鷹の宮では
箔翔は、毎日を面白くなく過ごしていた。毎日を訓練場で過ごすが、軍神達相手では自分の技など伸びるはずもなく、焦りばかりが先に立って少しも充実しなかった。同じぐらいの歳の維明があれほどの技術を持ち、それでもまだ皇子なのを考えると余計に焦燥感は募った。たまに帰って来る帝羽に勝っても、それが何だろうと思った。箔翔は、どうすれば一人前と認められる王になれるのか、全く分からなかったのだ。
そんな箔翔が、今日も訓練場から不機嫌に戻って来ると、回廊の脇から聞いたことのある声がした。
「箔翔様!」
箔翔は、そちらを見た。そこには、凜が手に茶器を持って立っていた。
「凜?」箔翔は、驚いて言った。「何ぞ、主は我が宮で何をしておる?」
凜は、微笑んだ。
「はい。月の宮からは龍の宮や白虎の宮、それにこちら鷹の宮へと定期的に侍女を行儀見習いとして受け入れて頂いておるのでございます。私は、此度の募集に応募して、こちらへ参ったのですわ。」と、甲冑姿の箔翔に、言った。「箔翔様には、訓練の帰りでいらっしゃいまするか?」
箔翔は、ため息をついて頷いた。
「ああ。ここのところ毎日であるが、一向に進まぬのでいらいらしておった。」
凜は、苦笑した。
「玖伊様にも、王が毎日険しいお顔をなさって、軍神達に稽古をつけられるので、軍神達は必死に毎日居残って精進しておるのだとおっしゃっておられましたわ。どうやら、戦の時に軍神達が不甲斐ないのを憤っていらっしゃるようだと。」
箔翔は、同じように苦笑した。軍神達が不甲斐ないと?そんな風に思っておるのか。
「…そうではないのだ。我は己の不甲斐なさに憤っておるだけのこと。そもそも軍神達は、戦の時は樹籐殿の宮で待っておっただけであるからの。この宮で戦場へ行ったのは我だけぞ。」
凜は、首をかしげた。
「まあ。ですが誰も箔翔様には敵わぬと聞いておりまするのに。」
箔翔は、首を振った。
「いいや。我は王の中では新参者で、特に最高位の宮の中では一番若く経験も少ない。戦の経験もなく、此度が初めてであったしの。なので、そんな己に憤っておるのだ。」
凜は、それを聞いて、手元の茶器を見て、言った。
「そのような…誰にでも、初めてはあるものでございます。私だって、まだ神世に来て一年ほどでありまするし、礼儀だって話し方すら習わねばなりませんでした。父も、そんなことは教えてくれておりませんでしたし、まさか神だなんて、知ったのもつい最近であるぐらいで。ですが、皆時に叱りながらも、親切に指導してくれるのです。そうやって、一歩一歩進むしかないと思うておりますから。」
箔翔は、それを聞いてそうだったと思い当たった。凜は、今でこそこんな風に侍女らしくしているが、つい最近神世へ来たばかりなのだ。よく考えてみると、凜は自分が王であるからと構えることなくこうして話しかけて来るし、気取りも無い。それに、はっきりと物を言う。なので、箔翔も構えることなく、普通に話すことが出来た。今も、びくびくと腫れ物に触るような接し方をする玖伊や自分の侍女達にではなく、凜には素直に理由を話すことが出来た。それは一重に、凜が人世から来て、神らしくないからなのだ。
「…そうよな。主も、こうして己を高めようと我が宮に来ることを、蒼に申し出たのであるからの。」
凜は、それには笑った。
「まあ、それは違いまするの。」箔翔が驚いていると、凜はふふと笑った。「月の宮でも満足に務まらない私が、他の宮でうまくやって行けるなんて思ってもおりませんでしたし、本当ならやっと慣れたあちらを離れたくなかったのですの。でも、月の宮ではここほど誰付きの侍女、というのが居りませぬので、そうそう侍女を宮へ採用しないのでございます。私は特殊な事情があって王が何とかしてくれようとしてくださったので、こうして侍女になれましたけれど、唯などは遅れてしまったので、今では屋敷で縫い物の仕事などを時々に頂ける程度。鷹の宮へ来れば、出張手当が出るので少し多めに宮から配給が来るので、助かりますの。なので、私はこちらへ参ったのです。生活のためですわ。」
そう言って高らかに笑う凜を、箔翔は唖然として見た。神の女は、生活のためとか例えそうでも面と向かって言わない。まして王に、そんなことは言わないものなのだ。
箔翔の様子を見て、凜はハッとしたように口を押さえた。
「まあ失礼を。私ったら、常の調子でお話をしてしまって。」
箔翔も、我に返って首を振った。
「いや、驚いただけよ。そんなことを言う女は居らぬしな。」
凜は、罰が悪そうに言った。
「他の神も、そのように。ですのでせっかくに寄って来た軍神達も、すぐに眉をひそめて去って行くのですわ。まあ、神世では私は嫁に行けないということなので、妹に期待しております。そうしたら、まとめて面倒を見てくださるかと思って。」
箔翔は、確かに神の男の好みではないであろうな、と思った。そもそも、こんなことを口に出して言うことすら、女神にはないのだ。
なので、箔翔も笑った。
「他力本願であるの。主も楽はしたいか。」
凜は、怒ったように言った。
「まあ!楽とは違いまするのよ、神世は何かと怖いでしょう?なので、守ってくださるかたが要ると思うたのですわ。私なんて、父があのようなので、孤児扱いでございましょう?変わったもの好きのつまらない神なんかに連れ去られて、後は放って置かれてなんて、耐えられませぬもの。それに、私だって立派なかたなら嫁ぎたいですわ!そんな相手が居らぬからではありませぬか。他力本願だなんて、もう。」
凜は、ぷうと頬を膨らませて横を向いた。箔翔は、笑いすぎて涙が出て来たが、それを拭って言った。
「わかったわかった。もう言わぬ。それより」と、凜が持つ茶器を見た。「どこかへ茶を淹れに行くところだったのか?」
凜は、首を振った。
「いいえ。これは片付けて置こうと思うただけですわ。」
箔翔は、頷いて庭を指した。
「あちらのテーブルで、茶を淹れてくれぬか。そういえば、我は喉がカラカラであるわ。」
凜は、笑って頷いた。
「お茶だけは、うまく淹れられるようになったのですわよ?」
そうして、箔翔は庭のテーブルで、凜の茶を飲みながら、またしばらく凜と話していたのだった。
そしてそれに、とても気持ちが楽になるのを、箔翔は戸惑いながら感じていた。
維心は、膝をつく義心に言った。
「そうか。では、相良他重臣は一斉に代替わりとなったか。」
義心は、頷いた。
「は。あの企てに関わった重臣達は皆、公青様の許可なくして結界を出ることを禁じられ、そうして結界内に居る間は、公青様によって力を極限まで抑えられて、人に近い状態で生活することになりまする。軍神達も然り。ただ、隼は筆頭に残されました。」
維月が、維心の横でホッと息をついた。
「どちらにしても、誰も命を落とさず良かったこと。相良も、真に反省しておるようだったし、これからは静かに暮らせば良いのではないかしら。」
維心は眉を寄せながら言った。
「して、翠明達の沙汰はまだか。」
義心は、頷いた。
「は。敵の軍神達もまだ繋がれたまま、段々に消耗して来ておりまするが、それでも生きてはおりまする。王達は地下牢に繋がれたままでございます。」
維心は、息をついた。
「…ならぬな。あまり長く放って置くと、また追い払った軍神達が、王を取り返そうと捨て身で攻めて参ろう。龍軍が居るゆえまだ来ぬが、そのうちに主らが居っても来る。」
義心は、また頷いた。
「は。我もそのように。公青様には、しかしまだお悩みのご様子。」
維心は、義心に言った。
「では、主は戻って我が急げと申しておると伝えよ。これ以上龍軍を駐屯させるわけには行かぬゆえ、撤退を考えておるゆえとな。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そして、そこをサッと出て行った。維月はそれを見送りながら、心配そうに言った。
「公青様には、あの二人を殺すに忍びないと思われておるのでしょうね。」
維心は、維月の肩を抱いて、頷いた。
「そうであろうな。だが、それより他に良い策が出て来ぬのだろう。あれの祖先も、我と同じようにしてあの地を平定したのだと聞く。つまりは、公青もそれを知っておるのだ。今、同じことをして地を平定し直さねばならぬのに、あれは甘いの。情が湧いておるのだろう。困ったことよ。だが、我の地ではないゆえ…なるべく口は出さぬつもりであるがな。」
維月は、頷いた。あれから、もうひと月近く経っている。このままでは、確かに戦が再び起こることになってしまう…。
そして、恐らく公青もそれを知っているのだ。




