保護
猛に促されて、結界のすぐ向こうに待機していた白虎軍の方へと飛んだ公青は、そこから飛び出して来た軍神に、頭を下げられていた。
「公青様とお見受け致しまする。我は白虎の宮筆頭軍神、廉邦。王、志心様の命により、お守りすべくこちらでお待ちしておりました。」
公青は、頷いた。
「志心殿が。感謝致す。では、猛も白虎の?」
猛は、首を振った。
「いえ、我は違いまする。」と、背後から追いついて来た影を見た。「嘉楠殿。」
公青は、振り返った。嘉楠が、傷ひとつ付いていない甲冑のまま、公青の前に出た。
「公青様。我は王、炎嘉様にお仕えする軍神筆頭でございます。我ら、王からいかなることをしてでも公青様と奏様を保護するようにとの命を受け、宮に潜んで救出の機をうかがっておりました。襲って参った軍神達は、我が結界を抜けた後も追って参りましたが、白虎の軍を見て退いて参った。」
廉邦が、横から言った。
「では嘉楠殿、公青様をどちらへお連れせよとのことでありましたか?」
嘉楠は、答えた。
「月の宮へ。月の宮ならば、余程のことでない限り侵攻するとは出来まいと。このまま、白虎の宮の軍の力をお借りして、公青様と奏様をお守りして月の宮の結界までお送り致しましょうぞ。」
廉邦は、頷いた。
「は。では、公青様には、我らの中ほどへお入りを。月の宮の結界まで、お送り致しまする。」
公青は、奏を見た。奏は、まだ震えながらも、弱々しく気丈なふりをして微笑む。
「大丈夫ですわ。我は、公青様とならどこへでも、黄泉までだって行くつもりでおりましたから。」
そう言うと、ずっと懐で握り締めていた、懐剣から手を放した。公青はそれを見て、奏がどれほどの覚悟をしていたのか悟った。自分が死んだら、追うつもりでいたのだ。
「奏…。」
公青は奏を抱き締めて、廉邦に従って軍神の中へと入った。
白虎の軍が動き出す。嘉楠と猛は最後尾で追手を確認しながら、月の宮結界を目指した。
しばらくして、炎嘉の軍神が戻って来て、維心の居間の外の庭に降り立った。炎嘉がそれに気付いて、手を振った。
「入れ。」
その軍神はサッと入って来て、維心に頭を下げてから、炎嘉の前に膝をついた。
「嘉楠殿と猛、無事に公青様と奏様を軍神達の囲いから救出し、白虎軍と共に月の宮結界へ向かいました。公青様は仙術に当たられましたが、奇跡的に無傷でおられまする。」
炎嘉は、ホッとしたのか肩の力を抜いた。
「無傷なら良い。しかし、仙術を使うとはかなり周到な準備。本当に公青を消そうとしておったようぞ。」
すると、呼ばれた訳でもなく何かあったのかと様子を見にやって来ていた箔翔が言った。
「それにしても、おかしいおかしいとは思うていたが、そんな事になっておったとは。我はもっと、神世を見なければならぬと思いましてございます。」
維心が、薄っすら笑って言った。
「鷹は世から長く離れておったからの。箔炎のせいぞ。主がそんなことになかなか気が回らぬのも頷ける。だが、こうして一つずつ学んで参れば良いのだ。さすれば己の宮の立ち位置が見えて参る。」
志心が、息をついた。
「それにしても、よう炎嘉が嘉楠を送っておったもの。そうでなくば公青は危なかったやもしれぬ。詳しいことは、月の宮に落ち着いてから聞くことになろうがの。」
炎嘉が、志心に頷いた。
「そうよ。こっそり動けば良いのだ。治外法権などと言うておったら、助けられるものも助けられぬわ。」
維心が、苦笑した。
「主は昔からそうよ。だが龍であったら相手に文句を言わせる材料になっておったのだぞ?此度は良かったが、あまり無茶はしてくれるな。王とは言うて今は龍の主がしたこと、我が責任を取らねばならなくなるのだ。」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「責任など、いくらでも取れば良いではないか。主が無理を通すのを何度も見て参った。主に逆らえる神など居らぬのだから、こんな時ぐらいその力を使えば良いのよ。」
維心は、呆れたように炎嘉を見たが、何も言わなかった。炎嘉は、報告に来た軍神を見た。
「ご苦労であったの。では、主は南へ戻っておれ。我は明日、何事も無かったようにこちらから帰ろうぞ。」
軍神は、頭を下げた。
「は!」
そうして、その軍神はまた、窓から出て庭から飛び立って行った。維心は、それを見送りながら言った。
「では、まだ夜明けまでしばらくある。思うたより早よう終わったことであるし、主らも部屋へ戻って休むが良い。」
箔翔と志心が、頷いて立ち上がった。炎嘉は、面白くなさげにして、座ったままでいる。維心は、炎嘉を見た。
「何ぞ?何か言いたいことでもあるのか。」
炎嘉は、維心を恨めしげに見た。
「ある。」と、維心に身を乗り出した。「納得行かぬ。主はこれから維月の居る奥へ戻るつもりであろう。」
維心は、眉を上げた。
「それは、そこが我の部屋であるし。」
炎嘉は、首を振った。
「維月はもう寝ておろう。これだけ放って置かれたのであるから。起こすでないぞ。」
維心は、ぐっと眉を寄せた。
「うるさいわ。主に指図される謂われはない。」
炎嘉は、食い下がった。
「ならば酒ぞ酒!飲むぞ維心。せっかくに我がここへ来ておるのだから、付き合え。」
維心は、ますます眉を寄せて首を振った。
「なぜに飲む。宴で飲んで参ったではないか。いい加減にせよ。維月は我の正妃ぞ。何をしても主に文句を言う権利はない。」と、立ち上がった。「もう、部屋へ戻れ。我だって休まねば疲れるのだ。明日からはまた公青のことを聞かねばならぬのに。」
炎嘉は、出て行こうとする維心を追って立ち上がった。
「こら!逃げるのか維心!」
維心は、ちらと振り返った。
「逃げるのではない。ここは我の宮であろうが。己の部屋へ戻って何が悪いのだ。いつまでも維月を引きずっておらず、主も己の相手を早よう見つけよ。何度でも言う。維月は、我の、正妃なのだ。」
炎嘉は、それを聞いて、ぐっと黙った。維心は、じっと炎嘉を見ている。志心と箔翔がどう押さえようかと悩んでいると、炎嘉が、意外なことに落ち着いた声で言った。
「…主ばかり。前世ばかりか、今生まで奪いおって。同じ想いでおって、主には分かると思うておった…他の妃など、見つかることはあるまいに。」
維心が、ハッとしような顔をした。しかし炎嘉は、そのままサッと志心と箔翔の横を抜けると、振り返りもせず、そこを出て行った。志心が、息をついた。
「…維心。言うてはならぬことであったのではないか。我は良い。前世維月と主が黄泉へ逝った時、思い切った。なので、今は友で良いと思うておるから。だが、炎嘉は…主は、炎嘉と長く友であろうに。」
そうして、踵を返して出て行った。箔翔も、何も言わずにそれに従う。維心は、そこに取り残されて、閉まった戸を見てじっと立っていた。
「炎嘉…。」
その夜、維心は眠る維月を起こさず、そっと隣りへと滑り込んで、目を閉じた。
次の日の朝、日が昇って来る頃に、維月はすっきりと目を覚ました。久しぶりに維心に起こされることもなく、朝まで寝ていたからだ。
隣りで眠る維心を見て、維月は微笑むと、そっとその頬に口付けた。維心は、それを感じて目を開いた。
「…維月。」
維月は、今度は維心の唇にそっと口付けた。
「おはようございます、維心様。あの、公青様と奏は、どうなりましたか?」
維心は、答えた。
「二人共、嘉楠と猛に救出されたのだと聞いた。白虎の軍が守って、月の宮へ入ったはずぞ。」
維月は、ほっと胸をなでおろした。
「まあ、良かったこと。では、詳しいことは蒼か十六夜に聞けばよいですわね。」と、維心に身を摺り寄せた。「維心様…。」
維心は、身を震わせた。しかし、維月を抱き寄せて、そこで手を止めた。維月は、いつも朝から求めて来る維心が、何やら暗い気を発してどうも落ち込んでいるようなのを感じ取って、思わず見上げた。
「どうなさったのですか?何をそんなにお元気がありませぬの?」
維心は、ぴくと反応した。
「…特に何も。」
しかし、どう見ても元気がない。いつも、あれほどに維月から寄って来たと喜ぶ維心が、維月がぴったりくっついているのに、悲しげにしている。維月は、何かあったのだと維心の上に移った。
「維心様。お話ください。何を思い悩んでおられまするの?私に隠そうと思うても、無駄でございまする。」
維心は、じっと維月を見ていたが、ふっと息をついて、そうして、維月を見ずに言った。
「…昨夜の。全て終わって、炎嘉が我が主のもとへと戻るのを嫌がって、主を起こすなやら酒を飲もうやらとごねたのだ。それで…我は、面倒でつい、炎嘉にきつく言うてしもうた。」
維月は、それぐらいのことでこれほどに落ち込むだろうか、と少し眉を寄せた。
「…でも、それは仕方がないですわ。維心様にも、お休みになりたかったでしょうし。」
維心は、視線を下へと向けた。
「だが、我は、己では絶対に無理なことを、あれに言うた。志心にも、言うべきではなかったと言われた。」
維月は、じっと維心を見ながら言った。
「何をおっしゃいましたの?」
維心は、少し黙ったが、維月には嘘がつけないので、重い口を開いた。
「早よう、自分の相手を見つけよと。維月は、我の妃なのだからと。」
維月は、目を見開いた。確かに、炎嘉は自分を想っていると、いつも言う。だが、それは叶わないことだった。いくら慕わしい神でも、維月が愛しているのは維心と十六夜。これは、本当に揺るぎ無いのだ。なので維月は、心の底から炎嘉の幸せを願い、自分ではない誰かと、幸福になってもらえればといつも思っていた…だが、維月は言わなかった。維心は、それを言葉にしただけなのだ。
「維心様…」維月は、上から維心の頬に触れた。「それは、私も常思うておったことでございます。維心様がお口になさっただけで、それが罪なら私も罰しられなければなりませぬ。」
維心は、維月を見た。
「主も?だが、主は決して言わぬだろう。」
維月は、寂しげに笑った。
「はい。炎嘉様を傷つけるのがつらいのでございます。私は…陰の月で、前世より皆を苦しめて来ておりますので。これ以上、誰も傷つかない方法はないかと思うておるのですわ。」
維心は、維月を見た。
「維月…だが、我は言うた。炎嘉は、我と自分は同じ思いでいると言うたのだ。我は…それで、やっと炎嘉のつらい気持ちを悟って、あんなことを言うてしもうたことを後悔した。」
維月は、頷いた。
「そうやって、後悔なさるお気持ちがあるのだから、良いのですわ。維心様は、とても優しいかたでございます。」
維心は、本当に悪いことをしたと思っていたらしい。維月をすがるように見た。
「まことにそう思うか?我は、ではどうすれば良い。してしもうたことは、引っ込めることは出来ぬ。」
維月は、維心の髪を撫でて、子を諭すように言った。
「では、維心様のお気持ちを炎嘉様にお話するべきですわ。そうして、素直に謝ったら、友なのですもの、きっと許してくださいまする。維心様は、素直にお気持ちがお口に出てしもうただけなのですから。でも、これからは少し考えておっしゃることが出来まするわ。」
維心は、頷いた。
「分かった。炎嘉に、謝って参る。維月…我は主を愛しておるだけなのだ。」
維月は微笑むと、あやすように維心の頭を抱きしめた。
「はい。私も愛しておりますわ。維心様は、本当に一生懸命愛してくださいまするから。」
維心は、維月の胸の温かさを感じながら、これを望みながら一人で過ごす炎嘉を思った。あの時譲って、酒ぐらい一緒に飲んでやればよかったのだ。炎嘉は、ただ寂しかったのだろう。もしかしたら、自分が炎嘉の立場であったかもしれないのに。
それを思うと、やり切れなかった。そうして、一刻も早く炎嘉に会おうと、維月に手伝われてすぐに着替え、炎嘉の客間へと向かったのだった。




