってさ。」
意外にも、蒼はすぐに頷いた。
「知ってるよ。」十六夜がびっくりしたような顔をしたので、蒼は続けた。「あれ、知らないのか?碧黎様を見てる女神は結構居るんだよ。ほら、磁場逆転で姿が若くなったし、なんとなく十六夜に似て、綺麗な顔立ちじゃないか。でもそれだけじゃなくて、神世は力社会だし、力から言うと碧黎様に敵う神なんて居ないんだから、モテるのも道理だろう?だけど、みんなすぐに諦めるんだ。だって碧黎様は、気が向かないと誰も相手にされないんだから。」
十六夜は、知った事実に驚きながらも、それから立ち直りながら言った。
「…そうか、親父はモテるのか。それで、気が向いて相手にしてるときもあったか?」
蒼は、頷いた。
「あったよ。相手って言っても、話相手だけどね。だけど、碧黎様にずっと気が向く話題を出せる女神も居なくてさ。話し掛けて運が良ければ答えてくれるけど、いくら話しても、全く色好い事を言わない碧黎様に、皆諦めるって感じ。」
十六夜は、険しい顔をした。
「でも、もしかしてずっと気が向く話題を出せたら?」
蒼は、キョトンとしながら答えた。
「そりゃ、その度に碧黎様は答えて話されるだろうね。」
十六夜は、真剣に蒼を見た。
「そうなると、相手は誤解するか?」
蒼は、十六夜の迫力に圧されながら、頷いた。
「女神がそうそう男と話す事なんてないしね。しょっちゅう話してたら、誤解するんじゃないか?」
十六夜は、またじっと宙に視線をさ迷わせた。蒼は、明らかに何か見ていると思って、十六夜の方に身を乗り出した。
「十六夜?碧黎様は誰かと話してるのか?」
十六夜は、頷いた。
「預かりものの女神だよ。どうやら来た当初から話してたみたいだ。」
蒼は、目を丸くした…結蘭か!
「え…でも、別に特別に思ってるとかじゃないんだろう?話してても、好きとかじゃないかも…ほら、地だから、包容力あるとか、そんな風に思ってさ。」
十六夜は、蒼をじっと見た。
「ほんとにそう思うか?さっき、親父と庭で話してたら、結蘭がオレ達の所へ来てな。表向き、偶然会ったみたいな顔してたけど、オレ…どうも結蘭が親父が居るのを知って出て来たように思ったんだよな。なんか嬉しそうに親父ばっか見て話してるしよ。何か元気付けてくれたとか何とか言ってたし、親父は分かってないと思うけど、また厄介な事にならねぇか。親父と恋愛は絶対無理だろう。箔翔と破談になって落ち込んでた女が、次に親父っていくらなんでもハードル高いし最悪なんじゃねぇか。」
確かにそうだ。
蒼は思った。いい大人なんだし自己責任なんだろうけど、預かりものって事になってるし、オレの監督不行き届きとかなるんだろうか。そういえば、結蘭は公青が何度言っても帰るとは言わなかった。もしかして…碧黎が居たから?
「…せっかく穏やかにしてたのに!」蒼は頭を抱えて叫んだ。「もう勘弁してくれよ、十六夜!」
十六夜は慌てて手を振った。
「オレじゃねぇ!親父だろうが!」
「同じようなもんだよ!」蒼はうろうろと歩き回った。「こうなったら、一刻も早く公青に言って連れ帰ってもらおう!でないと、今度こそ結蘭は立ち直れないぞ!」
十六夜は、またちらと斜め上を見ると、力無く言った。
「…もう手遅れかも知れねぇぞ?」
蒼は、ブンブンと首を振った。そんなことは考えたくもない。
「いいや!まだ間に合う!だって結蘭は元気だし、碧黎様に恋い焦がれて臥せってるんでもないじゃないか!とにかく、帰す!」
蒼は、いつもとは違う荒々しい様子で立ち上がると、翔馬を探して早足に歩き出した。
「翔馬!翔馬、急ぎ書状を出す!己多を呼べ、持って行かせる!」
十六夜は、仰天してそれを聞いていた。己多は、嘉韻並みに速く飛ぶ。今では月の宮次席軍神で、そんな己多を遣いになど、余程急いでいないと、出さないからだ。
「今更間に合わねぇと思うがなあ…。」
十六夜は、また空を見上げた。
庭では、まだ碧黎は結蘭と話していた。
「では…血の繋がりというものはないと?」
結蘭は、驚いて言った。碧黎は、頷いた。
「ない。我ら神世で月の眷族と言われておる者は、皆命だけしか繋がっておらぬ。神は人と同じように遺伝子とか言うもので繋がるが、我らはそんな造りではない。」
結蘭は、そういえば、と思った。十六夜と維月は双子の兄弟なのに、婚姻関係にある。月の陰陽なので当然のように側に居て、深く考えた事がなかった。
「まあ…では、維月様は…。」
碧黎は、頷いた。
「娘であるが、娘ではない。あくまで同じ命なのだ。ゆえ、我が維月を娶る事も可能ぞ。」
結蘭は、下を向いた。
「でも…維月様には十六夜様も龍王様も居られるでしょう。陽蘭様が引きこもられている今、一般の神は娶ろうとは思われないのですか?」
碧黎は、首を振った。
「殺すであろうからの。耐えられる者も居ろうが、しかし大氣の子を生んだ女は死んだ。我らの気は強すぎるのだ。」
結蘭は、強い視線で碧黎を見上げた。
「ですが、子を生まねば良いのでは?」
碧黎は、あまりに結蘭が必死なので、驚いて後ろへ退いた。
「それは…まあ、そうであろうが。しかし我は別に、そんな障害のある相手など要らぬからの。興味もない。余程に想えば別であろうが。」
結蘭は、何やら決意したような顔をした。碧黎は、何事かとその目を見返していたが、急に眉を寄せて、空を見上げた。
「…なんだ?十六夜が呼んでおる。」と、浮き上がった。「ではの。」
結蘭は、慌てて碧黎を止めようと足を踏み出した。
「碧黎様?お待ちくださいませ!」
碧黎は、宙で浮かんで結蘭を見下ろして怪訝な顔をした。
「何ぞ?」そして、また顔を上げた。そして、パッと表情を明るくした。「おお、維月ぞ!ではの!」
「碧黎様!」
しかし、碧黎は一瞬にして消えた。
取り残された結蘭は、手を握りしめて何もない空を見上げていたのだった。




