子のため
奏は、顔をしかめて治癒の者達に囲まれていた。公青は、地に足をつけて大股にそれに歩み寄った。
「奏!おお、今朝はなんともなかったというのに。」
奏は、痛みが去るのを待って、公青の手を握った。
「実は、明け方より少し痛むとは思うておったのです。でも、出産の前にもそのように痛むことがあったので、またそれかと思うて様子を見ておったのですわ。それが、先ほどより強くなって参って。」
そこで、また奏は顔をしかめた。治癒の者が言った。
「奏様は大変に我慢強いかたでございまする。来られた時にはもう間隔も短くおなりで、数刻でご誕生かと。」
公青は、目を丸くした。もっと掛かるのではないのか。
「…これからなら、夕刻ほどになるかと思うておったのに。」
治癒の者は、首を振った。
「明け方から始まっておられたのです。」と、公青を促した。「さあ、もうご出産の準備を整えまするゆえ、殿方はお出になってくださいませ。」
公青は、仰天した。
「何と申した?我は出よと?」
治癒の者は、頑として譲らなかった。
「はい。殿方が居っても何のお役にも立ちませぬゆえ。さあ!」
ぐいぐいと押されて、公青はそこから追い出された。公青は、閉じられた戸に向かって言った。
「奏を一人にするなど!」
しかし、中からは声がした。
「一人ではありませぬ。我らがついておりまするから。」
公青は、呆然と戸の前に立ち尽くした。子の誕生には、立ち会えるものだと思うておったのに。
すると、後ろからポンと肩を叩かれた。
「出産の時は、そうなんだよ公青。オレだって、何度戸の前で待たされたか。」
公青は、呆然としながら振り返った。蒼が居て、苦笑していた。
「だが、龍王でも己の子の誕生は皆立ち会ったと言うておったぞ。我はなぜに叶わぬ。」
蒼は、頷きながら側の椅子へと促した。
「維心様は、治癒の龍を怒鳴り散らして自分は出ないと言い切ったらしいからな。母さんの側を離れたくない一心だったようだが、常にそうなので、維心様に限っては出産は立会いだって決まってるみたいだ。」
公青は、落ち着かない様子で産所の方を見やった。
「奏が我の子を生むために苦しんでおるのに。側にも居てやれぬとは…。」
蒼は、公青の顔を覗き込んだ。
「初めての子だったよな。」そこで、ふと思った。「そういえば、公青って幾つなんだ?」
公青は、なぜに今かと気のない風に答えた。
「我?我は700。」
蒼は、びっくりして目を丸くした。
「え、700?!オレと差ほど変わらないのか?!」
公青は、蒼があまりに驚くので、怪訝な顔をした。
「老いが止まっておるからの。我ぐらいの力の王なら、仮に軍神でもそうだろう。何を今さら。」
蒼は、確かにそうだけど、と思っていた。それにしても、王が700歳でまだ一人の子も居ないなんて。維心は前世そうだったが、あれは特殊な例だった。臣下がうるさかったはずだ。
「そうか…700歳で初めての子か。それは気にかかるな。」
公青は、ますます眉を寄せた。
「別に歳は関係あるまい。だが経験がないので、いつも以上に不安にはなっておる。」と、また戸の方を見た。「数刻と言うておった…その時は早いと思うたが、しかしここで待つなら話は別ぞ。そんなに長い間、離れて案じておるなぞ。」
公青は不満げにそう言った。蒼は、仕方なくそんな公青の愚痴を聞くために、ずっとそこに座っていることにしたのだった。
それから一時間ほどして、そこへ慣れた大きな気が入って来た。蒼が立ち上がって頭を下げる。
「維心様。」
公青も、立ち上がった。
「維心殿。此度は、妃の里帰りか何かか?」
維月が、横で首を振った。
「いいえ。奏の出産が始まったと聞いて、参りましたの。」
公青は、驚いた顔をした。龍王が自ら?
「それは…奏も、心強かろうこと。」
言葉ではそう言っているが、戸惑っている。確かに、龍王がほいほいと他人の出産のために宮を出て来るなどないのだ。
すると、それについて後から入って来ていた十六夜が言った。
「そうだろ?驚くだろ?オレだって維月だけ呼んだつもりだったのに、維心がついて来ちまって。」
維心が、あからさまに嫌な顔をした。
「維月が出るのに、我がついて参って何が悪い。政務は維明がやりよるわ。して、どんな具合か。」
公青は、維心を見て訴えるように言った。
「あと数刻掛かるというのに、我はここへ放り出されてしもうた。」
維心は、それを聞いて笑った。
「側に付きたければ、そうすれば良いのに。我はいつなり維月から離れたことなどないぞ。治癒の者はすぐに追い出そうとしよるからの。」
維月は、維心をたしなめた。
「まあ維心様、そのようなことを言ってはなりませぬわ。出産の場を見せたくない女神の方が多いと聞きまするし。」
維心は、驚いたように維月を見た。
「何と?主は我など出産に必要ないと申すか。」と、途端に暗い顔になった。「確かに…我など何の役にも立ってはおらぬだろうが。」
維月は、慌てて首を振った。
「いいえ!あの、維心様が案じてお側に居ってくださるのですから、私はとても心強いですわ。」
維心は、ホッとしたように維月を見た。
「そうか。ならば良い。」
十六夜が、呆れたように言った。
「全くお前は。まあ、オレだって維月の側に居たし、親父もお袋も維織の時は立ち会ったしな。」と、公青を見た。「だが、基本みんなこうやって外で待つんだ。蒼は全部の子をこうして待ってたしさ。大丈夫だよ、何かあっても、ここの治癒の神は龍が多いから、どうにでもするさ。」
公青は、眉を寄せた。
「どうにでもとはどういうことか?!奏は命懸けで努めておるのに!」
十六夜は、その剣幕に驚いて口をつぐんだ。維月が笑った。
「ほほほ、こればかりは十六夜も勝てないわね。公青様は、心底奏を案じておられるのですもの。」と、公青を見た。「ですが公青様、本当に殿方には何も手伝えませぬわ。とにかくはお心安く、お待ちくださいませ。案じて側に居っても、奏がそちらを気にして集中出来ませぬから。」
公青は、仕方なく頷いた。維心が、維月の手を取って側の椅子に座りながら言った。
「維月、ならば主はいつも我が気になって集中出来ぬのか?」
維月は、苦笑した。確かに維心は自分が生んでいるかのように必死に手を握って側に居るので、気になって仕方がなかった。治癒の龍達も、維心の方が大丈夫かと気になってしょうがないのだ。
「私は大丈夫でございます。何人も生んでおりまするし、維心様のお相手も出来まするから。ですが奏は、完全に初産でありますので。」
維心は、ショックを受けたような顔をした。そうか…大丈夫かとやたらと横で話し掛けるゆえ、維月は我の相手までしながら生まなければならなかったのか。
「…ならば、次からは黙ってついておる。」
立ち会うのは立ち会うんだ。
蒼も十六夜も思ったが、何も言わなかった。それにしてもまだ生むつもりなのだろうか。
維月は、変な空気になったので、話題を変えた。
「それで、どちらか分かっておりまするの?」
公青は、また戸の方を見ていたが、こちらを向いて頷いた。
「男だと。治癒の者が、何やら、気が龍とは違うようなと、戸惑っておった。」
維心が言った。
「さもあろう。龍からは龍しか生まれぬのが普通であるから。だがしかし、違う可能性がある。大陸では奏と同じ月が多く混じった龍の女が、ドラゴンを生んだのだ。こちらはどうかと言うておったのだが、違うやもな。」
公青は、身を乗り出した。
「まさかそのような事が?」
ならば、我は…なぜに退位までして。
維心は、その様子を見て察して言った。
「まだ分からぬのだ。ドラゴンも強い血であったし、だからこその事であるかもだしの。主には子が居らぬから、確かでも無いことは言えなかった。あちらでさえ、次は龍やもと言われておるほどなのだ。」
十六夜が、割り込んだ。
「そう、親父がそう言っていたよ。こればっかりは生まれてみないと分からないんだそうだ。」
公青は、頷いたが考え込んでいる。維心は、急に険しい顔をした。
「公青。こんな時ではあるが、西の状況は知っておるな。」
公青は、ハッと顔を上げた。そして維心の表情を見て、顔を引き締めた。
「ずっと見ておったから。安芸が討って出るつもりでおるの。」
維心は、頷いた。
「名は知らぬ。主の地であったからな。予想通りか。」
公青は、また頷いた。
「安岐の気性なら、先に討って出ようとするだろうことは分かっておった。あちらでは、我が宮を中心に四方を力のある神に囲まれておる。北西には定佳、南西には翠明、北東には安岐、南東には甲斐との。それぞれの宮にもともと準じておる宮があるのだ。我はなので、この四人を治めることであちらの地を治めておったのだな。なに、あれらは気は我から見たら大したことはないのだ。そうよな、こちらの筆頭である嘉韻と同じぐらいか。つまりは、我が軍神であった隼ぐらいということぞ。」
維心は、ぐっと眉根を寄せた。
「やはりの。中央が力を失ったと見るや、次は己がと動いておるわけであるな。なぜにこれほど素早く四つに分かれたのかと思うたが、最初からそういうことであるなら合点が行く。」と、十六夜を見た。「主は見ておったのか。何も我に言うては来なんだであろう。」
十六夜は、肩をすくめた。
「見てはいたが、親父が維心に任せておけと言うからさ。ちなみに今も見てるぞ…北東の、安岐といったか?そいつがやたらと闘気を上げている。そろそろじゃねぇか。」
公青は、急いで窓から空を見上げた。確かに…軍神達の闘気まで上がって来ている。
「数は、10万ほどか。」公青は、じっと西の空を見上げた。「我には3万。我が宮は落ちにくいので簡単には宮まで落ちぬだろうが、領地内の民が案じられる。隼は結界を強化しているが、安岐は破るやもしれぬ。続けて定佳がくれば…どちらにしても翠明が来たら、それで終わりぞ。」
維月が、それを口を押えて聞いている。維心が、険しい顔のまま言った。
「その翠明は、こちらへも来るか。」
公青は、頷いた。
「中央を取ったなら、勢いづいて来るやもしれぬ。数だけなら多い…他の宮も併せたら、200万。勝てると見て来ると見る方が良いだろう。」
維心は、息をついた。
「炎嘉の申す通りか。では、こちらも準備せねばならぬの。樹籐の領地で迎え撃つ。我が出たら、一兵たりともこちらへは辿り着けまいぞ。主は、そこまでどれぐらいと見ておる。」
公青は、じっと維心を見たまま即答した。
「我が宮が落ちるのに十日。然るのちに翠明が安芸を討つのに三日、定佳は翠明とは刀を交えぬだろう。それは、甲斐も同じ。その後体勢を整えてこちらへ出るのに、ひと月。」
蒼は、それを聞いて感心した。やはり公青は、あちらを完全に把握しているのだ。維心は、当然のように頷いた。
「ならば我らもそのつもりで居よう。」と、維心は、ちらと産所の方を見た。「…新しい気が感じられる。」
公青は、ハッとそちらを見た。途端に、大きな産声が上がった。
「おお」公青は、思わず立ち上がった。「生まれたか…!」
まだ、赤子は盛大に泣いている。維月は、微笑んで維心を見上げた。
「本当に、元気なようでございまするわね。このような時に、少しでもおめでたい心地にしてくれる泣き声だこと。」
維心は、維月を見下ろして微笑んだ。
「そうよな。本来ならば皇子の誕生ぞ。宮が湧いたろうにの。」
公青は、それを聞きながらも気が気でなかった。奏は…奏は無事なのか。
すると、治癒の龍が白い布包を抱いて、出て来た。そうして、自分達の王である維心まで居るのを見て驚いた顔をしたが、公青の方へ進み出て、頭を下げた。
「男のお子様でございます。奏様にも、大変に安くお産み頂きました。ただいまは、産後の処置を。」
公青は、頷いて緊張気味にその包を受け取った。そこには、もう泣き止んでいる赤子が、自分を見上げてまだひっくひっくとしゃくり上げていた。
「…公明。」公青は、自分そっくりのその赤子に言った。「我の跡継ぎぞ。名を、公明とする。」
蒼は、薄っすらと涙ぐんでいる公青に、自分も涙ぐんだ。
「それは、主の父の名ではなかったか?」
公青は、蒼を振り返って、頷いた。
「そうだ。これは間違いなく我が血筋。龍ではなかった。」
蒼は、驚いてその顔を覗き込んだ。その気は、龍特有の青い色など見えず、公青と全く同じ、緑っぽい色に見えた。
維心も、ちらとその顔を見て、ふんと十六夜を見た。
「月の命とは大したものよな。龍を抑えて他を生み出すか。困ったものよ。」
そう言いながらも、怒ったようではない。維月は、同じように公明の顔を覗き込んで、笑った。
「ああ良かったこと。というて、今更でございまするけれど…こうなるなど、誰も思いませなんだ。」
十六夜は、笑いながら言った。
「大したもんだよ。公青も、こっちへ密かに通って子が出来るのを待ってから、正妃にしたら良かったのに。そうしたら、こんなことにはならなかったのによ。」
維月が、十六夜を小突いた。
「だから、お父様がこればっかりは分からないとおっしゃったではないの。今回はこうだったけれど、次は龍かもしれないのよ?」
公青は、じっと公明の顔を見ながら、言った。
「…我は、これのために宮を取り戻さねばならぬ。」
維月と十六夜と、蒼が驚いたような顔をした。維心が、分かっていたかのように、しかし表面上気の無い風に言った。
「ほう?軍もなく殺されかけた主が。仮に戻って、あの臣下軍神をまだ使えると申すか。我なら皆殺しにするがの。宮下の民から良さげな者を拾って宮へ上げれば良いし。」
それはそれで蒼が仰天していると、公青は大真面目に首を振った。
「宮の将来を案じてのこと。我がそうなるように仕向けたのだ。だが、翠明など我一人で事足りる。我が参る。」と、治癒の龍を見た。「奏の顔を見たい。」
治癒の龍は、頭を下げて公明を公青から抱き取った。
「はい。こちらへどうぞ。」
公青は、戸の中へと入って行った。蒼が、慌てて維心に言った。
「どういうことでしょう。公青は、何をするつもりなのですか?」
維心は、ふっと笑って蒼を見た。
「何であろうの。蒼よ、そろそろ自分で考えよ。我に聞いてばかりではならぬぞ。」
蒼は、膨れた。
「公青も同じことを。分からないから聞いておりますのに。」
十六夜が、肩をすくめた。
「オレにもさっぱりだが、ま、いい。別にオレには関係ないしよ。」
維月が、十六夜をたしなめるように言った。
「まあ十六夜ったら!世が動くのよ?もう。」
維心は笑った。
「まあ、月から見たらそんなものかも知れぬの。しかし我にとっては己の世であるから。」と、維月に手を差し出した。「帰ろうぞ、我が妃よ。此度は里帰りではないからの。我も、炎嘉に知らせを送らねばならぬ。志心の宮が一番近い上にこちらの防衛線上になるゆえ、あちらともの。」
二人がそこを出て行こうとした時、十六夜が、不意に顔を上げて、言った。
「…安芸とやらが軍神達を率いて、領地を出たぞ。真っ直ぐ中央へ向かってる。」
維心が、ちらと振り返ってまた厳しい顔をした。蒼は、ついに戦が始まったかと、思わず固唾を飲んだ。




