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アキ晴レ  作者: 仲江
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財布≪サイフ≫

 今日、財布を捨てた。

8月31日。

 汚い湿ったモップで、前身拭かれた気分を地獄のように味わい、梅雨を乗り越えた。そして、夏休み。

 夏休みは毎日カラオケにボーリング、海に行き、旅行もした。

 その他諸々、出来る遊びはやり尽くしたが、喜怒哀楽どの感情も生まれず、覚えている事といえば、旅行と生理が重なったくらいだ。

 合コンにも何度か付き合わされた。そこで会った男も女も、性欲を満たしたい、ただの馬鹿だった。

 子孫を残す、という目的以外に性行為をするのは、人間以外いない。全く、くだらない。

 課題は金を払ってクラスメートにやらせた。

 これだけ遊び尽くしたが、金に困る事はなかった。

 ない、と言えば、財布を内ポケットから慣れたこなしで取り出して、額を見ずに4〜5枚の札を机の上に置いて行く。

 そりゃあ、モップで拭かれた娘の手など、触れたくないだろうよ。お蔭で4万はすぐに手に入った。

 しかし、これからはもう要らない……要らないのだ。

 そんな夏休みは今日で終わり、明日からは暑さの残る秋が始まる。

 今日はどこにも遊びに行かず、ただ、海沿いにある別荘に行った。

 そこの一室に篭り、私はひたすら考えた。

 何を考えたかというと、財布の中身の処理方法だ。もちろん財布も捨てるつもりだが、まずはそれだ。

 私の財布もブランド物で、ロゴが表面だけでなく内側の隅の隅迄写されている。

 これを渡された時、持つのは私なのに、他人の名札を持つなど不可解だと思った。

 色はピンク。“桃色”なんて可愛らしい呼び方はできない、ドキツい“ピンク色”。

 その二つが、私がこの財布を初めて見た時の第一印象だ。

 それを床に投げ捨てたままベッドに寝転び、私は考えた。

 中身は万札が11枚、五千円札が3枚、千円札が8枚、それと小銭が少し。飲食店やカラオケ、ボーリングなどのポイントカードや、割引券も入っていた。

 どうしようか、破り捨てようか。本当はそれが一番良い。

 今までもこれからも、まるでそんな物など存在しなかったように、ぽっ、と消えてなくならなくて良い。むしろ、それは困る。

 私の手で処理したい。手応えのある方法で。

 破って切り刻んで風にあげるか、海に捨てて腐るまで漂わせるか、燃やして灰を土に擦り込ませるか、どれにしよう。

 使い物にならない姿にするか、それとも私の視界に入らない所にやるのが良い。

 何だって良い。丸めて捨てれば良い事だ。こんな優柔不断な私も丸ごとなくなってしまえ。

 これは挑戦だ。金を失って、私は何が出来るか。

 学校へ通うための電車は、定期券を使えば乗れる。いや、自転車で登校しよう。いつもより30分早く起きれば問題ない。

 今までコンビニやファーストフードで済ましていた昼食も、これからは自分で弁当を作ろう。

 最低限、家にある物は使って良い事とする。

 だいたい、冷蔵庫の中身だって、私の物だ。他の奴が家で飲食しているのを、見た事がない。ほとんど居ないのだから当然か。

 使用人が私の材料を使って料理を作っているだけだ。これからは自分で作ると言えば、それで済む。

 誰かの遊びの誘いにのってもいけない。どうせ、誘いも馬鹿共が集まる合コンだ。問題ない。

 ストレスが溜まるなら、叫べば良い。叫びながら走って走って、頭に酸素を送らなければ良い。そうすれば、何も考えなくてすむ。

 私は出来る。大丈夫だ。

 辛い事はいつだって、自分一人で乗り越えて来た。今まで通りで良い。やっていける、やってやる。

 ムラムラやる気が湧いてきた。こうなったら誰にも止めさせない。自分の頑固さは自分が一番良く分かっている。

 勢い良く起き上がり、財布を拾いあげ、その勢いに乗って砂浜まで引っ張られるように飛び出した。

 きっと、月の引力のせい。そりゃあ、大きな海まで引っ張ってしまう引力だ。小さい私など、手軽いだろうよ。

 月の引力を借りて、私はそのドキツいピンクを中身ごと海へ投げ付けた。

 どうせまた波にのって打ち上げて来るだろうよ。だが、またいくらだって捨ててやるよ。元々、私には何もないのだから。

 私には、自分しか居ない。

 投げるのに勢いを付けすぎて、私は砂浜に足をとられた。ギリギリ手をついたが、顔に砂が付着したので私から砂浜に腹ばいになった。

 格好悪い。脱力してしまうよ。結局さっきの勢いは月のお蔭かよ。情けない。

 いくら夏の終わりだと言っても、まだ砂は熱い。しかし、夕方と海が冷まして調度良い温度になっている。

 今回の挑戦に、不安はない。ゲームみたいな物だ。だって、ゲームというのは、わざとややこしく、困難に作られているものじゃないか。なのに何故、攻略本などという物があるのだ。矛盾だ。

 世の中の細胞の一つ一つから全て、矛盾だらけだ。

 なら、何故……何故……。

 私は、こればかり。父はずっと、こればかり。

 何故、彼は私と目を合わせようとしないのだろう。

 何故、私達に使用人をつけたのだろう。

 何故、私が遊んでいても何も言わないのだろう。

 何故、たまに帰っている時、私とかち会うとピリピリ空気を変えるのだろう。

 何故、私が私立中学を嫌がった時に、溜息を吐いたのだろう。

 何故……、母の葬式に来なかったのだろう……。何故、それを今だに気に病んでいるの。愛してなどいなかったくせに。

 そんな彼にこう言いたい。

 あなたはダレに、エンリョしているのデスカ。

 彼は可哀相な人だ。愛してもいない人間と結婚し、愛してもいない人間との間に子どもをつくった。

 昔は可愛いかっただろうにね。いや、そうでもないか。私の頑固さとプライドの高さは、生まれ付きだ。

 可哀相な人。そして妻は死んで逝った。

 おまけに遺った子どもも今では紅髪にピアス。右耳に2個、左耳に3個。まあ、数なんて数えられる余裕などないだろうが。あと、へそピアス。次は口に開けようか。

 ピアスホールはへそ以外全て、安全ピンで開けた。その方が痛いからだ。もちろん私はアブノーマルでもないし、ましてやマゾでもない。ただ膿むのだ。

 炙らず消毒せず、尖ったピンで開けるとブチブチと皮が破れる音がして、貫通したらそれの代わりに透明ピアスを差し込む。そのまま放っておくと、ジクジク膿んでくる。

 そうなった夜は絶対に彼の帰りを待つ。夜中になろうと待って待って、たったの3秒、彼の前に膿んだ穴をさらす。

 私の小さな、1ミリのメッセージ。

 あなたハ膿んでなど、イマせんヨ。

 そうしてその夜は母の夢を見る。彼をまた一つ救ったのだから、最高の夢だ。

 呼吸をするたび、砂が口の中に入ってきそうになる。それもありかな、と、苦笑いして、唇に付いた砂をグロスごと拭った。

 ゆっくりゆっくり出来るだけ時間をかけて起き上がった。潮がここに満ちて来るまで、本当は動きたくなかった。でも、そこを堪えて起き上がる、そんな中途半端な自分に腹が立つ。

 そのまま無様に体を倒しているなんて、いくらでも出来た。ここには誰もいない。誰も見てなどいない。

 しかし、自分が見ている。私の唯一の味方であり、仲間であり、家族であり、神である、自分が。

 あんなに早く私達を置いて逝った事で母に裏切られ、それを見捨てた事で父に裏切られ、裏切る絆すら持てないクラスメート、使用人。

 そんな触れ合う事のない人間関係中で、唯一裏切らないのは自分だ。唯一信じられるのは、自分だ。

 こんな世界で今までやってこられたのは、自分がいたからだ。私は自分がいるから私でいられる。自分がいるから、生きていられる。だから、自分がいなかったら私ではなくなる。……つまり、そういう事だ。

 特に体に命令した覚えはないが、私は立ち上がっていた。

 海が、月に引っ張られている。なんて、中途半端なのだろう。

 地球の重力に従ってここにいるのに、何故、月に引っ張られているのだ。

 そんな海に腹立たしくなり、私は財布を海に捨てた選択は間違ってなどいなかったと思えた。


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