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34話目

王都の中心にそびえ立つ壮麗なる大聖堂――結婚式当日。


澄み渡る青空の下、朝の鐘の音が街中に響き渡る。

荘厳な石造りの建物は、長い歴史と格式を刻み込み、王都の貴族たちにとって神聖な誓いの場としてその威厳を保ち続けていた。


大聖堂の巨大な扉が開かれると、そこにはすでに数えきれぬほどの貴族たちが参列し、厳かな雰囲気に包まれていた。

大理石の床には朝の陽光が差し込み、天井を彩るステンドグラスが虹色の光を放っている。


最前列には、国の頂点に立つ王と妃、王子たちが静かに席に着き、この歴史的な瞬間を見届けようとしていた。

視線の先、祭壇の前には新郎――ヴァルドリヒ・ゲレルハイムが佇み、これから歩いてくる花嫁を待ち続けている。


すべての人々が、彼女の登場を静かに待ち構えていた。


「……ふぅ」


深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

目の前に伸びる深紅のバージンロード。その先にはヴァルドリヒが待っている。


ルーシーは、腕を組む養父――トランジス子爵へと視線を向けた。


(……誰、このおじさん)


内心で、そんなふうに思わずにはいられなかった。


ルーシーがこの世界に来たばかりの頃は、無戸籍のメイドだった。

苗字を呼ばれることもなく、ただ黙々と屋敷の雑務をこなす日々。

そんな彼女が「貴族の娘」として生きることになったのは、ほんの一年前――ヴァルドリヒにプロポーズされた時に、ようやく戸籍を与えられたに過ぎない。


それまでは、この目の前の「養父」とはほとんど関わることもなく、形式上の縁があるだけの存在だった。

それなのに、こうして彼の腕を借りてバージンロードを歩くという状況が、なんとも言えない気持ちにさせる。


(なんというか……実感が湧かないというか……)


それに、バージンロードを歩く文化自体、前世の知識として知っているだけで、今の彼女にとっては妙に他人事のような気さえする。


純白のドレスの裾が床を引きずり、金の刺繍が施された生地がわずかに光を反射する。

聖堂の中央に敷かれた深紅の絨毯の上を、ルーシーはゆっくりと歩く。


ヴァルドリヒが待つ祭壇まで、あと数歩――。


長い回廊を抜け、光り輝く祭壇へと近づくにつれ、彼女の心臓が高鳴っていく。

胸の奥で鼓動が速まるのを感じながら、ふと視線を上げた。


そこに――彼がいた。


純白の婚礼服を纏ったヴァルドリヒ。

その姿は、王宮の誰よりも威厳に満ち、堂々としている。

金の刺繍が施された礼服は、彼の美貌を一層際立たせ、ただ立っているだけで空間を支配するほどの存在感を放っていた。


まるで物語の王子様のように――いや、それ以上に圧倒的な力と執着を秘めた、ルーシーだけの旦那様。


(……ヴァル)


金色の瞳が、真っ直ぐにルーシーを見つめていた。

何百人もの貴族が見守る中で、彼の視界に映っているのはただひとり。


ルーシーだけ。


そのことが、彼女の心を強く揺さぶる。


――この人が、私の夫になる。


たくさんの人々が見守る中、トランジス子爵に手を引かれながら、彼女はゆっくりとヴァルドリヒの元へと進んだ。


(あっという間だった……いや、色々あったというべきか)


彼と出会って、すでに二年が過ぎている。


最初の彼は――。


(あの状態だった)


長く伸びきった髪。

痩せ細り、骸骨のような身体。

糞尿まみれの部屋で、ただ死を待っていた男。


(それが……今では)


眼前に立つヴァルドリヒは、まるで別人のようだった。

背筋を伸ばし、威厳に満ちた姿。

その瞳には確固たる意志が宿り、彼が生きる理由がそこにあると告げていた。


――それが、ルーシーであることを疑う余地もなく。


やがて、トランジス子爵がルーシーの手を、ヴァルドリヒへと託した。


ヴァルドリヒの手は温かく、しかし強く彼女の指先を包み込む。

その手のひらから伝わる熱が、彼の感情を物語っていた。


(震えてる……?)


ヴァルドリヒの表情は、変わらない。

けれど、指先が微かに震えていた。


(緊張してるのは……私だけじゃないんだ)


神父が、静かに誓いの言葉を述べる。


「汝、ヴァルドリヒは、ルシメリアを生涯愛し、慈しみ、誠実に尽くすことを誓いますか?」


「誓う」


ヴァルドリヒの低く響く声が、堂内に広がる。


その瞬間、彼の金色の瞳が熱を帯びた。


「汝、ルシメリアは、ヴァルドリヒを生涯愛し、支え、共に歩むことを誓いますか?」


ルーシーは、まっすぐにヴァルドリヒを見上げた。


(……本当に、これでいいんだよね?)


最後の迷いが、ほんのわずかに胸を掠める。


でも――。


(こんなに愛されて、それを拒めるわけがない)


彼女は、そっと微笑んだ。


「誓います」


誓いがおわると指輪の交換に移った。


純白の絹のクッションの上に置かれた、二つの指輪。


ヴァルドリヒが、ルーシーの左手を取る。

指輪をそっとはめるその動作は、ひどく慎重だった。


(震えてる……本当に)


彼が、これほどまでに緊張している姿を見るのは初めてだった。

ルーシーは、彼の左手を取ると、ゆっくりと指輪をはめる。


次の瞬間――。


ヴァルドリヒの指が、ルーシーの手をしっかりと包み込んだ。


まるで、もう二度と離さないと言わんばかりに。


その手の力強さに、ルーシーは息を飲んだ。


(あぁ、本当に……結婚するんだ)


前世でも経験しなかった結婚。


けれど、今は間違いなく、この人の妻になる。


神父が、静かに宣言する。


「汝らの誓いは、ここに結ばれた。――誓いの口づけを」


ルーシーは、思わず目を見開いた。


(……この人数は少し恥ずかしい…。ちょっと待って、心の準備が――)


そんな彼女の戸惑いをよそに、ヴァルドリヒは微かに口元を緩めた。


彼の手が、優しく彼女の顎を持ち上げる。


「……んっ」


彼の唇が、そっと重なる。


それは、柔らかく、温かく。


けれど、それ以上に――激しい執着を感じるものだった。


(あ……)


今までに交わしてきたキスとは、何かが違う。

ただの儀式の一環ではない。

これは――彼がずっと待ち望んでいた瞬間。


唇を離したヴァルドリヒは、熱を帯びた瞳でルーシーを見つめる。


「……お前は、俺の妻になった」


その声は、甘く、そして絶対的なものだった。


ルーシーは、そっと彼を見上げ、微笑んだ。


「……うん」


聖堂の中に、拍手が鳴り響く。

花が舞い、鐘が鳴り、二人の誓いが、正式に結ばれた。


しかし――ヴァルドリヒは、まだ足りないと言わんばかりに、じっとルーシーを見つめていた。


そして、次の瞬間。


彼は迷うことなく、ルーシーを抱き上げた。


「ちょっ、ヴァル!?」


驚くルーシーの声も、彼には届かない。


「……もう、絶対に離さない」


彼の腕の中で、強く抱きしめられる。


「さぁ、俺たちの新しい生活の始まりだ」


そのまま、ヴァルドリヒは堂々とルーシーを抱え、聖堂の扉を越えていく――。


――――――――

――――――


披露宴の喧騒も、人々の祝福も、すべてが終わり。

夜の静けさが広がる寝室、わずかに揺れる燭台の灯りだけが、影を揺らしていた。


天蓋付きの豪奢なベッド。

深紅のシーツの上に、ルーシーは柔らかく横たえられていた。


その傍らには、ヴァルドリヒがいる。


彼は枕に片腕を乗せながら、ルーシーをじっと見つめていた。


熱っぽい視線。


執着と愛情が入り混じるその金色の瞳に射抜かれ、ルーシーは思わず視線を逸らした。


「……もう、そんな目で見ないでください」


ぽつりと呟くと、ヴァルドリヒの唇が微かに持ち上がる。


「部屋を移してから……ほぼ毎晩抱いているというのに……今日は格別だな……」


「……全く、私の体がもちません」


ため息交じりに言いながらも、ルーシーの声にはどこか甘さが滲んでいる。


ヴァルドリヒは、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬にそっと触れる。


「怒らないでくれ……」


指先が、愛おしげに彼女の輪郭をなぞる。


「お前のことを愛しすぎて、何をしても足りないんだ」


――本当に、この人は。


ルーシーは、頬の熱さを感じながら、彼の瞳を見つめ返した。


そこに映るのは、間違いなく自分だけ。


どこにも逃げられないほど、深く、強く――。


ヴァルドリヒの愛は、常に彼女を縛るようでいて、同時に、心地よい温もりを与えてくれるものだった。


「……わかっていますよ」


小さく微笑みながら、そっと彼の頬に手を添える。


「でも、ほどほどにしてくださいね」


「……それは、難しいな」


ヴァルドリヒは、小さく喉を鳴らすように笑い、彼女の手を取り、その指先に唇を落とした。


「だって……もう、お前は俺の妻だろう?」


その言葉に、ルーシーは胸の奥が甘く締めつけられるのを感じた。


「……ええ、そうですね」


彼の手が、ゆっくりと腰へと回される。


重なる吐息。


ただ触れ合うだけで、互いの愛が深く染み渡っていく。


――今日という日は、特別な夜だから。


ヴァルドリヒの腕に抱かれながら、ルーシーは目を閉じた。


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