表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アキ晴レ  作者: 仲江
5/7

抱≪イダク≫

 今日は少し、肌寒い。

 気付いてはいたのだ。

 上着を一枚羽織り、紅い自転車でバイト先へと向かう。

 休日なので、7時から休憩を含み、17時まである。店長が話の分かる人で助かった。

 日が沈むのが早い。もう、薄暗くなり初めて、皆戸惑っている。

 気付いてはいたのだ。

 それを私は、疲れた瞳にひっそりと映した。

 そのバイト先で、知り合いに会った。自動ドアが開く。

 彼女だ。

 私に見せた事のない表情をしていて、その横には男。二人は心地良い風と共に颯爽と登場した。

 目が当然のように合う。バチッと彼女の中に何かが巡り、レジと不似合いな私に気付くと、笑顔が驚きに変わる。

 「よう。」

「……お久しぶりでございます。」

 私が声をかけると、彼女は落ち着きを静かに取り戻し、慣れた敬語を使った。

 隣の男が、知り合い?と小声で尋ねる。それに頷き、私に軽く一礼をすると、何事もなかったかのように店内をウロウロとし始めた。

 何故、声をかけたのだろう。いつもの私なら、相手から声をかけられても無視をするのに、反射的にかけてしまった。

 二人は仲良さそうに商品を選んでいる。なるほど恋人がいたからか。だから、あの時……。

 少しあの時の事を思い出しかけていたら、すぐにレジに来た。コーヒーを二缶とアップルティー。どちらもホットだ。そうか、今日は寒かった。

 「335円になります。」

彼女に初めて敬語を使う。

 レジを終えると、二人は出て行った。が、何故かまだ入口付近で話をしている。表情から、何を話しているかは読み取れない。

 すると、男と別れて、彼女だけがさっき買った物を持ったまま、小走りで戻ってきた。今度は真っ直ぐレジに来る。また、一礼。

 「今日は、アキラ様。」

髪が、少し伸びた。キャラメルブラウンにショートが清楚だ。ワンピースに軽くカーディガンを羽織っている。

 仕事着しか見た事のない私には、彼女の私服は新鮮だ。

 「お仕事はいつ頃にキリがつきますでしょうか。」

「さあね。」

「お話しいたしましょう。」

「何を。」

「世間話を。」

「何で。」

「お話ししたいのです。」

「何時に終わるか分からない。」

「終わるまでお待ちしております。」

「帰れ。」

『承りました。』彼女ならこう言う、筈だった。

 「お断りいたします。」

さっきの爽やかな風が、ピシ、とした空気に変わる。彼女は前と変わらず年下の私に敬語だが、口調には前と違う、自分の意思を感じる。

 「わたくしはもう、アキラ様の使用人ではないのですから、命ぜられた事を守る必要はないですよね。」

そう、彼女は最高の笑顔でハッキリと言った。そして、また一礼し、機嫌の良さそうに店を出る。

 どうやら、裏にあるスタッフルームの出口に向かったらしい。態度は変わったくせに、相変わらず考えている事はバレバレだ。

 「今の人、誰。」

同じバイト先の元樹の兄が話しかけてきた。(まあ、彼も元樹なわけだが。)

 彼は、あのクソ兄貴の友人でもある。容姿は元樹をそのまま男にしたようで、美しい。しかし霊感は全くない。兄貴と関わっているくせに、性格はかなりの大人で、気の利くなんとも完璧な人だ。おかしな所といえば、女口調な事だけ。

「可愛い人ね。」

 誤解を生むといけないので言っておくが、ホモではない。ただ、個性的なだけだ。苗字が元樹なのでしようがない。

 「あの人は……」

「お姉さん?」

「……。」

「あら、でもいなかったわよね。」

 どうやら彼は私達の会話は聞いていなかったらしい。家族に敬語は、おかしいだろう。

 「まあ、良いわ。アキラちゃん、もうあがる時間ね。お疲れ様。」

……参ったな。

 「お疲れ様です。」

彼女は何故こんなにも機嫌が良いのだ。

 「どうぞ、召し上がって下さい。」

さっき買ったアップルティーを差し出してきたので、私は黙って温かい缶コーヒーを彼女の横に置いた。

 「……。」

私の意外な行動に、どう受け応えようか困っている。

 「どうせ、それはもう冷めているだろう?」

彼女がアップルティーと一緒に買った、開けられていない缶を指差して言った。

 もう冬に近い今は、カーディガンだけでは寒いだろう。

 「ありがとうございます。」

……成る程。この笑顔にあの恋人はやられたわけか。

 さらに、彼女の機嫌は良くなる。

 このコーヒーが、元樹の兄が私にくれて、ただ私がアップルティーしか飲まない主義のため、調度良く彼女にやる事になったのは、黙っておく。

 「お元気でしたでしょうか。」

「あんたが現れるまでね。」

私が憎まれ口をたたくと、ふふ、と湯気の中でまた笑う。

 そして、彼女はコーヒーを、私は微温いアップルティーを飲み、静かな空気が流れる。

 これが、彼女か。この雰囲気は嫌いじゃない。

 「あんたが辞めて良かったよ。」

 でなければ、あの、感情を押し殺すが、抑え切れずに滲み出た物が仕事着に染み込む。そんな世界に埋もれて、彼女はいないままだった。

 「……わたくし、」

「苗字、何になる?」

彼女が何か言いかけるのを、遮って質問した。え、と小さく零す。

 キャラメルブラウンをかきあげる薬指に、シンプルな銀がチラチラ反射していた。

 「……内緒です。」

「何で。」

彼女は黙った。

「言えよ。」

温かいコーヒーを飲んで顔を火照らせたのか、頬が円く紅い。

「うー……みにゃらら……です。」

「馬鹿?」

「海野です。」

うみの……海野奈美。

「へえ、海の波になるわけ。」

「笑うのですかっ?」

「笑うかよ。つまらねえ。」

普段より、1.3倍冷たく当たると、彼女は何も言えずにうなだれた。

 「……アキラ様。」

私に聞こえている事は分かりきっているだろうと、返事をせずにアップルティーを飲んだ。

 これは、いつものより甘い。香の綿菓子が口の中でふわっと溶けて広がる。

 「正直に告白致しますと、これはチャンスだ、と思いました。」

「うん。」

 カン、と軽い音を響かせて、アップルティーをコンクリートの上に置く。

「え、何の事だか、分かりますか?」

「私が世話をしなくて良いと言ったときの事。」

「え。」

 彼女が正直な告白をしてきたので、私も便乗した。

「あのさ、あんたは見透かしやすすぎるんだ。」

「えー!?」

「気付いていなかった?」

「はい。」

 真顔で頷く彼女が、どうしても兎に見えた。しかし、寂しいくらいでは死なない、逞しい兎。

 「あんたさ、何故あの仕事に就いたわけ。」

「何故……ですか。」

「何故、あんな相性の悪い仕事に就いたわけ。」

 クリクリした目を私に預け、口を馬鹿のように半開き、彼女はキョト、とした。

「相性、悪かったですね。長く数をこなして、大分ましになりましたが、ドジをしますし、先輩方にも迷惑をおかけしましたし……。」

「そういうのじゃねえよ。」

私がイラついて、言葉を遮ると、彼女は瞬きを1秒の間に3回した。

 「どういうの、でしょう?」

「あんな、感情押し殺して餓鬼にペコペコする仕事。」

私は静かに呟いた。

 「あんたはもっと、優しい仕事に就けば良い。」

「もう、お仕事はしないと思います。寿退社させて頂いたので。」

「私がクビにした。」

 クスクスと彼女は笑う。きっと、兎が笑うとこんな感じなのだろう。

「優しいお仕事ですか。それはつまり、わたくしが優しいという事ですか。」

私は無視をした。彼女は生意気になった。生意気な兎。

 また、二人同時に沈黙して、彼女の空気が吹き返す。

 暫くお互い黄昏れていると、彼女は何か意を決したようにコーヒーの残りをガブガブ飲み干した。その途端、急に兎はせかせかとし始める。

 「相性、悪いですよ。

すっごくすごく。

わたくし、臨機応変が何より苦手でして、対応が悪い、なんて、先輩の口癖にさせてしまいましたし、生意気な子供が2人もいましたし、1人は直ぐに家出しましたし、ドジで、洗濯物も一日中浸け置きしていたり、漂泊剤の種類を取り違えてしまって、色の着いたお洋服真っ白にしてしまったり、もう7年間、良くクビにされなかったな、なんて、奇跡です。本当に向いていません。パソコンの打てないOLです。釘の打てない大工です。高所恐怖症の窓拭きです。ええ、そうですよっ。」

 それだけ一気に早口で言ったのにもかかわらず、彼女は全く息を切らしていなかった。

 それどころか、確かに冷たいものを感じた。それは冬が近いせいなどではない。

 「それなのに、何故、就いたのか。理由があるに決まっているではないですか。」

彼女は瞳に下手くそな影をかけた。

 「7年前、わたくしは雇われました。本心は、10年前すでに就きたいと考えていたのです。しかし、わたくしはまだ高校生でしたから、卒業をする迄、辛抱をせざるをえませんでした。あそこに就くため、わたくしは必死でした。」

 彼女は、今、どこを見つめている。その先に、何がある。

「復讐の、ために。」

 「あんたの本名は何だ。」

「本田奈美、本名でしたわ。姉は、母の旧姓を名乗っていたのです。」

そうだったのか。だから、今まで気付かなかった。

 10年前、兄貴が殴った使用人。奈美はその女の、妹だ。

 「両親は幼い頃に離婚しました。わたくし達姉妹は離れ離れになりましたが、わたくしは姉を慕っておりました。」

しかし。

 彼女は精一杯の低い声を出した。

「姉が、仕事先で怪我をした。13の少年に殴り殺されそうになった。」

ぐるんと私の方を向く。

「その報告を受けて、わたくしは復讐しようと誓ったのです。」

 冷たい風が容赦なく私の体を劈く。

 「で、それはできたの?」

クス。彼女はゆっくりと私の首の近くへと腕を伸ばしてきた。

 実際は腕の長さ以上の距離があるのに、顔が目の前にあるような錯覚を起こす。

 彼女はそれに気付いたのか、耳元で囁くようにこう言う。

「これから、です。」

 視界から彼女の掌が消えた。指が首を掠った。しかし、そのまま首を通り過ぎ、そっと私を抱きしめる。

 「ずっと、こうしたかった。」

優しく、彼女らしく、抱きしめられた。

 「復讐なんて、しなくても気持ちは解消できていたのです。だってとても、美しかったのですから。」

 きっと、穏やかな顔をしている。私のうなじら辺にいる彼女の表情。

 「美しく汚された、子供でした。」

 彼女は私の両腕を両掌で触れ、真っ直ぐ私を見てそう言った。

 何故か、彼女は泣きそうな表情を見せた。なのにハッキリとした口調で、今まで出せなかった感情をもろに吐き出す。

 「当初は本当に少年が姉を殴ったのか、疑いました。しかし、徐々に、ああ、彼だ。と、確かに感じたのです。そうしなければ、少年は壊れてしまった。ああ、そうか。姉は少年に危害を加えられたのではなく、少年の心のストッパーになったのだ。と、そう感じました。」

彼女は冷静に髪をかきあげ、一呼吸置いた。

 「しかし、それも違った。」

 りんごジュースが、欲しい。そうしたら私はうっかり、10年前に戻ってしまっただろう。アップルティーなど飲んでしまえば、気分が悪く、時間の経過を体に染み込ませてしまう。

 「少年にも、唯一大切なものがあった。自分ではなく、その大切なものが壊れるのを何より恐れて、殴ったのです。」

そうか。

 ……抽象的すぎるのだ。クソ兄貴。

 「この世の中を腐っている、と言う人が腐る程いる所へ、わたくし達は産まれてきたわけですが、仕様がないですよね。」

彼女は沈む夕日を見つめながら言った。

「腐ったものの中にこそ、純粋なものがこっそりと隠れているのですから。……だから、楽しいですよね。宝探しのようで。」 呑気な彼女の言葉に、私が目をつぶると、彼女が、あ、と叫んだ。

「少し、笑った。」

「だから何だ。別に珍しくもないだろう。」

ピョンピョンと跳ねるように笑われたので、不愉快になった。

 「アキラ様。」

「うるさい。」

今度はきちんと返事をしてやった。

「わたくし、実はできちゃった結婚なのです。」

腹を押さえて一児の母になる女が言う。

 「アキラ、と名付けても宜しいでしょうか。」 私は、あんたに似た餓鬼なら、こんなに格好良いのは似合わない。とだけ言っておいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ