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【最悪仕様のチート魔法】お嬢様な【俺】と、たたれし恋のメヌエットはデラ・アイロニック  作者: 庭廷梛和
第二章 狐の懸想曲【赤狐さまはご執心】

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【tp27】正直なほどツミな三日目、名乗れない俺と令嬢たちの帰り途

 ず、と滑りかけたブーツに、俺は大きく息を吐いた。雨交じりの空気は、吸い込むには冷たい。あんまりよろしくないよな。思うけれど、それ以上に出来ることなどない。


 少し寒い、ペギーへそう返したのは俺の主観だったけれど、レベッカお嬢様にはもはや、少しどころではなさそう。手足の先が言うことを聞かなくなりつつある。

 景色全部に敷き詰められた腐葉土の上で、無様に転げそうになったのが、何よりも確かなその証拠だった。


 パタタタ。雨粒が、ペギーの傘を叩いた大きな音が響き、レベッカが視線を引き上げた。

 彼女の瞳によく似た、柔らかな新芽の緑。飛び込んで来たその色に見惚れる余裕など、俺にだってあろうはずがない。笙真ならともかく。


 泥だらけのまま眠る白鼠を庇うように、手のひらを強張(こわば)らせたレベッカに付き合い、もうひと呼吸。冷たさに文句をこぼした肺腑(はいふ)をどうにか説き伏せて、更に胸郭(きょうかく)を膨らませる。


 寒いと思ったら負けだ。それより足元。転んでも笙真を抱えたこの身体じゃあ、(ポーリャ)だって受け身をとれないんだから。とにかく俺が転ばないよう、しっかりしなきゃ。


 それだけを心において、かじかむ爪先を更に前へ。一秒遅れで、ループしている思考に蹴躓(けつまづ)いて、俺は耐えきれずに、息を呑んだ。冷えた感触が、歯列の内側から震えを励起(よびおこ)してくる。


 負けるか。俺はレベッカの片頬に奥歯を食い込ませる。じんわりとした痛みとともに、僅かに赤茶けた味が口の中に広がった。


「⋯⋯⋯⋯う、」「ごめん」


 予告なしに疼いた左頬を肩口に押しつけて、レベッカが呻いた。俺の謝罪と同時に、足が止まる。


「お嬢様?」


 主の上げた奇妙な声を聞き咎めてか、ペギーも歩みを止めてくれたらしい。

 (ハス)にした雨傘を、首を傾けて器用に支えながら身を屈めた少女から、立ち止まった俺たちが覗き込まれる。


「ポーリャ殿」


 ペギーが、今度は俺だけを呼び止めた。もどかしげな菫色の瞳に、鈍くなった(ひわ)色が浮かび上がった。


「少し休まれますか?」

「要らない。だって笙真君が。早く先生のうちに帰らないと」


 お嬢様の即答と同時に、踵が地面を蹴る。ブーツに包まれたレベッカの両足がもつれかけ、いけない、転ぶ。俺の認識が追いついた時には、すでにバランスを失くしていた。


「⋯⋯休みましょう。少しだけで構いませんから」

「⋯⋯⋯⋯。」


 鳩尾(みぞおち)に手をかけた侍女に促されて、無言で頷いたのは俺だった。悔しそうな顔つきが、ペギーの瞳に再び映り込む。レベッカ様は俺以上に納得していないみたいだ。こくんと頷かされたお嬢様が、渋々返事を足してみせる。


「いいわよ。でも、ほんとにちょっとだけだから」


 雨音がまた高くなった。お嬢様に聞かれているのは百も承知で、俺は内心でため息を吐き出した。そうでもしないと、俺が破裂しそうだった。


「レベッカ様、ポーリャ殿」

「なに?」


 笙真を閉じ込めた白い拳に、じっと視線を落とした小さな主人の姿。そこへ呼びかけてきたペギーに、声だけで応じたのは、お嬢様のほうが先だった。


「笙真の具合が心配なのは分かりますが、ペギーの務めはレベッカ様にお仕えすることです。あんまり意地を張ると、置いていかせて、しまいますわよ?」


 誰を、が略されたペギーの言葉だったが、俺には直ぐにピンと来た。笙真をレベッカに連れ帰らせてやりたい。だから、俺がこの子を支えるべし。そう言いたかったのだろう。

 そこまで回りくどくしなくても、お嬢様には分からないと思うんだけどな。


「ポーリャとペギー、今、意地悪言った。リベ、ちゃんとわかってるから」


 俺の思考をつまみ食いしたレベッカが、唇を尖らせ、抗議。その合間を縫って、サイズオーバー過ぎる笙真の上着を俺たちの身体に羽織らせてくれたペギーが、短く鼻を鳴らしたのが、嫌でも聞こえて来てしまった。

 冷えがしんどいのは、彼女も変わらないらしい。

 

「でしたら、辛抱はそこまでにされてくださいまし。宮代笙真の二の舞になっては、なりませんから。(わたくし)もお嬢様も」

「いやよ。あたしはお姉さんらしく頑張るわ。レディなんだもの、寒くなんてない。そうよね、ポーリャ?」

 ⋯⋯ハリボテの淑女らしさが、やっとの俺に同意を求められても困んだけどな。この考えだってさ、レベッカに噛みつかれかねないし。

「何言ってるのよ。噛んだのは、ポーリャじゃない。⋯⋯笙真君、大丈夫かな」


 柔らかく重なっていた手のひらが、僅かに開き、また()じ合わされる。

 一瞬だけ視認できた笙真は、されるがまま。身じろぎすら返してこない。レベッカじゃなくても心配したくなる酷い有様に、俺は心の中でじっと考え込んだ。レベッカが、はふと音を立てて、握りこぶしに吐息を吹きかける。

 俺が歯を立てた口角の奥が、ちくんと疼きをあげた。


「大丈夫、少し尻尾が動いた。ちゃんと休めば、じきによくなるよ。俺も『明かし』だから分かるから、安心して。笙真はちゃんと起きられるはずさ」

「そうよね、昨日も大丈夫だったもの」

「だろう? ペギー、これ以上何も起きない内に、道まで出たほうが多分、いい。急ぎたいから、行こう」


 乾いた泥とともに、こめかみに張り付いていた髪の一房を手首で拭うと、俺は《鳥》の少女を見上げた。一瞬ののち、視線を巡らせる。雨縞模様の先で不自然に途切れた木々は、斜面の終わりが近いことを俺たちに教えてくれているようだった。



「こいつを飛び降りるのは」「無理だろうな」


 急角度に変わるぎりぎりに立って、身を乗り出した俺に、ペギーが間髪入れず答えてきた。


「路面まで、五メートルどころじゃないね。二十四、五⋯⋯三十はなさそうだけど」

「だよな。ペギーの《鳥》の魔法ってさ、この高さでも問題ない?」

「お嬢様だけなら、いいさ。でも、わたしは無理だな。迂回しよう」


「《二つ身(デュプレックス)》を使えば? ペギーは《鳥》だしさ」


 何の気なしに口走った俺に、ペギーが眉を寄せた。


「悪いけどね、手荷物が多すぎるから遠慮するよ。雨でなきゃ、考えてもよかったけどね」


 泥だらけのスカートをひとはたきして、硬さのある男言葉でもう一言。濃青のチュールレースが、彼女の指先から離れると、ゆっくりと元の位置まで落ちていく。

 どうもまた、失言したみたいだ。といっても、さっきの傷口と違って、何が地雷かは図りかねた。ペギーの態度からして、今度のほうが遥かにデリカシーを欠いていたのだけは、なんとなく分かったけれど。俺の何がいけなかったのやら。


「魔力がだだ漏れだよ。疲れるだけなんだし、何がどうかなんて、気にしないでほしいから、やめて?」


 俺の自覚より早く、好奇心が呼び起こした発動不能な俺の魔法(『読み』)の存在を指摘される。鋭すぎる目だよね、ほんとに。俺のEAPと同じくらい高精度とかさ。先生(ししょー)が知ったら、寝込むんじゃねえかな。


「ポーリャ、ししょうって?」


 ペギーの目に観られないよう、魔法を落ち着けつつ思った瞬間、レベッカの真っ直ぐな問いかけが、唇をついて飛び出した。「明かし」のはずの俺の内心が、「読み」も経ずに安々と晒されるなんて、不条理すぎる。本来とあべこべ過ぎて、結構悲しい。こんな身体だから、致し方なしとは言え。


「俺の魔法の先生(せんせい)だよ。笙真君と同じ名前なんだ」

 

 ⋯⋯本当は、同じなのは「名前」だけじゃないんだけどね。


 もう一月以上、会えてない。手の中で昏々と(ねむ)り続ける白鼠の少年の、もう一つの顔を思い浮かべる。俺の先生によく似た彼の表情はすぐに頭に現れた。それなのに、四半世紀余り年を重ねた四十歳の笙真先生の顔の作りが、はっきりとは思い出せない。


「同じ名前!? それってすごく素敵! 素敵すぎだわ! ポーリャの先生は、笙真君と同じくらい魔法も上手なの?」

「もちろん。誰にも負けないくらいにね。俺の先生は、お嬢様の笙真君よりずっと大人なんだ」

「大人の笙真君かあ⋯⋯。リベも会ってみたいな」


 上目遣いになって、うっとりとしたレベッカの口調。思わず、俺は声を詰まらせた。

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