数ヶ月後
維明は、最近殊に考え深くなって来た翠明に、感心していた。
たった一人、敵地へ送られて気を奪われ、そうして知らぬ宮の知らぬ皇子について歩く心持ちはどんなものなのか自分には分からないが、普通の精神力では無理だろう。だが、翠明は来てひと月ほどで、急に変わった。頑なな感じが取れて、いつなり自分の判断などを興味深げに聞いていて、後でいろいろと質問するのだ。時に、驚くような目線から見ていて、びっくりさせられることがある。
維明は、前世の記憶を戻したとはいえ、それでも前世は引きこもっていたので、政務には関わっていなかった。なので、前世今生あわせても政務に関してはまだ素人のようなもので、今生の父である維心の考えに沿うように努力をしていた。しかし、未だ分からぬことも多く、答えに窮することもあった。
まさに、今日がそうだった。いつものように維明が政務を代行するのを横で見ていた翠明だったが、ある宮のことで采配をした際に、どうやら考えが違ったらしく、それがなぜかとしつこく聞かれたのだ。
維明なりにその考えに至った経緯を話したのだが、どうも納得できなかったらしい。何度も自分はこう思うと理由と共に話すのだが、維明も負けじと反論した。それで、最後には黙ったが、それでもやはり、納得出来ていないようだった。
さすがに、もう少し話を聞いてやった方がいいかもしれない、と思った維明は、翠明の部屋の前に到着し、侍女に取次ぎを頼もうとした時、中から話し声が聴こえた。維明は、何だろうと思わず耳をそばだてた。
「…なので、我はどうしたら良いのか分からぬのだ。」
翠明が、いつも突然にやって来て、僅かばかりしか居ない維月という侍女に言った。維月は、頷いた。
「そうですわね。維明様では限界もあろうかと思いまするわ。まだ王ほどご経験もおありでないし…では、王とお話をしたいとお思いですか?」
翠明は、頷いた。
「お忙しいのは分かっておるが、それでも維心殿と話してみたい。主、問い合わせてもらえるか。」
維月は、頷いた。
「はい。王はわからずやではありませぬから、きっとお時間を頂けるかと思いまするわ。」
維明は、それを見て仰天した。そして、思わず叫んだ。
「維月!いったいここで何を…」
維月は、びっくりして立ち上がった。維心かと肝を冷やしたが、立っていたのは維明だった。
「ああ…驚いたこと。翠明様、では失礼を。」と、急いで維明を外へと押し出した。「維明様、こちらへ!」
ぐいぐいと押されて、部屋の外へと押し出された維明を、翠明は呆然と見ていたが、何も言わなかった。維月は、そんな翠明に頭を下げると、戸を閉めて、維明の腕を引いて今度は脇の部屋へと押し込んだ。
「維明様、あの、理由があるのですわ!」
維明は、慌てたように言った。
「何の理由ぞ!維心に知れたら何とするのだ。王妃が、罪人の部屋で何をしておるのだ!」
維月は、首を振って必死に維明を留めた。
「分かっておりまするけれど、侍女だと思うておりまするから。あの、翠明様は今気を感じ取れないので、私のことも何も気付いておられませぬ。こんなところへたった一人で来られて、きっと心細くなさっておいでだろうと思って。維明様だって、最初全く何もお教えにならなかったではありませぬか。」
維明は、それはそうだが、と口ごもった。
「それは…あれが何も聞かぬからぞ。困ったやつだと思うておったが、しかし最近は…」
維月は、頷いた。
「私がいろいろと勧めてみたのですわ。お話を聞いて、やはりお悩みであったから。それからは、とても前向きに己を変えようとなさっておられるでしょう?学ぶ姿勢が最初とは違うと思うのです。」
維明は、険しい顔をした。
「それでも、王妃が侍女の真似などしてはならぬ。幸い、あれは変わって来ておるし、ここへ来ること、今後一切ならぬぞ。そうでなければ、我が維心に申して、公にするからの。」
維月は、普段はきちんと息子として過ごす維明が、前世の維明そのままの様子で怒っているので、罰が悪そうに下を向いた。
「維明様…そのように、お怒りにならないでくださいませ。少しでも、翠明様の力になってあげたかっただけですの。あのままでは、宮が危ないと思うたので。維心様も我関せずでいらっしゃるし、維明様は興味もなさげであられるし、私がここへ来ていろいろと折に触れて話しておらねば、こうはならなかったと思いまするわ。もっと親身になって差し上げてくださいませ。」
維明は、険しい顔のまま、言った。
「分かっておる。なので様子を見に参ったらこれだったのだ。だが、本当にこれ以上はならぬぞ!分かったの。」
維月は、渋々ながら頷いた。
「はい、維明様。」
維明は、ふーっと息をついて、維月に手を差し出した。
「では、奥へ。維心が謁見から戻る前に着替えて準備せねばならぬ。あやつが怒ったら並ではなかろうが。」と、維月の手を取って、早足に歩き出した。「さあ母上。お部屋へお戻りを。」
維月は、いつもの維明に戻ってホッとしながらも、確かに維心が戻る頃だと、急いで維明について、奥宮へと急いで戻ったのだった。
急いで侍女の装いを解いて普段の着物で居間へと戻ったが、維心はもう戻っていて、不機嫌に維月を見た。
「…どこへ行っておった。本日は主も何も責務はあるまい?」
我が戻って来る時間を知っておるのに、とは維心は言わなかった。だが、維月には言外にそれが含まれているのを感じていた。
「申し訳ありませぬ。」維月は、素直に謝った。「つい、侍女達を時間を過ごしてしまいました。」
維心は、それを聞いてまだ不機嫌なまま、黙って手を差し出す。維月は急いでその手を取り、維心の隣りにいつものように腰掛けた。
「王妃が、そのようにふらふらとしておってはならぬ。まして今は預かり物が多い宮の中。一人で居る時に姿を見られでもしたら何とする。いつも言っておろうが。それでなくとも主には、宮の中を自由にしておって良いと特別に許可しておるのだ。弁えよ。」
維月は、息をついた。確かに、妃は奥宮から出ないのが通例なのだ。それが、宮の中をふらふらしていいと言われているのだから、維心が怒るのも道理なのだった。これで、維月が侍女の格好などで翠明の話を聞きに行っているなどと知れたら、それこそ維明の言う通りどれほど怒るか分からない。維月は、大人しくしておくのに越したことは無い、と思い、頷いた。
「はい。これからはこのようなことがないように致しますので。」
維心は、珍しく素直な維月に、ふっと笑ってその肩を抱いた。
「もう良い。それよりも、何を話しておったのだ?主が話しに夢中になって、我が戻るのも忘れるなど珍しいの。」
維月は、維心を見上げた。
「はい。維明の侍女などから、本日維明と翠明様が、何やら言い争っておったと聞いたのでございますわ。維明の采配で、気になることがあったらしく、考え方の違いからのようでございますけれど。」
維心は、眉を上げた。興味を持ったようだ。
「ほう?あれには本日会合に出るように申しておったのだが、それかの。何のことについてか?」
維月は、頷いた。
「はい。実穏様の宮の件で、維明が申したことと、翠明様が思っておったことが違ったようで、なぜにそうなるのかと、お互いに考えを述べ合って、それでも納得出来なかったようだったとこのこと。結果的に翠明様が黙ることでその場は収まったようでございまするが、恐らく、まだ翠明様は理解できておらぬのではないかと思いまする。」
維心は、ふーんと考え込む顔をした。
「実穏…ならば隣りの麻衣との諍いの件であろうな。簡単であろうから、維明に任せて良いかと捨て置いたが、そういえばどうなったのかまだ報告を受けておらぬの。」
維月は、維心をじっと見た。
「私は詳しいことは知りませぬが、翠明様には、恐らくご納得行く説明が欲しいのではありませぬか?維心様が、少し話を聞いておあげになってはどうかと、私は思いましてございます。」
維心は、じっと考えていたが、維月と目を合わせて、頷いた。
「…そろそろ、いいかもしれぬの。我の話しも少しは理解出来るほどに成長したのか見てやるのもな。」と、侍女を見た。「翠明を呼べ。」
侍女は、頭を下げて出て行った。維月は、それを見て慌てて立ち上がった。
「では、私は失礼を。次の間に控えておりまする。」
いくらなんでも、こう何度も顔を合わせていたら、翠明は維月の顔を覚えてしまっているだろうからだ。ここで王妃と知れて、大騒ぎされたら維心にばれてしまう。
維心は少し驚いた顔をした。いつもこういうことには、首を突っ込みたがる維月が、すんなり引っ込むと言うからだ。
「そうか。主も少し反省したのだの。確かにあまり何度も他の男に姿を晒すのは良うない。奥へ入っておれ。」
維月は微笑んで頷くと、頭を下げた。本当はホッとしたのだが、維心にはそれが分からない。
維月は、そのまま奥の間へと入って行った。
そして、そう待つこともなく、翠明が居間へ訪れたのだった。




