責任
凜は、すっかり自信を無くしていた。
蒼は、あれから凜を責めることはなかったし、他の侍女もあれは仕方がないことだと言っていたが、それでも自分のせいでこんなことになっているのではと、王の居間で控えている時も、話題が奏のことになるとびくびくした。
今日も、朝から十六夜が降りて来て、蒼と話していた。
「じゃあ、結納は執り行われるんだ。」
蒼が言うと、十六夜は頷いた。
「兆加が抜かりなくやってるらしい。維心が言うには、結納にはきちんと来るだろうって。何しろ、奏がもう妃になってるんだし、その事実は消せないからさ。まあ、その席に維心は出席しないみたいだけどな。晃維が父親で、出席するわけだから、龍王が出ると大層になっちまうんだってさ。あんまりこの婚姻に、維心が肩入れしてると思われたら、それだけで侵略だなんだとうるさくなるからだそうだ。」
蒼は、息をついた。
「面倒なことになってしまって。母さんから聞いたけど、公青がどんな覚悟でいるのか知って、オレも心配で仕方がないんだ。もしもクーデターなんかになったら、ここへ来させようかと思って。結界内の屋敷に、公青を置こうかと思ってる。それは、別に問題ないよな?」
十六夜は、顔をしかめた。
「わからねぇ。維心に聞いてくれ。オレはいいと思うけどな。」
蒼は、息をついた。
「全く、神世はややこしい。決まりが多すぎるんだよ。しかも、オレには理解出来ないような。」
十六夜は、苦笑した。
「そうだな。オレもだよ。だが、それで回ってるんだから仕方がねぇなあ。」
蒼は、ふっと息をついたかと思うと、言った。
「侍女。お茶を頼む。」
凜は、はっとして慌てて準備してあった茶器を手に頭を下げて、入って行った。すると、十六夜が言った。
「お、凜じゃねぇか。唯は元気にしてるのか。」
凜は、頭を下げた。
「はい。あの子はあまり強くないので…あの、家で療養しておりますわ。」
蒼が、茶を淹れる凜を見ながら、言った。
「輝章殿のことが心配なんだろう。維心様がああ言ったけど、オレはとにかくどうにか出来るまで、治療だけでもしておいたらと思うんだ…神世に戻れないだけで、あっちでこっちが何とかなるまで生活しててもらえばいいわけだし。」
十六夜も、頷いた。
「そうだよな。別に死ななくてもさ。ここへ連れて来て身分とか名前を変えて、ひっそりと生きてれば、そのうちに解決策だって見つかるかもしれねぇし。」
凜は、それを聞きながら、もしもそうしてもらえるならどんなにいいか、と思った。しかし、もう神世のことは学んで知ってしまっていた。そんなことをしてもしも龍王様に知られたら、王に迷惑が掛かる。何しろ、神世はいろいろなことに本当にうるさいのだ。
凜は、蒼と十六夜の前にお茶を並べながら言った。
「王のお申し出は大変にありがたいのですけれど、そんなことをしてもしも王に何か厄介なことが降りかかったらと思うと、とても手放しでお頼みするわけには行きませんわ。此度の奏様の件にしても、私がもっと早く百合と入れ替わっておったなら、起こらなかっただろうと思われまするし。本当に、王にはご迷惑ばかりお掛けしておりまするもの。」
蒼と十六夜は、顔を見合わせた。
「お前、そんな風に思ってたのか。」十六夜が言った。「あのなあ、そんな心配しなくていいんだよ。オレ達は、オレ達の考え方で動いてるんだ。ここは、どこよりも人世に近い神世だ。だから、少しは大目に見てもらえるんでぇ。何しろ、誰もオレには逆らえないしな。月なんだし。」
蒼が、頷いた。
「奏のことにしても、凜のせいだとは思っていない。奏が、侍女が離れた瞬間を見計らって出て行ったんだからな。それに、いつかはこうなった。運命だったんじゃないかってオレは思ってるよ。」
凜は、驚いて蒼と十六夜を見た。
「王…十六夜…。」
十六夜は、凜に片目をつぶって見せた。
「お前、がんばり過ぎなんだよ。もっと肩の力を抜いて、楽にしな。そうだ、今度奏の結納の時、祝いを持って見に行こうかと思ってるんだが、お前も連れてってやろう。」
凜は、仰天して口を押さえた。龍の宮に?!
「え、私、まだそこまで礼儀に通じていないし!」
十六夜は、笑った。
「心配するな、他の侍女達に混じって行くんだから。他の宮の侍女にまで、そんなにうるさくないって。維月も居るし、大丈夫だ。」
凜は、蒼も微笑んで聞いているのを見て、とりあえず頷いたが、不安だった。とにかくは、結納の日までにはもっとしっかり礼儀を習っておこう。そうだ、宮の講習会にもしっかり出よう。
そんなことを思っていたのだった。
式当日、龍の宮では公青が自ら選んだ客が次々に到着していた。
普通、結納には他の宮からの客は呼ばず、婚姻の式の時に宮の方へ呼ぶものであるが、今回は公青が自分で筆を取り、あちこちへ招待の書状を送っていたらしかった。
志心が到着し、それを兆加が出迎えて、そして、龍の宮へ来た王族が皆するように、龍王へと挨拶に向かうべく、維心の居間の傍にある応接室へと案内した。その応接室は、親しい王族などが公式に来た場合、出迎えるのに使うもので、奥宮の入り口付近にあり、維心も気軽に出て来る場所だった。
「この度はめでたいと言うべきか。」志心が、並んで座る維心と維月の前へ出てすぐに言った。「公青も思い切ったことをしたと、我が臣下達も驚いておった。確かに血筋から行くと大変に良い縁であるが、正妃となるとの。ようあちらの臣下は許したものぞ。」
維心が、志心に椅子を示した。
「わざわざご苦労であるな、志心。」と、志心が座るのを見てから、維心は続けた。「我らにもどう解釈してよいものか分からぬ。こうして結納の席へ他の宮の王達を招くのも、あまり例のないことであるしの。」
志心は、頷いた。
「我もそのように。だが思うに、公青の宮では反対意見がやはり強いのではないか。なので、こうして我ら力のある神の王が参列することで、神世が大々的に認めた仲なのだと臣下達に知らしめようとしておるのではないだろうか。」
維心は、志心に頷いた。
「我もそのように。しかし、此度ばかりは我は参列出来ぬな。逆効果になろう。ま、我が動かずとも、神世の王が参列しようとも、焼け石に水のような気もするがの。」
維月が、不安そうにそんな二人を見ている。志心は言った。
「維月は、相変わらず他の宮のことも案じておるのか。そのようにあちこちに気を配っておったら、龍王妃など務まらぬぞ。ここに居ては全てが見えるであろう。鷹揚にしておらねば、身が持たぬ。」
維心も、隣の維月を見た。
「その通りよ維月。とにかくは見守るしかないのだからの。案じるでない。奏の身に何かあることは絶対にない。我ら龍の王族が後ろについておるのは、あちらの臣下達も知っておるから。手を出せば、龍に逆らうものとして、消されるのであるからの。」
維月は、維心を見上げた。
「ですが維心様…公青様は?いくら王であられても、軍神達が束になって向かって来ては、敵わぬのではありませぬか。」
志心が、息をついた。
「確かに弑してしまおうとしておったなら、ありえぬことではないの。だが、王とは絶対のもの。公青は、間違いなく己一人で軍神達すら滅するだけの力を持つだろう。それを知っておるから、臣下達は退位を促すのだと思うぞ。王とは、皆に認められてこその王。臣下が皆束になって囲んで申せば、公青も否とは言えぬ。それでも抵抗するのなら、寝首を掻くなり何なりして弑するやもな。」
そこへ聞き慣れた声が入って来た。
「何ぞ?何やら不穏なことを話しておるではないか。」
維月は、久しく見ていなかった炎嘉の姿に、ぱっと嬉しそうな顔をした。
「炎嘉様…。」
なぜか、ほっとする。前世から、共に来た同志のような心持ちになっているのだと、維月は思った。
しかし、維心は維月が表情を変えたのを気取って不機嫌になると、炎嘉を見た。
「炎嘉。主まで呼ばれておるのか。」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「主が我を王になど戻すからこんなことになっておるのだろうが。」と、近付いて維月の手を取った。「我に会えて嬉しいか。そのような顔が見れるとは思わなんだ…主は、いつまで経っても我の心を沸き立たせることよ。」
維月が、赤くなる。そんなつもりではなかったのに。
維心が、炎嘉の手を急いで払った。
「また主は!ただ見知った顔であるからああいう表情になっただけよ!」
炎嘉は、つまらなさそうに傍の椅子へと座った。
「なんだ主は。相変わらず面白うない男よの。して、公青の話をしておったのではないのか。」
維心は、憮然として頷いた。
「こうして主まで呼んで式を執り行う、その意図をの。」
しかし炎嘉は、真剣な顔で、頷いた。
「公青の覚悟は見た。だがしかし、このままでは退位は免れまい。我が調べさせておるだけでも、あの宮は毎夜地下に軍神が集まって協議をしておるようだ。」
維心は、眉を上げた。
「主、調べさせておるのか。」
炎嘉は、頷いた。
「ま、主にしてみればたかが他所の宮の小競り合いであろうが、だからこそ我が押さえておかねばと思うての。動き出したら、またここへ報告に来させる。」
維心は、頷いた。こんなことに軍神を割くのは、龍軍としては出来ない。他の、もっと自分の宮に直結した任務に軍神達を振り分けているからだ。要請されても居ないのに、他の宮の諍いを収めたり、見張ったりはしないのが普通だからだ。一応、神世でもその宮その宮の王の自治があり、治外法権なのだ。
「ならば、この式が済んだら危ないやもな。」志心が言った。「結納は龍の手前行なわぬわけには行かなかっただろう。だが、婚姻の式の前に事を収めねばあやつらにも機はなかろう。」
維心は、頷いた。
「そうよな。正妃になってからであると、龍が黙っていないことを知っておるから。」
炎嘉が、息をついた。
「それにしても、困ったことを。あやつが退位したいのなら止めぬが、こちらを巻き込まぬでおってほしいもの。龍との婚姻は、何かと面倒が付きまとうのであるからの。我が鳥であった時すら、鳥と虎の混血などが居ったりしてややこしかったので、王族の婚姻はなるべく鳥に、正妃は必ず鳥に、と言われておったものよ。」
維心も、息をついた。
「ああ、跡取りだなんだとうるさいのには、もう飽き飽きぞ。我の前世のことを思い出すと面倒になる。別の話は無いのか、炎嘉。もう公青のことは聞きとうないわ。」
炎嘉は、笑って維心を見た。
「相変わらずの気分屋であるな。そういえば…」と、戸の方を見た。「我が到着して見上げた時、箔翔と蒼の宮の輿が見えたぞ。ちょうど先頭が降りて来るところであった。そろそろこっちへ来るのではないか?」
そう言っている間にも、戸の辺りに気配がして、侍女の声がした。
「鷹王様、月の宮蒼様、ご到着でございまする。」




