【tp21】正直なほどツミな三日目のはじまりは、恋々たる尻尾付きにて
呼びかけた俺の言葉に、先に反応を示したのは笙真だった。
むず痒そうに揺れた睫毛に続いて、茶色の瞳を顕わにした少年が怪訝そうな表情を作った。レベッカ嬢の姿形をしている俺と目が合う。
「⋯⋯⋯⋯」
眠気の中に解けていた焦点が、数秒ほどかけて普段の彼らしい怜悧さを取り戻す。その間ずっと無言だった少年は、さも残念そうな瞬きひとつを挟んだあとで、口を開いた。
「レベッカ様は?」
「よく眠ってるよ。さっきから起こしてるけど、手強そう」
「なら、やめてあげて。――腹減ったな、先に飯にしよう?」
「同感。チョコ食う?」
「師匠に散々言われたし、今朝はやめとくよ」
それもそうだわな。
補給と休息を蔑ろにしたまま、続けられた笙真の森への出入り。
彼への叱責に端を発した昨日の知恵先生と笙真の怒鳴り合いは、ドア越しに漏れ聞こえて来た分だけでも、俺らの背筋が伸びるくらい凄まじかったもん。
思いながら、俺は立ち上がった。
お嬢様やペギーも聞いていたと知ったら、彼はどう思うことやら。
心に浮かんだ考えを「読ま」れないよう、そっぽを向いて少年から距離を取る。
笙真が伸びでもしたのか、小さなうめきが耳朶を叩いた。
俺は、彼の声に改めて気を引かれたふりをして、強張っていた首を巡らせた。
茶色の毛布を手にしている彼に、なにしてるの?と、「読み」やすいように心の中に問いを浮かべる。
「なにって、毛布。片付けなきゃ」
「ペギーから、お小言喰らう前に?」
「⋯⋯分かってんじゃん? よし、できた」
てきぱきでも、ゆっくりでもない早さで畳み終えた毛布を、充てがわれていたドアの向こうに、笙真が放り投げた。
それぞれのスマホを手にした笙真と二人で、あくびを噛みながら階下に降りる。
居間と続き間になっている出水家のキッチンには、驚いたことに、すでにペギーの姿があった。
「おはよう。笙真はともかく、ポーリャ殿、今朝は随分早いね。まだ五時だぞ?」
気怠げな横目で俺たちを窺いながら、あいさつを投げかけてくる。
彼女の出で立ちは、いつものエプロンドレスではなく、隙だらけなラベンダー色のルームウェアだった。
火傷を負った指では、手間のかかるアップスタイルはさすがに無理だったのだろう。
長い三つ編みの鮮やかな金髪を、カーディガンの背中へ下ろした少女は、調理台に向かっている。どうやら、朝食の支度途中らしかった。
「おはよう。手、平気なの?」
「問題ないよ。簡単な作業だけなら平気」
俺の問いかけに、相変わらずの淡々とした様子で答えると、菫色の視線をあげ、棚の上のポットを見遣る。湖面みたいだった彼女の目が、朝日を跳ね返しながら、少しだけ揺れた。
「それ、昨日火傷したポットでしょ。お茶ならボクが淹れるから、マーゴットはポーリャちゃんと一緒に休んでなよ」
「俺は、やだよ。言ったよね、台所仕事なら任せとけって。……俺も、ペギーは座ってたほうがいいと思うけどね」
「二人して、主を働かせて休む怠惰な侍女に、わたしを仕立てようってわけ? どんな魂胆か知らないけど、お断りさせてもらうよ」
「そういうのが面倒くさいんだよ。二人とも。怪我人と子供に任せられるわけないんだから、マーゴットはポーリャちゃんを見ながら居間で待っててよ、お願いだから」
五歳児姿の俺をペギーに押し付けると、笙真は、うんざりした顔でリビングのほうに視線を投げかけた。
俺とペギーは、無言で互いに目配せ。どちらからともなく頷き合う。
「わかったよ。お嬢様を起こして三人で待たせてもらうね」
「それがいい。わたしもレベッカ様とお話がしたかったんだ」
笙真は、眉を上げただけでそれ以上なにも言わなかった。
彼の遠慮通り、この身体の主を起こさせてもらおう。彼女が台所仕事を望んだら、笙真のことだ。きっと断れないに違いない。
「⋯⋯ねえ、ポーリャ殿。本当にお嬢様を起こせるの?」
「たぶん。昨日は呼びかけたら、返事をしてくれたんだ。それからは、ほとんど起きてくれていたから、今だって同じ要領で出来ると思うよ。やってみてもいい?」
「お嬢様が、昨日みたいに取り乱されたりは……」
「ないと思う。絶対に、とまでは言えないけど……。ペギーが不安なら、自然に起きてくれるまで待とうか?」
心配そうに眉間に皺を寄せたペギーが、座卓越しに、抑えた声音で、俺に尋ねてきた。
ペギーの斜向かい、お嬢様のための上座から二番目の席に腰を下ろした俺は、彼女と同じ、低めのトーンで応じる。
答えながら、肩を竦めた俺をペギーはじっと見つめた。
昨日と同じように、ペギーの菫色の瞳に、鶸色の目をしたお嬢様の姿が映り込んでいる。
「ペギーはさ、お嬢様とあいつにかかった疑いを晴らしたいんだよね? だったら⋯⋯」
「どのみち、事件のことはお嬢様本人から聞くほかない。ポーリャちゃんはそう思ってるんでしょ」
いきなり割り込んだ笙真の声に、ペギーと俺は、二人して浮足立った。
そんな俺たちを、さして気にも留めていなさそうな素振りで、テーブルに茶器を並べながら、笙真が続ける。かちゃかちゃと音がする。
「何を驚いてるのさ。二人の会話、キッチンまで全部筒抜けだよ」
「⋯⋯⋯⋯」
なあ、笙真君。まさか、「読ん」でた?
「『読ま』なくても丸聞こえ。……二人とも声、相当響いてるよ。『明かし』のくせに気づかなかったの?」
ペギーと同じく沈黙した俺に対して、小さく首を振った彼は、いつものように皮肉を吐いて、なおも続けた。
「それにさ、起こすタイミングとレベッカ様が取り乱されるかどうかは関係ないよ。そうなった時はそうなった時だ」
「それなら俺も同感。昨日はどうにかできたからね」
給仕されたばかりの紅茶から立ち上がる湯気越しに、ペギーに向かって回答を促す。
笙真は、彼女の返事には興味がないのか、空の盆だけを手に再び台所へと戻っていってしまった。
後ろのほうから、水音がする。彼は、仕事の手を止めてまで、リビングに顔を出し直すつもりが本当にないらしい。
レベッカお嬢様の侍女は、しばしの間、視線を窓の外や、キッチンへと彷徨わせたのち、主人の姿をした俺の目を見据え、小さく頷いた。
「お願いするよ。でも」
「でも?」
不自然に言葉を切った少女に尋ね返す。
少女は、今度は即座に答えてきた。
「無理はしないで欲しい。ラウラたちから聞いた話だけで、わたしの身が縮みそうになったんだから」
ラウラ、ね。
とにかく個性的だった大型鳥たちの派手な見た目や、彼女たちのオート三輪に乗せられるまでの顛末を思い出しながら、俺は素直な返事を口にした。
「もちろん、しないつもり。俺だって、あんなのは御免だもん。――そろそろ始めるね?」
言うやいなや、心の底を浚うために、俺は目を閉じる。
瞼の下で上目遣いを作るつもりで、気持ちを集中させた。
統も、俺と過ごしはじめた頃は、こうだったのだろうか。祠の中に、疑問に答えてくれる相手はいなかったけれど、かわりに別の気配が見つかった。お嬢様だ。
《二つ身》の魔法で変身した彼女のもう一つの姿、赤狐と同じ、ふわふわで、暖かそうな毛玉。
起きようよ。朝だよ。ねえ、おーきーて?
先ほどと同じように呼びかけると、その度毎に毛玉が震えた。
……だめだな、やっぱり手強い。
震えるばかりで、目覚めそうにない様に、浮かぶ感想。
仕方がないので、さらに意識を研ぎ澄ませ、接近する。眼前にあるのは、色づいたコキアくらいの、柔らかなひとかたまり。
そのかたまりに、俺の心が触れると、毛玉は小さな赤毛の女の子に姿を変えた。
俺のせいでやせぎすになった手足を丸めて、眠りこけている。
やれやれ、大層な眠り姫だこと。
幼いながらに、整った横顔に思う。
ほら、起きなよ。
お嬢様の大好きな笙真君が、朝ごはんを用意してくれてるんだからさ?
呼びかけながら、穏やかな寝息とともに上下する、レベッカの肩を揺さぶろうとした。
伸ばした手のひらが届く、わずかに寸前。
突如として、彼女の瞳が見開かれた。
宮代家の魔法使いとして、幾度となく人の心を覗いてきた俺ですら、ぞっとするほどの虚ろで冷めた煌やき。
鶸色の虹彩の上で瞬いていたのは、そんな昏いひかりだった。




