月の結界
その数時間前、公青と奏は白虎の領地上空を通り、月の結界前まで到着していた。追手は来なかった…白虎の領地には、志心の結界があり、許される者以外は入れない。結界上空を飛ぶにしても、最高位の宮ならそこの王の許可が要った。内乱の今、白虎を敵に回したくないあちらの宮は、追って来れなかったのだ。
月の結界に近付くと、その前で待っていた軍神達がこちらを見て浮いていた。
「月の宮軍神の方々。我は白虎の宮筆頭軍神、廉邦。公青様と奏様をお守りしてお連れした。」
すると、金髪の軍神が進み出た。
「廉邦殿。我は月の宮筆頭軍神、嘉韻。王の命で、お待ちしておりました。」
廉邦は、驚いた顔をした。嘉韻が、嘉楠にそっくりだったからだ。しかし、嘉楠は鳥だが、嘉韻は龍だった。
背後から追いついて来た、嘉楠が前に出て来た。
「嘉韻。蒼様は受け入れてくださるのだな。」
嘉韻は、嘉楠に頭を下げた。
「はい、父上。本当ならば公青様の結界外までお迎えに出るはずでございましたが、白虎軍が出ておられるのを見て、ここで待つよう言われました。公青様と奏様は?」
嘉楠は、振り返った。猛が、二人を先導して、白虎軍の中央から飛んで来た。公青は奏を抱いたまま、嘉韻の前へ浮いた。
「嘉韻。このような形で月の宮へ来ることになるとは思わなんだ。蒼には面倒を掛けるの。」
嘉韻は、頭を下げた。
「王は、早くこちらへとずっと案じておられました。ご案内致しまする。どうぞこちらへ。」
嘉韻は、道を開けて結界の中へと促した。公青は頷いて、嘉楠と廉邦を見た。
「世話になった。我にはもう力はないが、主らを労ってやれればの。」
嘉楠は、首を振った。
「全ては我が王の命。我ら軍神はそれに従うのみでございまする。」
廉邦も、頭を下げた。
「それでは、我らも宮へ戻りまする。」
公青は、頷いた。そうして、公青が月の結界へ入るのを見守ってから、各々の宮へと、戻って行ったのだった。
《公青と奏が結界に入ったぞ。》
十六夜の声が言う。蒼は、頷いた。
「良かった、元気そうだ。ここへ連れて来てくれるように、嘉韻には言ってある。事の次第を詳しく聞こう。向こうの宮では軍神が囲んでて、中まで見えなかったからな。」
《仙術の嫌な波動も感じてたしな。》と、十六夜は面倒そうな声を出した。《…なんだか、その仙術の波動が公青からするんだが。あいつ、仙術に当たったとか何とか言ってなかったか?嘉楠が囲みを破る前だ。》
蒼は、驚いて月を見上げた。
「…ほんとだ。」蒼は、落ち着きなく椅子の中で身を動かした。「なんだろう?何の仙術だったんだ?」
十六夜の声は、困惑していた。
《知らねぇ。中は見えなかったのはオレも同じだ。全く、また解くのに大変な術とか言わねぇだろうな。》
蒼は、疲れたように椅子へ沈んだ。
「とにかくは、今無事なんだ。ここへ来てから、話を聞こう。」
そうしているうちに、公青と奏が宮の中へと入ったのが見えた。蒼は、居住まいを正して待った。ここまで、そう時間は掛からないはず。
そのまま、じっと待ちきれない思いで待っていると、戸が開いた。
「王。」嘉韻が進み出て、膝をついた。「公青様、奏様、お連れしました。」
やはり、公青から術の気配がする。蒼は、焦っているのを見透かされないように、落ち着いて会釈した。
「ご苦労だった。主は戻れ。」と、公青と奏を見た。「座るが良い。」
二人は、蒼の前の椅子に腰掛けた。公青は、あくまでも奏を離すつもりはないらしい。しっかりと肩を抱いたまま、蒼に向かい合った。
「此度は、主のみならず炎嘉殿や志心殿にまでお気遣いを頂き、感謝しておる。」
蒼は、頷いた。
「皆、わかっていらっしゃったから。ずっとそちらの様子を伺っておられたんだ。」と、奏を見た。「主も、突然のことで驚いただろう。だが、こういう危険も孕んでおったのだ。だからこそ、公青も忍んでおったのに、主があちらへ押しかけたりするから、こんなことに。よう考えて策を立てることも出来たであろうに。」
奏は、口元を袖で隠して、下を向いた。
「はい…。」
押しかける、という言葉に、奏は心底恥ずかしいと思っていた。公青は、奏を略奪したことにしてくれたが、本来ならそうは行かなかった。自分から行ったのだから、愛人扱いされても文句は言えなかっただろう。それなのに、公青は全て奏に良いように計らってくれた。だからこそ、神世での奏の評判は落ちることがなかったが、普通なら皇女が何をと、批判の矢面に立たされていたことだろう。
公青が、奏を庇うように抱いて、言った。
「良いのだ。我が判断したことよ。否なら追い返せば良かったのだ。奏が悪いのではない。そのように責めるでない。」
蒼は、ため息をついた。
「だが、主は何と大きな代償を。王座を下りたのであろう?」
公青は、頷いた。
「筆頭軍神であった隼を王に据えると決めたようだ。本人は複雑な表情であったが、あれに王の宝物の一つも手ずから譲って参った。我は、もう王ではない。」
蒼は、腕にあった金の腕輪が無くなっているのに目を留めた。王座に就いてから、ずっと身に着けていたのだと聞いている。公青は、文字通り全てを捨てて奏を望んだのだ。
「…ならば、もうオレも何も言うまい。元より奏はオレの孫であるし、その婿ならここに住むのに何の遜色もない。宮が見える丘に、空き屋敷があるので、そこを主にと準備させてある。侍女も少ないが揃えた。そこで、ゆっくりすると良い。ただ、月の宮の運営には力を貸してもらうぞ、公青。軍神達の教育や政務の何某か。それは良いか。」
公青は、微笑んで頷いた。
「王の責務に比べたら。そのようなことぐらい何でもない事ぞ。」
蒼は、同じように微笑んでから、表情を引き締めた。公青も、それを見て背を伸ばす。蒼は言った。
「ところで、主から仙術の気配がする。」公青が、眉を上げた。蒼は続けた。「仙術に当たったと聞いた。いったい、何の仙術だったのだ。」
公青が、ハッとしたように奏を見た。奏は、頷いた。
「…我の目の前で、確かに公青様は仙術の波動に捕らえられ申した。本当に、もう駄目かと…。」
公青は、頷いた。確かに、当たった。だが、その後すぐに嘉楠と猛が囲みを破り、自分を救い出したので、すっかり忘れていた。
「確かに、当たった。」公青は思い出すように言った。「同じ仙術に当たった、傍の軍神は瞬く間に気を吸い上げられて枯れ木のようになったのに…我は、背にそれを受けて、確かに発動したように思うたのに、このように。何事もなく、壮健ぞ。なのに、我から仙術の気配がすると申すか。」
蒼は、頷いて立ち上がった。
「する。十六夜も、結界を入った時から気取ってたんだ。」と、公青に向けて、手を翳した。「出所を探る。」
公青は、奏をやんわりと放して、じっと蒼に向かい合って座った。蒼は、立った状態で目を閉じて、じっと公青を探った。腕…いや、脚か?腿の辺り…。
「この辺り。」蒼は、目を開いて公青の左の太腿辺りを指した。「なんだろう、小さなものなんだが。」
公青は、腕を除けて自分の腿を見た。蒼が、首を振った。
「いや、移動した。そっちだ。」
蒼の指が指したのは、公青の左の着物の袖だった。公青は、自分の袖の中を覗き込んだ。
「…?何か…?」
蒼も、同じように覗き込む。公青は、袖を後ろ側からひっくり返して、傍のテーブルの上へとその何かを落とした。コツンと音を立てて、それはテーブルの上に転がった。
「これだ。これから、波動が。」
しかし、その小さな透明の、ガラスに見える玉は、真っ二つに砕けていた。公青は、思い当たった。
「確か…我が隼に腕輪を渡した時、そういえば何かが袖の中に落ちたような気がしておった。これには、仙術が掛かっておったのか。」
蒼は、頷いた。すると、十六夜が言った。
《盾の呪文みたいな感じを受けるな。》急な声に、公青が驚いて窓から空を見る。十六夜の声は続けた。《何だろう、玲にでも聞いてみたらどうだ。あいつは、仙術をよく知ってるから。まあ砕けてるんだし、問題ないんじゃねぇか?》
蒼は、頷いた。
「夜が明けたら、早速調べさせるよ。」と、公青を見た。「では公青、奏。屋敷へ案内させるゆえ、そこで休めばいい。ここには何も入って来れないから、ゆっくりするといい。この術が何か分かったら、また連絡する。」
公青は、立ち上がって奏の手を取った。
「何から何まで、すまぬ。感謝する、蒼。」
案内の侍従が頭を下げて入って来る。蒼は、笑った。
「ま、仕方がないさ。友達のことだからな。だが、これからはこき使わせてもらうから、安心するのは早いぞ、公青。」
公青は、同じように笑った。
「おお、主は策士であったな。忘れるところであった。」と、侍従の方を振り返った。「我の力で役に立つなら、何にでも使うが良い。ではの、蒼。」
そうして、公青と奏は、侍従に案内されて出て行った。
蒼は、やっと眠れると、ホッとしながらも、仙術の玉の欠片を集めるのは忘れなかった。これで、落ち着くのなら…。
蒼は、ただそれを祈った。




