ままならぬこと
蒼は、公青の宮を訪れた。
ここへ来るのは、公青の反乱があった時以来だ。あの時は必死で、宮を落ち着いて見ている暇は無かったが、龍の宮に匹敵するのではないかというほど大きく、美しい白い建物が、山の上に建っていた。
対が斜面にも貼り付くように巧妙に建っていて、ここでの公青の力を感じた。
蒼が、嘉韻だけを共にそこへ降りて行くと、到着口へ見たことのある神が走り出て来た。蒼は、何とか記憶を掘り起こして、言った。
「…相良。久しいな、公青に会いに来た。居るか?」
相良は、慌てて頭を下げて、答えた。
「はい、蒼様。ご無沙汰いたしておりまする。王に於かれましては、最近ではお部屋に篭りがちであられて、我らも案じておるところでありました。以前なら、我らが止めてもさっさと月の宮へと出て行かれましたのに、今では本当に庭にすら出られない始末でありまして。」
蒼は、顔をしかめた。確かに、何かあったようだな。
蒼は、相良について歩きながら、問うた。
「こちらも急に顔を見なくなったので、心配して見に来たのだ。結蘭殿もお預かりしたままであるし。それにしても、公青はいつもこんなに急に塞ぎ込んだりするのか?」
相良は、蒼を案内しながら、困ったように首を振った。
「いいえ。王はいつなり堂々としていらして、少々のことには動じられませぬ。このようなことは初めてで、我らもどうしたらよいのかわからぬような状態で…あの、月の宮で、何かありましたのでしょうか。」
蒼は、ため息をついた。
「わからぬのだ。こちらこそ、何があったのか知りたいぐらいぞ。ま、とにかくは公青に会って、オレも探ってはみるが、あまり期待はしないでくれ。公青は、表面上はどうにでも装うからな。話す気になってくれなければ、無理だろう。」
相良は、本当に困っているようだった。
「本当に…よろしくお願い致しまする。政務は滞りなくしてくださっておりまするが、それでもあのように饒舌であられた王が、毎日険しいお顔をされておるのを見ておるのは、心苦しいのでございます。」
蒼は、うなずいた。すると、かなり歩いた後に、長い回廊の前に出た。龍の宮もこんな感じだったと思い当たった蒼は、長い回廊の正面に見える大きな扉が、きっと公青の居間へ通じるのだろうと思った。
思った通り、相良はその回廊に入ると、表情を引き締めた。
「蒼様、王の居間の戸が、あれに。」
蒼は、黙ってうなずいた。そのまま歩いてその扉へと到着すると、相良が言った。
「王。蒼様のお越しでございまする。」
しばらく、沈黙があった。そしてその後、低い声が答えた。
「入るが良い。」
そうして、扉は両側に開いた。すると、公青が正面の椅子に座って、こちらを見ていた。
しばらく見ていなかったが、公青の顔は少し、厳しくなっていた。蒼は、中へと足を進めながら、厳しくなっているのではなく、やつれたのだと知った。
公青は、ふっと微かに笑った。
「なんぞ。主から訪ねて来ることなどなかったのに。龍の宮以外には、主は滅多に出掛けぬだろうが。」
蒼は、歩いて近付きながら言った。
「結蘭殿のこともあるのに。急に宮に篭ったりするからだ。少し会わなかっただけで、やけに疲れているように見えるが、病か何かか?」
公青は、息をつくと、椅子を示した。
「座れ。」そして、心配そうにこちらを見ている相良を見た。「主はもう良い。下がれ。」
相良は、ためらったがひょこと頭を下げると、気遣わしげにしながら出て行った。蒼は、公青の前の椅子に座りながら言った。
「また大きな宮だな、公青。改めて見て、驚いた。よく考えたら、この広さの島を統治している王だものな。」
公青は、手を振った。
「この島には神が少ない。この規模で王が80ほどだ。そちらはあの規模で300以上であろう。我は、80ほどの宮の王達を傘下においておるだけ。維心殿とは比べ物にならぬ。あちらへ行くまで、井の中の蛙であったと思う。」
蒼は、慌てて首を振った。
「これだけ大きな島の、大きな宮に居れば大した王だ。あの事件が無ければ、序列は最高位だったと維心様も炎嘉様も言っておられたぐらいだから。皆が忘れた頃、序列が上がるんじゃないかと言われてるんだぞ。」
公青は、それでも表情を変えなかった。
「…序列の。まあ、今はどうでもよいわ。」
蒼は、公青が目を合わせずに話しているのが気になった。
「それで公青…最初の話に戻るが。」公青は、ちらと蒼の方へ視線を向けた。だが、まだ顔はあちらを向いている。それでも、蒼は続けた。「いったい、何があった。僅かな間にそのようにやつれて。あのように急に、何の言い訳もなく…主らしくない。」
いつもなら、何かあっても何なりと考えて、それらしいことを話してこちらを納得させて、不自然とは思わせないのに。
蒼は、そう思っていた。公青は、それをじっと横を向いて聞いていたが、蒼が黙って答えを待っているので、ため息をついた。そして、蒼を見た。
「…少し、疲れただけよ。臣下が妃が減ったと新たな妃を求めてうるそうてならなんだからの。何やら、虚しゅうなってしもうて。」
しかし、蒼は首を振った。
「ごまかすでない。それは、オレの所へ来た時にはもうとっくにそうだった。だが、主は突然に変わったではないか…ええっと、奏と、庭をウサギを見に行って、帰りに。」
蒼が思い出しながら言うと、公青はぴくっと反応した。蒼が、必要以上に公青が反応したので、食い入るように見つめた。
「え…公青?今…」と、人の心の機微を捉えれるその生まれながらの能力で、じっと見つめ続けた。「…まさか…奏か?」
公青は、くるりと蒼を見た。そして、何度も首を振った。
「違う!あれは龍ぞ、我はあれに懸想などしておらぬ!」
蒼は、いつもなら軽く流すであろう公青が、必死に言うのに逆に確信を持った。なので、肩の力を抜いて、椅子にもたれかかった。
「…公青。オレは、奏かと言っただけだ。主があれに懸想しているのかなど、聞いておらぬぞ。」
公青が、はっとしたような顔をして、慌てて横を向いた。蒼は、心の中では、愕然としていた。まさか、そんなことになるとは思わなかった。公青は、常龍は駄目だと言っていたのではなかったか。それなのに、奏をそんな風に見るようになるなんて。わかっていたはずの、公青が。
すると、公青はじっと黙っている蒼に、根負けしたように、下を向いたまま、言った。
「…あの日、我は悟ったのだ。妹か娘のように思うておるだけだと思うていたのに。そうではないことをの。なので、これ以上はならぬと思い、あの場を逃げ出した。龍など想うて娶っても、お互いに不幸。子は龍で、我の後を継ぐことは出来ぬ。必然的に、他の妃にも通わねばならず、その妃との間に子が出来るまで、臣下達は許さぬだろう。想えば想うほど、龍であってはお互いが不幸なのだ。奏のことを想うたら、我が娶るわけにはいかぬ。不幸になる…。」
蒼は、ただじっとそれを聞いていた。奏は龍…なので、公青は忘れようとしていたのだ。だが、短期間でこのやつれようと見ると、公青は心底奏を想っているらしい。今まで、女のことも、妃のことも、興味も無さげな感じだった公青なのに。
「…奏も、沈んで臥せっておることが多いのだ。」蒼が言うのに、公青は驚いて顔を上げた。「主が、自分に何も言わずに去ってしもうたと。何しろ、主が来るのをあれほど楽しみにしておったのだから。もしかして、あれも主を?」
公青は、蒼を見つめたまま、首を振った。
「知らぬ。我は何も告げなかったゆえ。奏は、臥せっておるのか?具合は?治癒の者をつけておるか。月の宮は、何かと放置しておるゆえ…。」
蒼は、息をついた。
「いくらなんでも、具合を悪くしている皇女を、放って置くことはない。だが、それならばオレから奏に聞いて、晃維に話を…」
しかし、公青は首を振った。
「聞いておらなんだか。奏は龍。奏が生むのは龍なのだ。跡継ぎを生めぬのだから、臣下は奏を正妃にすることを許さぬだろう。我は、奏を愛人扱いで宮へ入れるつもりなどない。あれは、そんな婚姻など望んでおらぬ。ただ想い合う男と添い遂げるのだと、それだけを願っておるのに…つらい思いをさせてしまう。我では、あれを幸福には出来ぬ…。」
公青は、また暗く沈んだ表情になった。蒼は、その顔を呆然とみた。女が龍だと、こんなことになってしまうのか。おそらく想い合っているだろうに、婚姻出来ないようなことに…。
蒼は、頭を抱えたのだった。