【tp17】無理を承知でお嬢様の《鋏》を凌ぎきった俺と、極彩色の次なるトラブル:ホップ・ステップな二日目 其の六
あの日、俺が解体を試みた《狐》の女による《鋏》――《雨上がりの水たまりから鋏を放つ魔法》――の最大射程は、約三メートル。
けれど。笙真たちの話によると、たった今、俺が撥ね散らかしたばかりのレベッカお嬢様の《鋏》の正式な名称である《刈り取りのための鋏を呼び寄せる魔法》には、射程という概念は存在しないらしい。
彼らの言葉通り、尻尾を舵代わりに飛び退った距離は、確実に三メートルは超えているはずなのに、まるで殺到するような勢いで、彼女が標的として定めたこの身体の中心に向かって、腕を駆け上がってくる撥ね返しの魔力。
《鋏》と「読み」の意外な共通点としてその中に残った基層的特徴に、却って扱いやすくなったと、煮えたぎるような頭の中で、「読み」を扱うための起点として久方ぶりに保っていた、不自然なほどの冷静さの裡に意識の中心を据えながら、俺は思っていた。
これなら、結節点までは設定しなくても、なんとかなりそう。
少しだけ安堵しかけ、慌てて気を引き締める。
だめだめ、被保護対象がいるんだ、油断は禁物だろ。
蒼穹に洗われ、連日の酷使による疲れが少しだけ和らいでいた借り物の目をさらに凝らす。
この一月で、笙真の課してくれた修練によって、特に集中して鍛えられた視界には、構造色によりくすんだ虹色と桃紅色を帯びた、うねうねと横たわる魔法が薄っすらと観えた。
撥ねたあともお嬢様のへぼなコントロールのせいで、魔力の追加があったもんだから、「読み」の形に変えられたのは、ほぼ半分。
くすんだ虹色になっているのが、俺の型による練りを施された魔力だ。
きちんとした「読み」の形に魔力を練るのは久しぶりだし、型が半分しか使えなかったわりにはなかなか上手にできたみたいだ。さすが、俺。
こんだけ綺麗に分かれていれば、撥ね返ってきても魔法同士で勝手に食い合ってほとんど自壊するから、大丈夫。
ようやく安心した俺は、あいつがねぐらにしていた祠まで逃げ込んで怯えるお嬢様を、なだめるように、腕を交差させ、実に頼りない小さな肩を抱く。
左右の腕を這い上っていた油膜色の魔力が、肘と二の腕と手首の間の、俺のせいで、さらにやせぎすになってしまった腕々が重なる場所で再び混ざり合い、衣擦れに似たささやかな音だけを後に残して、手品みたいに姿を消した。
撥ねた魔法に引っ張られていた名残りで、腕ごと身体が前に倒れそうになるのを、奥歯を軽く噛んで、気合を入れて我慢した。
どうにか蹈鞴を踏むだけで凌ぎ切る。
今となっては、俺が「明かし」であることの唯一無二の証明である《読み》の型も、お嬢様も無事だ。本当によかった。
見下ろした視界の中で、長い銅色ベースの髪やほとんど一本筋みたいな臍の窪みだけではなく、全てが露わになっている青白い肌はもちろんのこと、その身の奥で俺の心が抱きしめている型にも、わずかな傷だって認められなかった。
あの日と同じように、安堵の長い息が溢れた。あの時より、少しだけ温度の高いため息だった。
途端に、泥のように重くなった身体に、本当に素直な身体に心だなと思わず感心する。
だけど、まだ倒れたら、だめだ。まだ、お嬢様の着替えと俺の魔法の片付けが残って――…………。
しっかりしろ、俺!
柔らかいほっぺたを傷つけないよう、控えめな力で爪を立て、もういちど意識をしゃんとさせる。
しっかりして、もう大丈夫だから。落ち着いて? お嬢様に俺は呼びかけ、脱ぎ捨てられたままだった彼女の衣服に近づいて拾い上げた。
二人で力を合わせてポーリャの見栄えを、本当に最低限だけ整えた俺の意識に、いよいよ抗えないくらいのノイジーな幕がかかる。
お嬢様の気持ちに、なるべく寄り添えるように、そう思いかけたところで、緞帳が下がりきった。
◇
「あたし⋯⋯?」
はあ、はあっ、はあっと、あらく、いきをしながら、逃げ込んだ小さないしのおやしろの中で、いっしゅんぼうっとしたあとで、あたしは立ち上がった。
耳の奥が、がんがんする。おもわずつぶっちゃった、まぶたの裏もまっかっかだった。
気持ち悪い。このままねちゃいたい。でも、まだ、おきてなきゃ⋯⋯。
わかんないけど、はだかんぼうじゃだめだから、お洋服⋯⋯。
がんばってあけた目をきょろきょろさせていると、景色が変わって、少し向こうに落っこちている、お洋服が見えた。
なんかいも、へんしんしちゃったんだ、あたし。
だから、こんなに疲れているのかな。
「しっかりして。もう大丈夫だから、落ち着いて」
声が、どこからかした。
男の子の声。笙真君かしら? どうして、そんなにお兄ちゃんみたいな声になっちゃっているの?
魔法がそっくりだったから、まちがってないとおもうけど⋯⋯、なんか変。
ふしぎにおもいながら、あたしは、彼にお手伝いをしてもらって、散らかっていたお洋服をきる。
大きな温かい背中に、おぶってもらって、どこかへ連れて行かれるような気がした。
あたしを、どこに連れていく気なんだろう?
気になったけれど、それよりもずっと強い、疲れちゃった気持ちにまけて、あたしは、ぎゅっと目をつぶった。
◇
「他のあらゆる文化と同様に、魔法もシンクレティズムの成果物です。他家で言えば、あの《鋏》もそうだし、僕らの《読み》なんて、その集合体と言ってもいい。歴史がある魔法は、大抵が何かしらの信仰に紐づいたモチーフを構成の中に内包している。もっともよくある例が、死のイメージかな。魔法には、多かれ少なかれ、そんな側面があるんだ。――ねえ、スピーチの出だしはこんな風にしようと思うんだけど、どう思う?」
「父さん。魔法使い以外も聞き手なんだよ。中学生もいるし。今のはかなり難しすぎなんじゃない? 私たちは、慣れてるからいいけどさ」
「そう? 僕が中学の時にはそれくらい普通に知ってたけど」
「そりゃあ、あたしの家で週の半分は寝泊まりしてたからでしょ。おじいちゃんと父さんの影響だよ」
「大丈夫だよ、先生。でも、ダブルミーニングとか、掛詞の方が分かりやすくていいと思う。本地垂迹だと――難しすぎるか。神仏習合も、厳しいだろうし。ストレートに読みは黄泉に通じるって、はっきり言うくらいでもいいんじゃない? おんなじ音だし」
「そうだけどさ、黄泉は流石にあからさま過ぎだよ。あの世、だしね。僕は、『明かし』や魔法使いをなるべく明るく無害なものとして印象付けたいんだよね⋯⋯」
(四人とも、考えすぎだろ。っていうか、暗いって。なんで新製品の紹介の前フリに死のイメージとか、あの世とかのオカルトみたいな話をしてるんだよ。色んな意味を持ってるから、意外と自由に色んなことができるんです、魔法って。それくらいでいいじゃねえか)
先生や母さんの趣味でもあるアップテンポな令和一桁年代の懐メロを背景に繰り広げられていた、先生たちとの会話に招かれた気がして、目を開けたら、けたたましい騒音の向こうに青空が見えた。
一瞬、天国? と思うくらいの、雲一つないスカイブルー。
もしかして、あの屋上に戻ってきたのだろうか?
期待を込めて身を起こしかけ、少しだけ落胆したあとで、俺はとてつもなくギョッとした。
「オッハヨー!!」
身体の上半分は、レベッカお嬢様の結わえにくそうな長い髪より派手なのに、残りはまるでカラスみたいに真っ黒な、ベニコンゴウを彷彿とさせる大きな鳥と、同じく身体の上下を、白と黒のツートンに綺麗に塗り分けられたような、キバタンに似た飾り羽を持つやはり大型の鳥が、俺の耳元にぴったりと頑丈そうな二組の嘴を擦り付けていたからではない。
ましてや、その嘴で甲高く目覚めの挨拶を叫ばれたせいでもない。
キバタン風の鳥の鉤爪に、ぐったりとした白鼠――宮代笙真が捕らえられていたから、だった。
「今日は、お届け物だけじゃなくて、拾い物も多いねえ。当たり日だね、妹ちゃん」
「まったくだねえ。でも姉やんは私だよ?」
「いやいや、姉様は僕だよ」
「私だ」「僕だ」「プーカ様だ」「ラウラ様だ」
向こうから呼びかけてきたくせに、俺たち二人のまとめての名乗りであるポーリャ・“ツェツァ”・スヴェトラーナのことを、まるきり無視してギャアギャアと言い争いを始めた二羽のカラフルな大型鳥たち。
やかましく騒ぐ二人の足下で、苦しそうにうめき声をあげて、アルビノの赤い瞳をかろうじて覗かせた笙真の姿を、俺より少しだけ遅れて目の当たりにしたお嬢様が本日最大の悲鳴を上げた。
せっかく助けた彼女の身体が、傾いだ勢いのままま転落死しないように、俺は思わず、プロペラ付きオート三輪の荷台の縁を、ぐっと強く握りしめる。
読み手の皆様へ
あらすじでお示したとおり、このお話は既存別タイトル作品のスマホ向け加工作のため、次話以降は作業済み次第掲載になります。お話自体の続きの回は既存タイトル
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