第1章: 世界が音を失う日
202X年、突如として世界を襲ったエボラウイルスの新型株。その恐怖はまるで悪夢のようだった。テレビのニュースが最初に報じたとき、僕はただ他人事のように感じていた。「またどこかの国の大変な話か」と。けれど、事態は思ったよりも早く、そして容赦なく日本を飲み込んだ。
感染力と致死率は驚異的だった。空港や駅などの公共の場が閉鎖され、街はまるでゴーストタウンと化していった。人々は恐怖に怯え、家に閉じこもるしかなかった。僕もその一人だった。
しかし、それでも外の世界の変化は容赦なく耳に飛び込んでくる。近所の家から悲鳴が聞こえた日、僕はその音が途切れるまで耳を塞ぎ、布団に包まって震えていた。誰も助けには来なかった。いや、来れるはずがなかったのだ。
部屋の中は散らかったままだ。冷蔵庫には賞味期限切れの食品が山積みになっており、テレビは完全に沈黙していた。ネットも完全に沈黙していた。僕は一日中ベッドの上で過ごし、やる気を失った体でただ時間が過ぎるのを待つだけだった。
そんな日々の中で、突如停電が起きた。夜遅く、いつものようにぼんやりとスマホの画面を見つめていたときだった。
「......え?」
部屋全体が真っ暗になり、音も消えた。冷蔵庫の微かな音や、壁に埋め込まれた電気機器の低いハム音すら消え失せていた。僕は慌ててスマホのライトを点け、辺りを照らした。
「停電か......」
電気が途絶えると、今まで以上に孤独感が押し寄せてきた。照明の光がなくなるだけで、世界が完全に僕を拒絶したように感じられる。窓から外を覗いてみたが、そこも同じだった。どこにも明かりは見えない。
「これで完全に切り離されたってわけか......」
僕は布団に潜り込み、スマホの明かりを頼りにその場をしのぐしかなかった。スマホのバッテリーが切れるのは時間の問題だった。電気がないということは充電もできない。何か解決策を考えなければならないのに、思考はまとまらなかった。
「どうして僕だけが生き残ったんだろう...」
自問自答する日々。ある時、窓の外を眺めると、いつも聞こえていた子供たちの遊ぶ声も、犬の鳴き声もすっかり消えていた。鳥のさえずりすら聞こえない。世界から音が完全に消えたようだった。
日が経つにつれ、僕の生活はさらに単調で空虚なものになった。食料のストックを漁り、無心でカップラーメンを啜る。それが、僕の日常の全てだった。インスタント食品が尽きれば、自分も死ぬだろう。その程度の覚悟はできていた。
「結局、生き残る価値なんてないんだよな、僕みたいなやつに...」
そんなことを思いながら、また一日を無為に過ごす。生きる理由が見つからないまま、僕の意識はただ沈んでいくばかりだった。
それでも、何かが僕をここに留めていた。恐怖なのか、希望なのか、それとも単なる執着なのか、自分でも分からなかった。ただ、生きるという行為が本能的に僕を支配していたのだろう。
ある日、僕は思い切って外に出てみた。完全防備でマスクと手袋を装着し、近所のスーパーに足を運んだ。そこには、すでに荒らされて空っぽになった棚と、散らかった商品だけが残されていた。異様な静けさが耳に痛いほどだった。
「これが今の世界なんだな...」
僕はそこで、誰にも拾われずに転がっていた缶詰を手に取り、それを持ち帰った。その瞬間、ふと自分がまだ生きる意志を持っていることに気づいた。生きる理由なんてなくても、何かが僕をここに留めている。
戻った家の中で、窓から差し込む薄暗い光を眺めながら、僕は缶詰の中身を無心で食べた。未来への希望などなかったが、それでも、今日を生き延びたという実感だけが僕を支えていた。