嘆願
箔翔は、突然に居間へ飛び込んで来た安芸に、驚いて言った。
「どうした。何かあったのか。」
安芸は、気を使えないのに必死に走って来たため、息を乱したまま言った。
「箔翔。公青に連絡を。今すぐ、我があれの思う通りに学んでおるか、審査を。」
箔翔は、驚いたまま言った。
「何を言うておるのだ。まだここへ来てひと月ほどであろうが。主には一年の猶予が与えられておるのだぞ。まだ無理だ。」
安芸は、首を振った。
「そんな悠長なことを言うてられぬのだ!」
箔翔は、安芸の剣幕に何かあったのだと悟り、椅子へ座り直して、言った。
「座れ。何があったのか話すのだ。どうせ今すぐ連絡したところで、公青の返事が来るのは明日ぞ。」
安芸は、憤った顔をしたが、それでも箔翔の前の椅子へと乱雑に座った。箔翔は、言った。
「先ほどまでは何も申しておらなんだものを。何があった。」
安芸は、じっと箔翔を睨んでいたが、口を開いた。
「主は、凜の事情を知っておるか。」
箔翔は、輝章のことを言っているのだと、うなずいた。
「あれは、主に話したのか。」
安芸は、頷いた。
「話そうとせなんだゆえ、無理にの。いつもは快活なあれが、涙を流しておったゆえ。」箔翔が、片眉を上げる。安芸は続けた。「あれの父が、悪うなったそうだ。月が知らせて来たのだと。」
箔翔は、驚いた顔をしたが、直に納得したように言った。
「知らなんだが、確かにそろそろそうなる時期か。しかしあれは、どうしようもないことなのだ。龍王が禁じておることをしたのであるからの。龍王自身にも、どうすることも出来なんだ。あれで済んでおるのも、龍王が知っていながら見て見ぬふりをしておるから。公にしたら、全て罰することになるのだ。」
安芸は、じれったげに頷いた。
「知っておる!だから、我が気を取り戻し、我が宮へ連れて参ろうと言うのだ!我はこちらの神ではない。公青が禁じておらぬことなら、出来る!」
箔翔は、厳しい顔で首を振った。
「主が戻ればであろうが。今の主ではまだ無理ぞ。いくら成長しておるとはいえ、公青が満足するレベルにまで達しておらぬと我は思う。せっかくにうまく行っておるものを、急いてはしくじることになるぞ!」
安芸は、ぎりぎりと歯を食いしばった。
「成長とは何ぞ。主とて我と差ほど変わらぬではないか。全ては我が性急に事を運ぼうとしたため起こったこと。我の責ぞ。分かっておる!戻りたいのだ…今ほど王に戻りたいと思うたことはないわ!」
箔翔は、首を振った。
「仮に主が力を戻し、宮へ戻ったとしても、公青が維心殿の禁じておることを良いと言うとは思わぬ。主にあちらへ凜の父の輝章を連れて参る権利などないのだぞ?」
安芸は、それを聞いて、それを忘れていたと拳を握り締めた。確かに、公青は龍王の傘下に入った。自分は直接に龍王に管理されていないとはいえ、公青には管理されている。公青は、今回も龍王の手を借りていた。つまりは、龍王の考えに従うと見た方が自然だ…。
「では、どうすれば良いのだ。」安芸は、箔翔を見ずに言った。「凜は、皇女であるのにあのような苦労をしておるのだぞ。その上父を見殺しにせねばならぬとは、あんまりではないのか。」
箔翔は、視線を下へ落とした。
「分かっておる。我とて同じように思うた。だが、どうしようもないのだ。凜が、何か世に関わるような重要な神であったなら、それを生み出すためだったという大儀の上に、許されるとは聞いたが…。」
安芸は、はたと顔を上げた。
「…どういうことぞ。」
箔翔は、安芸を見た。
「我は、人の女から生まれておる。」安芸が驚いたような顔をした。箔翔は苦笑した。「鷹は、誰から生まれようと生粋の鷹。我が父が禁を犯したのに罰しられなかった意味を問うたのだ。すると、鷹を継ぐ神を生み出したからと。つまりは、世に大きく関わるような神を生み出すためならば、許されるのだと。父の罪は、その子次第なのだと聞いた。」
ならば凜はない。
安芸は思った。皇女で、しかも第二皇子の子。世に関わるようなことは…。
「…せめて少しでも延命は出来ぬのか。少し伸ばすだけで良い。それまでに…考えるゆえ。」
箔翔は、しばらく黙ったが、頷いた。
「考えてみようぞ。僅かでも伸ばせるのならの。」
安芸は頷くと、重い足取りでそこを出て行ったのだった。
蒼は、ひと月代わりでやって来る軍神達を、いちいち一人一人に月の宮の軍神を付けて、ただ技術を指南させていた。それぐらいしか思い付かなかったからだが、案外に皆素直で黙々と指南を受ける。そうして月の浄化の力にすっかり洗い流される頃、名残惜しげに帰り、また次の軍神がやって来る、という状態だった。
今は第二班が来ている状態で、まだ一週間ほど、皆緊張感が残っているような状態だった。それでも早々と慣れて来ていて、少しホッとしていた。
十六夜が、蒼の居間へとやって来て、書状を手に物思いにふけっている蒼に言った。
「蒼、うまく行きそうじゃねぇか。第一班が案外に短期間で馴染んでたから、行けそうだなと思ってたが。」
蒼は、笑って頷いた。
「良かったよ。維心様がここは浄化の気が常に降ってるから、よっぽどでなければ攻撃的になることはないって言ってたけど、本当だった。そもそもみんな、王の命令に従って襲撃していた軍神だから、根っから悪い神なんて居ないとオレは思うんだよな。」
十六夜も、頷いた。
「ああ。確かにそうかもな。」と、蒼の手の書状を見た。「で、維心は何て言って来た?」
蒼は、苦笑した。
「これは維心様からじゃないよ、母さんだ。維心様がこっちへ公式にあのことについて、何か言えるはずないじゃないか。母さんが、オレへの挨拶って感じで書いて寄越したんだ。」
十六夜は、面倒そうに顔をしかめた。
「わかってらぁ。神世ってのはそういうのがうざったるいんだよ。維月からだって維心が言ってる内容を書いてるんだろうが。何て言ってるんだってぇの。」
蒼は、せっかちな十六夜にため息をついて言った。
「…とにかく、分からないようにしろってさ。あまり長生きしたら、それこそ輝章殿自身がつらいから、どうにもならないことならば、そのままにしてやった方があやつのためだ、と維心様は言っているらしい。」
十六夜は、立ち上がった。
「わかってるって。どうにもならないんだったらだろう。もしかしたら、どうにかなるかもしれねぇじゃねぇか。箔翔だって、安芸だって、どうにかならないか考えてやってるんじゃねぇか。オレは箔翔から聞いた時、安芸も捨てたもんじゃねぇなって思ったもんだ。」と、歩き出した。「じゃあ、急ぐから。治癒の対のヤツを借りてくぞ。ちゃちゃっとちょっと治療してくらあ。」
蒼は、慌てて言った。
「完全に治療しちゃったらダメだぞ!それこそ治ったのに神世に戻れなくて、長い寿命のまま人世でたった一人で生きなきゃならなくなるんだから!いくらなんでも、輝章殿が気の毒だからな!」
十六夜は、ちらと蒼を振り返った。
「だから分かってるって。オレだって神世のことは学んでるよ。じゃあな!」
十六夜は、出て行った。蒼は、書状を折り畳みながら、ため息をついた。確かに、十六夜に言うのが手っ取り早いから箔翔は月に向かって言ったんだろうが、十六夜は何をするか分からない。自分がいいと思ったら、きっとダメなことでもしてしまうのだ。
蒼は、何か解決策をと常にどこかで考えているのだが、それでも先が全く見えないことに、諦めかけていたのだった。




