嫉妬
先頭の龍が見える。
蒼は、ため息をついた。維心を公式に呼ぶと、いつも大行列になるので、先頭の龍が結界を抜けても、維心が乗っている輿が見えるまでかなり待たねばならなかった。他の客はもう、先に到着して控えの部屋へ収まっているが、それは龍王が招待されているのを知っていて、待たせないためにと時間よりかなり早く来るためだった。なので維心は時間に遅れた訳ではないが、それでも維心の列が結界を抜けたのを知っているのに出迎えない訳にはいかず、こうして長く到着口に立っていなければならなかった。その上維心は、こういう時いつも大量の土産を持参した。宮の威信に関わるので、臣下に大量に持たされるためだった。そして、その土産が乗っている輿の列がまた長かった。
そうして維心が乗っているだろう一際大きな輿が見えた時には、もう20分ぐらい経っていたのだった。
輿は静かに滑り降り、軍神達が左右に布を開いて膝間づくと、維心が降り立った。
「ようこそお越しくださいました、維心様。」
蒼が頭を下げると、維心は軽く返礼した。
「蒼。此度は招待感謝する。」そして、輿の中へと手を差し出し、維月を下ろした。「維月もそれは楽しみにしておっての。大層になるゆえ此度は辞退するかと申したのだが。」
確かに大変な数の供だった。月の宮は龍が建てたのでそれは大きいし、それに合わせて到着口も大きいので何とか入っているが、普通の宮では無理だろう。維月は、拗ねたように言った。
「そんなことを申して、いつもこちらへ来させまいとなさるのですもの。たまには大勢で参っても良いでしょう?」
維心は、維月を引き寄せて肩を抱いた。
「困ったやつよの。そうやっていつも我に無理を通しおって。」
そう言いながらも、特に怒ってもいないようだ。蒼はやっと揃ったと維心を促した。
「では、お部屋の方へ。皆様お揃いですので、半時ほどで宴の会場へご案内致します。」
維心は頷いて歩き出した。
「して、此度は誰が受けたのか?」
蒼は歩きながら答えた。
「はい。志心様、炎嘉様、箔翔がつい先程着きました。後は序列上位二番目まででございます。」
蒼が名前を言ったのは序列最上位の王の全てだった。維心は蒼をちらと見た。
「序列二位は皆来ておるのか?」
蒼は、頷いた。
「はい。いえ…そういえば、九島殿は辞退されておりましたが。他は全て。」
維心は、苦笑した。
「あれは元々あまり宮を出ないからの。運動会ぐらいぞ、あやつが出るのは。」
維月が、蒼を見た。
「ならば公青様も来られてるの?」
蒼は維月を見た。
「来てるよ。公青とは最近よく話すからね。炎嘉様によく似てるとつくづく思うなあ。話題に困らない。」
維心は、面白く無さげな顔をした。
「口先ばかりがたってもの。ま、我はまだ炎嘉の方がましかと思う。」
維月が、クスっと笑った。
「長らくの友であられるから。何と申しても、結局は炎嘉様がお好きであるのに。」
維心は、憮然として維月を見た。
「何を言うておる。ましだと言うただけぞ。」と、急いで蒼を見た。「では、箔翔は渋っていると聞いておったが、来ておるのだな。公青は、もう妹のことは何も言うておらなんだのか。」
蒼は、それには深刻な顔をした。
「いえ…着いて早々に回廊ですれ違いまして。どうやら維明が何か言ったらしいのですが、箔翔は此度の宴に妃の結蘭殿を連れて来たのですよ。しかし、手を取るどころか見向きもせずに、侍女達に任せて自分はさっさと先を歩いておって…そこへ、公青が通り掛かりまして。」
維月は、袖で口を押さえた。確かに何人も妃を連れていたら、正妃が居ない場合、王は誰の手も取らずに歩く。妃の中で格差が出てしまうからだ。正妃が居たら、正妃の手を取る。だが、たった一人しか連れていないのに、さっさと歩いているなんて。
維心が、まるで己のことのように眉を寄せて険しい顔をした。
「それはまた、間の悪いことよ。」
「それでなくとも気にしておったのですものね。」維月も言った。「公青は何か言わなかったの?」
蒼は、困ったように頷いた。
「言ったよ。『これは箔翔殿。父王を倣って、公の場では妃とは接しないと決めておるようだな』ってね。」
維心は、まだ眉を寄せていた。
「確かに箔炎は女嫌いで必要な時だけ外の女に隠れて通っておったよな。しかも、二度と同じ女には通わなかった。」
維月が深刻そうな顔をした。
「それにしても結蘭の前で言うことではありませぬわ。公青様も分かっておられぬこと。余計にこじれてしまいまするもの。」
蒼は維月に頷いた。
「そうなんだ。箔翔は黙って公青を睨んでるしオレもどうしたらいいのか分からなくて、そうしたら、同じように後ろから歩いて来ていた炎嘉様が声を掛けて来てね。」
維心は、呆れたように顔をしかめた。
「なんだ、またあやつは何にでも首を突っ込みよって。」
そこで、維心の対の居間の前に到着したので、蒼は戸を開いた。維心と維月が先に入って行く。蒼は後から入って、維心達が椅子へと座るのを待った。維心は、維月を自分の横に座らせて肩を抱くと、蒼を促した。
「座るが良い。」
蒼は、維心の前の椅子へと座った。すると、維月が言った。
「それで、炎嘉様がどうしたの?」
蒼は、続けた。
「オレは炎嘉様を知ってるから、あれは絶対わざとだと思うけど、公青に今気付いたような顔をして、めちゃくちゃ明るい顔で結構遠かったけど、早足で歩いて来ながら言ったんだ…『お、公青!噂をすればぞ、主のことを話しておった!あちらで樹藤に会ったぞ。主を探しておった!久しぶりに娘に会いたいと楽しみにしておったぞ!』って。」
維心は、あからさまに顔をしかめたが、維月には訳が分からなかった。
「え、樹藤様って誰?」
それには、維心が答えた。
「樹藤は公青の舅よ。あれには二人妃が居るが、どちらにも全く通うておらぬ。臣下が決めて来たからだ。我らと公青の西の大きな島とは最近交流が始まったが、その西の手前にもう一つ島があるのは知っておるな?」
維月が首をかしげると、蒼が耳打ちした。
「淡路島。」
維月は、ああ、と頷いた。
「はい。樹藤様は、そちらの?」
維心は、頷いた。
「そう。我らは西とは関わっておらなんだが、樹藤の島とは関わっておった。その樹藤は公青と関わっておった。そんな訳で、公青と樹藤は縁戚として友好関係を結んでおるのだ。当然のことながら、炎嘉は、それを知っておる。」
維月は、口を押さえた。
「まあああ…じゃあ、公青様は、ご自分も妃の手を取らずに歩いておったの?」
蒼は、首を振った。
「いいや。連れても来てなかったんだ。」
維月は、目を丸くした。維心が、呆れたように言った。
「炎嘉も嫌味なヤツよな。分かっておってそのようなこと。」
蒼は、しかし首を振った。
「いいえ、維心様。そのお蔭で公青はそれ以上何も言わずにその場を離れました。炎嘉様があれ以上近付いて来て、突っ込んだ話をされるのが嫌だったみたいで。」
維月は、憮然として蒼に言った。
「自分のことを棚に上げて。私、公青様のようなタイプは好きになれないわ。炎嘉様と公青様は、全然似てないと私は思うわよ。炎嘉様は、ご自分のことはよくわかっていらっしゃるもの。そこまで自分勝手なかたじゃないわ。」
蒼は、維月が機嫌を悪くしたので、自分が叱られているような気になって落ち着かなかった。しかし、維心が言った。
「維月、それは炎嘉が主の好みだということか?」
目が怒っている。蒼は焦った。だからどうしてそこに着目するんだよ。母さんは炎嘉様のがましだって言いたいんだと思うんだけど。
維月は、見上げる維心が憤然としているので、驚いて言った。
「好み?あの、どうしてそのような。ただ、公青様が嫌いなタイプだと申しておるだけですわ。」
維心は、首を振った。
「だから公青は嫌いだから、炎嘉と似ておらぬと、つまりは炎嘉は好きなのではないのか。許さぬぞ、維月!」
維月は、ため息をついて言った。
「もう維心様ったら!違います、別に友として好きでもいいではありませぬか。維心様だって炎嘉様を好きでしょう?友として。」
維心は、ぶんぶんと首を振った。
「男女は違うであろう!男に女の友など、神世では聞いてことがないわ!炎嘉に情が湧いておるのではないか?許さぬ…やはり、いくら取り決めでも年に二度もあちらへ行かせるから、主もそのようなことに…。まさか心を通わせておるのでは…。」
維月は、怒って立ち上がった。
「どうしてそのようなことばかり考えまするの!維心様を愛しておると言うておるのに、前世今生合わせて数百年一緒なのに、まだ信じてくださいませぬのね!」
維心は、維月を見上げた。
「分かっておるが、気が変わるやもしれぬだろうが!人の記憶があるのだからの!」
蒼は、おろおろと二人を代わる代わる見た。前世も大概だったが、今生は更にパワーアップした夫婦喧嘩なのだ。龍と月の夫婦喧嘩など、誰が止められるだろうか。
「ご自分で私をあちらへ寄越すとお決めになっておいて、勝手ですこと。」維月は、ふいっと横を向いて、歩き出した。「お互いに頭を冷やさねば。宴に席へは参りませぬ。私の部屋へ帰りまする。」
ここは月の宮なので、維月の部屋もある。正確には、維月と十六夜の部屋なのだが。
「許さぬ!」維心は立ち上がった。「此度は里帰りではない!主は我の妃として側に居るという取り決めぞ!ゆえ連れて来たのだからの!」
そういうことだったのか、と蒼は思っていた。維月は、それには一瞬バツが悪そうな顔をしたが、すぐに表情を引き締めて振り返った。
「ですが、維心様は炎嘉様と私のことを心が通い合っておるとか疑っておられるのでしょう?このまま宴に出たら、炎嘉様もお席にいらっしゃいますのに、維心様も冷静で居られぬのではありませぬか?月の宮の催しを、乱したくはありませぬもの。」
維心は、黙った。確かにそうだったからだ。蒼が、どうしようとおろおろと維心と維月を見ていると、パッと突然に碧黎が現れた。
「!!」
三人は仰天した。何度見ても、突然に現れるのだけは慣れない。蒼が、胸を押さえて言った。
「碧黎様!急に出て来るのを禁じると言ったじゃないですか!」
碧黎は、涼しい顔をした。
「ああ、つい癖での。主が居るとは知らなんだ。」と、維月の手を取った。「おお我が娘よ。よう戻ったの。最近はついぞ父に顔を見せておらぬではないか。さ、参れ。十六夜が月見だというのに主が居らぬとぼやいておったゆえ、今日ぐらいは共に居るが良いぞ。久しぶりに父と三人でゆっくりと話そうではないか。」
維心が、足を踏み出した。
「待たぬか!まだ話をしておったのだ。」
碧黎は、ちらと維心を見た。
「何の話ぞ。維心、神世では舅は尊重するのではなかったか?まして己より力を持つ舅となれば尚のこと。」
維心は、グッと黙った。碧黎には逆らえぬ…こやつは何を言い出すか分からぬ。我から維月を取り上げる力を持っている。
維心は、碧黎を睨んでいたが、大きく深呼吸すると、言った。
「…ならば、夜には我の部屋へ。此度は龍王妃として戻ると約してこちらへ参ったのだ。里帰りではない。維月とは、きちんと話をせねばならぬ。」
碧黎は、面倒そうに横を向きながらも、言った。
「分かったわ。面倒な男よな。誰を思う思わぬと、無理に繋ごうとすれば余計に離れるとなぜに分からぬか。」と、維月を見た。「さ、主も。何でも感情で決めるでないぞ?主とて同罪であるからの。」
聞いてたのか。
蒼も、維心も維月も思った。きっと、だから来たのだ。
「はい、お父様。」
維月は珍しく殊勝な表情で言うと、碧黎の手を取った。碧黎は頷いて、また出た時と同じように、パッと消えて行った。
蒼は、維心がため息をついて椅子へ座るのを見て、今日の宴は荒れるかもな、と覚悟していたのだった。