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22話目

ヴァルドリヒの青ざめた顔を必死に覗き込みながら、ルーシーは震える手で彼の額を撫でた。


「侯爵様……。」


 意識はまだ戻らない。だが、呼吸は先ほどよりも少し安定している。

 少なくとも、毒の影響で今すぐ命が危険な状態にはなっていないはず――そう信じたい。


 その時、周囲からざわめきが広がった。


「おい、大丈夫なのか!?」


「侯爵様が……!」


 先ほどまで祝福の声をあげていた領民たちが、異変に気付き、次々と駆け寄ってきた。

 人々の顔には、心配と不安の色が浮かんでいる。


「何があったんですか!?」


 ルーシーは息を切らしながらも、彼らに向かって振り返った。

 まだヴァルドリヒをしっかり支えながら、必死に状況を説明する。


「侯爵様が毒を盛られました! でも、解毒剤は飲ませました……今は、意識が戻るのを待っている状態です!」


「毒!? なんてことだ……!」


「何か手伝えることはないか!? 俺たちにもできることがあるはずだろう!」


「水は必要か!? 医者を呼んだ方がいいか!?」


 領民たちは口々に声をあげ、今にも動き出しそうな勢いだった。


(みんな、こんなに……。)


 ルーシーは、一瞬、胸がいっぱいになりそうになった。

 ヴァルドリヒがどれほど領民たちに慕われ、頼られているかが、ひしひしと伝わってくる。


 彼はただの侯爵ではない。

 この人たちにとって、“英雄” であり、“誇り” なのだ。


 それなら――今こそ、彼を助けるために動くべきだ。


「お願いがあります!」


 ルーシーは大きく息を吸い込み、領民たちに向かって力強く叫んだ。


「まず、水と清潔な布を用意してください! それから、近くに医師がいれば連れてきてください! どこか静かな場所で休ませる場所も必要です!」


「任せろ!」


 頼もしい声が次々と返ってくる。


「水ならすぐに持ってこられる!」


「うちの店に清潔な布がある! 持ってくるよ!」


「俺は医者を探してくる!」


「静かな場所なら、広場の奥の宿屋が使えるかもしれない!」


 領民たちは迷うことなく動き出した。

 彼らの迅速な対応に、ルーシーはほっと息をつく。


(よかった……。)


 たとえ彼女が異世界から来た存在でも、ここにいる人々は皆、同じ目的のために動いてくれている。

 “ヴァルドリヒを救いたい” という想いが、彼らを一つにしているのだ。


 そんな中、一人の老婦人が震える声でルーシーに近づいた。


「……侯爵様は、大丈夫なのかい?」


 その目には、涙が滲んでいる。


「戦争を終わらせてくれた、あの英雄が……どうか、ご無事でいてほしい……。」


 ルーシーはぎゅっと拳を握りしめ、力強く頷いた。


「大丈夫です。絶対に助けます。」


 その言葉に、老婦人は目を潤ませながらも、希望を宿した眼差しで頷いた。


「そうかい……ありがとう……ありがとうね……。」


 ルーシーはヴァルドリヒの手をしっかりと握り直した。

 周りには、彼を救おうと動く領民たちの姿があった。


(……必ず助けるから。)


 その時、領民たちが連れてきた医師が駆け寄ってきた。

 年配の男性で、厳しい顔つきながらも、その眼差しには確かな経験と誠実さがあった。


「病人はどこだ!?」


「ここです! 侯爵様が毒を盛られました!」


 ルーシーはすぐに状況を説明する。


「毒を飲まされた直後に吐かせました。その後、解毒剤を飲ませましたが、まだ意識が戻りません!」


「よくやった。解毒剤の種類は?」


「フローレイ様から渡されたものです!」


「ならば、成分は間違いないな。すぐに横にさせろ。」


 ルーシーはすぐさま周囲に指示を出す。


「静かな場所へ移動します! 広場の奥の宿屋を借りて!」


「了解!」


「水と清潔な布はもうあるか!?」


「ここに!」


「なら、すぐに準備を! 侯爵様を動かす時は、できるだけ水平を保って! 誰か、布を担架代わりに持ってきて!」


「持ってきました!」


「よし、ゆっくり持ち上げて……はい、一、二、三!」


 領民たちが息を合わせ、ヴァルドリヒを丁寧に持ち上げる。

 その間、ルーシーは彼の顔を確認しながら、苦しそうな表情が少しでも和らぐように声をかけ続けた。


「侯爵様、もう少しだけ……あと少しで休める場所に着きますからね……。」


 道を開けるように人々が整列し、担架を抱えた領民たちが宿屋へと慎重に運んでいく。

 ルーシーも、その後を必死に追いかけた。


――――――――――

―――――――


 宿屋の一室に、ヴァルドリヒは寝かされた。

 医師がすぐに脈を取り、目の動きを確認する。


「呼吸は安定している。だが、毒の影響で体力が大きく削られているな……。」


「意識は戻りそうですか?」


「時間が必要だ。今は休ませることが最優先だ。」


 ルーシーは深く頷き、ヴァルドリヒの額に残る冷や汗をそっと拭った。

 その時――


「……私も診てもらっていいかい?」


 かすれた声が背後から聞こえた。


 ルーシーが驚いて振り向くと、そこには血まみれのフローレイが立っていた。


「フローレイ様!?」


 彼女の左脇腹には、しっかりと布が巻かれているが、滲み出る血がまだ止まっていない。

 それでも、フローレイはどこか余裕のある笑みを浮かべながら、軽く肩をすくめた。


「自分で止血はしたが、ここは手が届きにくいんでね。医者に診てもらいたい。」


「そんな……!」


 ルーシーの胸が、再び締め付けられる。

 フローレイが傷を負ったことは知っていたが、こんなにも出血が続いていたなんて――。


「なんでもないさ。ルーシー、そんな顔をするんじゃない。」


 そう言いながら、フローレイは無造作に手をひらひらと振る。

 しかし、その仕草の中にわずかな震えが見えた。


(痛みに耐えてる……。)


 そのことに気づいたルーシーは、すぐに医師へ視線を向ける。


「フローレイ様の手当てもお願いします!」


「すぐに見よう。」


 医師はうなずき、フローレイを椅子に座らせる。

 彼女の服をそっと持ち上げ、傷の状態を確認すると、眉をひそめた。


「深くはないが、結構な出血だな。もう少し遅れていたら、まずかったぞ。」


「だから早めに来たのさ。」


 フローレイは軽く笑うが、その顔色は少し青白い。


(こんなになるまで……私を庇ってくれたんだ……。)


 ルーシーはぎゅっと唇を噛み締める。


「……ありがとう、フローレイ様。」


小さな声でそう呟くと、フローレイは一瞬、不思議そうに目を瞬かせた。


 そして、次の瞬間――


「ルーシー、あんた、日本人かい?」


 さらりと放たれた言葉に、ルーシーの全身が硬直する。


「……えっ?」


 まるで心の奥を覗き込まれたような錯覚。

 フローレイの問いに、息が詰まるほどの動揺が胸を駆け巡る。


(今…ここで聞かれるとは思ってなかった…。)


 ルーシーの驚きを余所に、フローレイは軽く肩をすくめながら、傷の痛みも気にせずに微笑んだ。


「さっきの手際を見てね。普通の医療知識を持ってる程度の人間じゃないって思ったのさ。」


ルーシーは戸惑いながらも、ぎこちなく口を開く。


「……はい。私は……日本人です。」


 言葉にするだけで、まるで封じ込めていた事実が解き放たれたような感覚がする。


 フローレイは相槌を打つように頷き、さらに問いかけた。


「で? 何をしてたんだい?」


「……介護士……をしていました。」


 それを聞いたフローレイは、どこか納得したように顎に手を当てた。


「なるほどねぇ。でも、それだけかい?」


 ルーシーは、喉が詰まるような感覚を覚えた。

 一瞬、言うべきかどうか迷ったが――。


(……もう、隠す必要なんてないのかもしれない。)


 そう思い、深く息を吸い込んだ。


「……看護師を目指していました。でも、それが叶わぬうちに、事故で死んじゃったみたいなんです。」


 自分の過去を語るのは、いつ以来だろう。


「介護人が暴れて……階段から落ちました。」


 淡々とした言葉だったが、胸の奥がひりつくような痛みを感じる。

 思い返せば、あれが自分の人生の最後だった。


「そうかい。」


 フローレイは静かにルーシーを見つめた。

 その視線は、哀れみでも同情でもなく――ただ、すべてを受け止めるような、優しいものだった。


「ただの介護士にしては、さっきの処置はなかなかのものだったねぇ。」


「……っ。」


 ルーシーは少し息を詰まらせる。


(――この人、本当にすごい。)


 フローレイは、ルーシーがどれほどの知識と技術を持っているのかを、的確に見抜いていた。


 その時、ふと気になっていた疑問が頭をよぎる。


「……あの、こんな時に聞いていい話なのかどうか……。」


「ん? なんだい?」


 ルーシーは逡巡しながらも、思い切って尋ねた。


「この世界って……。」


 フローレイは少し間を置いた後、肩をすくめるように微笑んだ。


「残念だけど、ここはもう、乙女ゲームやロマンス小説の中の世界じゃないよ。」


「――えっ?」


(『もう』って、どういうこと……?)

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