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プロローグ

寒さという点でも、確かに今日は『特別な日』だった。


 明け方まで賑わっているはずの飲み屋街も今日に限ってはシャッターが下ろされ、信号が青になったスクランブル交差点も、どこからか飛んできたビニール袋だけが寂しく横断しているだけだった。


 曰く、今日は『六三年ぶりの大寒波』だったらしい。

 逆にそこまで遡らなければ該当がなかったのかと言われれば、思わず小さく笑ってしまうようなニュースだが‥‥‥ほとんどの人間にとっての焦点はそこではない。


 問題は——その恐ろしく寒い今日が十二月二十五日、クリスマスだったということだ。



———しかし当日になってキャンセルが相次いだお店側からしたら、堪ったものじゃないですねぇこれは。


———はい、そうですね・・・。しかし「外に出るよりは」と考えるのは、これはもう当然と言うか、仕方のないところもありますが・・・。


———今日は家で過ごそうと変更した人も少なくないのではないでしょうか。

 


 しかしそれはクリスマスに用事がある者限定の話だろう。


 規定違反の小型ラジオを片耳イヤホンで聞きながら、中年男は夜の廊下で自嘲する。

 そこには強がりも虚勢もない。

 もちろん数年前までは、少しは既婚者や恋人がいる者を羨む心を持ってはいたが‥‥‥歳を取るにつれ、そんな感情は消え、すべてがどうでもよくなっていた。

 一言で言えば、枯れたのだ。

 女性のちょっとした仕草に一喜一憂していた時代が懐かしいと、男は目を細めながら、話題が切り替わる時に流れる小気味いい音楽に耳を傾ける。


 そして三度、あの怪奇現象が男を襲う。


 「‥‥っ!」


 ラジオに割いていた意識が、一瞬で外に戻される。

 またかと思い振り返るが、そこにあるのは見慣れた薄暗い廊下が奥まで続いているだけだ。


 「ったく、なんだよ‥‥‥」


 氷のようになった硝子に映る自分と目が合った男は、その奥の夜空の遥か向こうに浮かぶ月を見上げる。

 欠けることのない綺麗な満月だ。


 「‥‥見つからねえなぁ」


 冷気交じりの溜息を吐きながら男は歩いてきた巡回ルートを引き返す。


 探しているのは風の発生源だ。

 密閉されたはずの校舎に夜風が入り込む。この事をいや普通の事ではないかと鼻で一笑出来れば良かったのだが、今回のこれは明らかに度が違う。

 もちろん隙間風という可能性もあることにはあるだろう。どこかに穴が空いている可能性もあることにはある。この過度の疑念はこのまま杞憂に終わるかもしれない。


 (万が一があるかもしれねぇんだよな)


 何故か嫌な予感が止まらない男の、不安と採算度返しの行動は、極寒の風が吹く学び舎の廊下でも変わらない。

 後々面倒くさいことにならないため、もちろん業務を全うするため、男は次の階層へと足を進める。



 ‥‥追い込まれた人間はどうなるのだろう。


 八甲田山の雪中行軍を例に挙げる。

 明治三十五年、対ロシア戦で予想される極寒の地での戦争。

 それらをシミュレートして行われた冬の山での軍事演習の事であり‥‥‥‥そこで起こった事件の名称だ。

 

 何が起きたか‥‥‥その凄惨な事件の内容は、生き残った人間の数が物語っていると言えるだろう。


 『五名』だ。

 二百人を超える青森歩兵第5連隊で生き残ったのは僅か五名。実に九割以上の人間がその山で命を落とした。


 劣悪な環境

 肉体の限界

 加速度的に擦り減る精神力


 言うのも憚られる、『彼ら』にとっての地獄がそこにはあった。



 「‥‥‥ぁ」


 それは暗闇に溶けて無くなるほどの、微かな音だった。

 すぐに男は教室の扉を開ける。

 だがそこには誰がいることもなく、ましてや誰かが出てくることもなく——ひた‥‥‥ひた‥‥‥と『コンクリートの床を素足で歩いたような音』が聞こえるだけだ。


 ‥‥‥どれだけ目を凝らしても、音の主が見えることはない。

 やがてその足音は夜の闇に消えてなくなり、辺りは再び静寂に包まれる。

 あるのは半開きの二年二組の教室の扉と、クリスマスソングが流れる小型ラジオと、数秒前までそこには存在しなかった「それ」だった。


 それも一つではない。

 廊下、踊り場、教室、階段と‥‥‥至る所にある『それら』は異臭を放ちながら存在していた。

 言葉を発することはない。

 意思も感じない。

 それらは床や地面を我が子のようにしがみ付き、放そうとしない。

 


 それらは凄惨な『人間の成れの果ての姿』だった。




 雲から出た月の光が辺りを照らす。


 「‥‥‥‥あぁ」


 煽情的な息を吐きながら、女は恍惚の表情を浮かべる。

 そこにいるのは、人を惑わす香のような女だった。


 「はぁ‥‥今日は良い日ねぇ」

 けだるげな声とは裏腹に、女の体はゾクゾクと全能感に満ちていた。

 今が人生最高の日だと喜びと快感を噛みしめているその姿は、まるで薬物(ドラッグ)にハマる常習者のようだった。


 屋上の給水タンクの上で女は立ち上がる。


 退廃的な笑みを浮かべる女の背中には、この世の理から外れた幾何学的な翼が展開されていた。

 赤く染まった左手を月にかざし、滴り落ちる赤い水滴にほぅと見惚れるその姿は絵本から飛び出した麗しき吸血鬼のようだった。


「いい」


そう言いながらうっとりしている彼女の横顔は、思わず息を呑んでしまうほどに美しく、そして危うかった。



 これは『能力者大量虐殺の日』の話だ。

 多数の人間を生贄にし、この日一つの完全犯罪が成された。


日本が舞台の能力系の作品にしようと思います。

異世界系にしようとも思いましたが、現代の舞台の方が伝えたいことがあるので。

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