婚姻
維心が、居間で眉を寄せて目を閉じていた。まだ襦袢姿のままで、明けて来る日がその端正な横顔を照らし始める。そして、ふいに目を開けると、側でじっとそれを祈るように見ている維月を見下ろした。
「…公青の宮の中のようぞ。」維心は言って、また視線を宙に漂わせた。「公青の気が極側にある。これだけ言えば、分かるかの?」
維月は、手で口を押さえた。
「では…もう婚姻は成ったと?」
維心は、頷いた。
「おそらくはの。何も無くとも、一夜共に過ごせば妃であるしな。」
維月は、空を見上げた。
「十六夜…聞いた?」
十六夜の声が答えた。
《そうか。まさかと思って月の宮周辺ばっか探してたんだが、そんな所まで行ってたとはな。》
維心が、ため息をついた。
「思い切ったことをしたものよ。まさかあの奏が、相手の宮へ押しかけるとは思うてもみなんだ。神世では嗜みのない女と言われよう。何としたものかの。」
維月は、心配そうに維心を見上げた。
「でも…それだけ思いつめておったということですわ。奏がそんな風に言われるのは、私には納得出来ませぬ。」
維心は、息をついた。
「我とてそうよ。だが、世の神とは他人の不幸を面白可笑しく吹聴して回る。しばらくは、あれもつらかろうな。」そして、空を見上げた。「では、相手の出方を待つよりあるまい、十六夜よ。居場所は分かったのだ。夜明け前に我らを起こした目的は達したであろう?」
十六夜の声は、淡々と言った。
《起こしたのはすまないと思ってるよ。だが、こっちじゃ蒼が悲壮な顔して探し回ってたんでぇ。広域に気を探るのは、お前が得意だろうが。だから頼んだんだ。》
維心は、ため息をついた。
「もう良い。別に責めようとは思わぬ。晃維にも知らせておかねばなるまいて。急ぐが良い。夜明けには事が発覚してあちらから告示が出るぞ。」
十六夜は、頷いたようだった。
《ああ、分かってる。じゃあな、維心。維月。》
十六夜の念の声は、消えた。維月が、維心を見上げた。
「維心様…これからどうなるのでございましょう。己から行ったということは、愛人扱いは免れませぬ。それに、龍であるから…。」
維心は、維月の肩を抱いて、その髪に口付けた。
「何事もなるようにしかならぬ。こうなってしまったからには、あれはそれに耐えねばならぬのだ。せっかくに公青が留めておったものを。世間知らずであるし…しようがないの。我らは見守るしかない。」
維月は、息をついて頷いた。そうして、二人は明けて来た日を、二人で並んで見ていたのだった。
蒼は、疲れ切って居間の椅子へと座っていた。十六夜が、そこへ入って来てその様子に息をついて首を振った。
「蒼、お前が落ち込んでも仕方がないじゃねぇか。とにかくは、奏は想う相手と結婚したんだし。回りがどう言おうと、構わないじゃねぇか。」
しかし、蒼は憔悴しきった顔を上げた。
「だが、晃維になんて言えばいいんだよ。信用されて預かっていたのに、こんなことになってしまって。親は何をしてたんだって、言われるんじゃないのか。」
十六夜は、顔をしかめた。確かに維心もそんなようなことを言ってたが…。
すると、維心によく似た気がその居間へと入って来た。
「…我は、我が娘のことで蒼にどうの言うつもりはないぞ。」
「晃維!」
蒼と十六夜は、入って来た晃維に飛びつかんばかりに駆け寄った。
「すまない、晃維。ここで預かってたのに、月の結界を抜けたのさえ気取れなくて。奏は、晃維から来た陰の月と、オレから来た陽の月の力のせいで、どっちもそこそこ使えるんだ。十六夜の結界は陰の月、公青の結界は陽の月の力で抜けたみたいで。全く分からなかった。」
晃維は、首を振った。
「どちらにしても、あやつが出て行ったということであるな。」
蒼は、下を向いた。
「公青には、月の結界を破る力はない。だから、無理につれて行くなんて出来なかった。それに、奏自身が使う気にならなきゃ、月の力は使えないからな。」
晃維は、ふむ、と考え込むような顔をした。
「…おかしいの。」と、懐から、書状を出した。金粉が一緒に梳かれてある、質の良い和紙だ。「今朝一番に、これが我の元へと届いた。公青から、奏を月の宮の隙をついて連れ出し、宮へお連れした。もはや婚姻は成り、正妃として迎えることとする、とな。」
蒼は、びっくりしてその書状を晃維から受け取った。そして、十六夜と共に、内容を確認した…確かに、そう書いてある。公青が、ここから奏を略奪したと、言って来たのか。
十六夜と蒼が、呆然とそれを見ていると、晃維はふっと笑った。
「十六夜の結界はそれほどにもろかったかと案じたが、そうではないの。公青は、奏を庇ったのだ。忍んで来る女に対しての扱いは低い。それを知っておるから、自分が略奪したということにしたのよ。」と、眉を寄せた。「…だが、どうしたものか。奏の相手は龍にするつもりであった…後々、ややこしいことになると思うたからの。それに龍の女を正妃にとは、また思い切ったことを。臣下達が、それは反対しておるであろうに。」
蒼は、涙を浮かべた。公青は、覚悟したのだろう。奏を得るために、臣下達と戦って行こうと。
「…美加の例もある。」蒼は、そう言って晃維を見た。「きっと、大丈夫だ。公青が、そう決めたんだから。」
晃維は、じっと蒼を見ていたが、頷いた。
「主がそう申すなら、そうであろうな。」と、踵を返した。「では、我はこのまま龍の宮へ父上にご報告に参る。正妃となると結納などいろいろ面倒なことがあるのだ。西では対応しきれぬからの。お願いに上がらねば。」
十六夜が、やっと我に返って言った。
「オレにも何か出来ることがあったら、言えよ。」
晃維は、笑った。
「ああ。だが、嫁入りの準備であるぞ?案じずとも、あちらの宮はそういうことには完璧であるわ。」
そうして、晃維は飛び立った。蒼は、どうにかしてあの二人が、皆に認められて幸福になれないかと考えを巡らせていた。
皆が案じた通り、その頃公青の宮では大騒ぎになっていた。事もあろうに、王が龍を正妃に迎えると告示したのだ。
相良が、必死に謁見の間の王座に座る公青に言った。
「王、事は我が一族の存続に関わっておりまする!龍は、龍しか生まぬのはも古くから周知の事実。このままでは、王のお世継ぎが龍という事態になり、こちらは龍が何もせずとも龍の傘下に下ることになりまする!どうか、せめて奏様は妃として、他の妃も娶られ、そうして他の妃が生んだ王の真っ当な血族が王座に就くように、お取り計らいくださいませ!」
しかし、公青は頑として譲らなかった。
「奏は、正妃に迎える。我は生まれた子がどうのと興味はない。我と奏の子であるのなら、我は王座へ就けて良いと思うておる。他に妃を娶る気もない。」
相良は、それでも必死だった。
「どうか王!これだけは我ら臣下、譲るわけに参りませぬ!こちらで長く治めて参られたこの宮を、龍の下へ置くわけには行かぬのでございます!どうか…せめて、此度は正妃というのは取り下げてくださいませ!」
公青は、立ち上がった。
「もはや龍の皇子である晃維殿にも我自ら記した書状を送った。これは違えるわけには行かぬ。どうあっても、奏は我の正妃にする。あれを愛人扱いするつもりなどない。主らも、重々それを肝に銘じておけ。我は、主らを斬ってでも退くつもりはない。」
公青は、奥へと踵を返した。
「王!お待ちくださいませ!」
相良は、振り返りもせず出て行く公青の背に、叫んだ。どうしたらいいのだ…確かに略奪してまで望まれた妃。どうあっても退かれることはないだろう。確かに龍の王族なのだから、身分は申し分ないのだ。だが、龍。奏は龍なのだ。とにかくはここは妃として迎えてもらわねば、正妃にしてしまったら龍への対面上降ろすことも出来なくなる。そうして、龍の皇子がこの宮で皇太子となれば、ここは龍に下ってしまう…!まさか、王がこんなことをなさるとは!




