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19話目

石畳の道を、車いすがゆっくりと進んでいく。

 ヴァルドリヒの金の髪が、陽の光を浴びて淡く輝き、まるで彼の存在そのものが光を帯びているようだった。


 ルーシーは静かに車いすを押しながら、周囲のざわめきを意識していた。


(……なんだか、すごく見られてる気がする。)


 街へ入ってからというもの、すれ違う人々が皆、ヴァルドリヒに目を向け、次いでルーシーへと視線を移す。


 それは、ただの興味ではなかった。

 驚き、戸惑い、そして――涙ぐむ者までいる。


「まさか……ヴァルドリヒ様……?」


 誰かの小さな声が、群衆の中から零れた。


 その一言が、引き金だった。


「ヴァルドリヒ様が戻られたぞ!!」


 どこかで誰かが叫ぶと、その声はまるで波のように広がり、瞬く間に街中を駆け巡る。


「えっ……?」


 ルーシーは思わず息を呑んだ。


 気づけば、周囲の人々が駆け寄ってきていた。

 商人、職人、子供たち、年老いた者――様々な人々が、ヴァルドリヒの前に集まり、涙を浮かべながら口々に叫ぶ。


「本当に……本当にヴァルドリヒ様なのですか!?」


「戦争が終わってから、ずっと……ずっとお姿を見ていなかったのに……。」


「戻ってきてくださったんですね……!」


 人々の声には、心からの喜びと安堵が滲んでいた。


(そうか……。)


 ルーシーは、彼らの表情を見つめながら、ようやく気づいた。

 領民たちは、ヴァルドリヒの存在そのものを頼りにしていたのだ。

 彼が戦争の英雄であるからこそ、彼がこの地を守ってくれるからこそ、この領地は安全だと信じていたのだろう。


(それなのに、病に伏せっていると聞かされて……みんな、不安だったんだ。)


 戦争は終わった。

 しかし、英雄の不在は、人々にとって心の拠り所を失うのと同じだったのだ。


 ヴァルドリヒは、そんな人々の表情をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「あぁ……今まで不安にさせたな。」


 彼の声は低く、しかし確かな力を持っていた。


「だが、もう大丈夫だ。」


 その言葉に、人々の顔が輝く。


「時期に立てるようにもなる。必ず……。」


 ヴァルドリヒの瞳は揺らがない。

 かつて戦場で見せた、あの揺るぎない決意と同じものが、そこにあった。


 人々の間から、歓喜の声が上がる。


「ヴァルドリヒ様……!」


「よかった……よかった……!」


 誰かが涙を拭い、誰かが拳を握りしめながら歓声をあげた。


 ルーシーはそんな光景を目の当たりにしながら、胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。


(すごい……。)


 たった数言で、人々の不安を拭い去り、彼らを勇気づける。

 それは、単なる地位や名声ではなく、ヴァルドリヒという人物が持つ “人望” だった。


 彼の存在が、どれほどこの領地の人々にとって大きなものなのか――ルーシーは改めて思い知る。


 だが、それと同時に――


(やっぱり、この人はただの貴族じゃないんだ。)


 ヴァルドリヒの背負うものの大きさに、ふと複雑な感情が湧き上がる。

 自分なんかが、この人の隣に立っていていいのだろうか――そんな不安が、ほんの少しだけ胸をよぎった。


 しかし、ヴァルドリヒはそんなルーシーの考えなど知らないまま、静かに微笑んだ。


「皆、ありがとう。」


 その優しい言葉に、人々の歓声はさらに大きくなった。


 ヴァルドリヒはしばらくの間、人々と言葉を交わし、一人ひとりの顔を見ながら労いの言葉をかけていた。

 領民たちは彼の言葉に感極まり、名残惜しそうにしながらも、次第にその輪はゆるやかに崩れていく。


「ヴァルドリヒ様、お邪魔しました!」


「お二人の時間を……!」


「えっ…」


 ルーシーが戸惑っている間に、人々はにこやかに微笑み、次々と去っていった。

 気づけば、周囲には誰もいない。


(あれ……なんでみんな急にいなくなっちゃったの?)


 ルーシーは不思議に思ったが、特に深く考えず、ヴァルドリヒの車いすを押し続けた。


 彼と並んで歩く時間は、まるで空気がゆったりと流れているようだった。

 気づけば、街の喧騒も少し遠ざかり、静かに二人きりになっていた。


「ルーシー。」


 ふいに、ヴァルドリヒが穏やかな声で呼んだ。


「良い街だろ?」


 ルーシーははっと顔を上げ、街並みを見渡す。

 陽の光を受けて輝く石畳の道、通りを彩る色とりどりの花々、店先に並ぶ新鮮な果物やパン。


 行き交う人々の笑顔が、この街の穏やかさを物語っている。


「……はい!」


 ルーシーは思わず微笑み、ヴァルドリヒを振り返った。


「侯爵様がどうして、この領地の経営を必死に学ばれたのか、ようやく理解できました。」


 ヴァルドリヒは驚いたように目を瞬かせ、それから優しく微笑んだ。


 ――とびきり甘く、優しい微笑み。


 それは、まるで彼の中のすべての愛情を込めたような、柔らかく温かな表情だった。


(……な、なに……!? なんでこんなに優しく笑ってるの!?)


 ルーシーは不意に心臓が跳ねるのを感じたが、その理由がわからず、ただ慌てて視線を逸らした。


 一方で、ヴァルドリヒはそんなルーシーの反応を見て、ますます微笑みを深める。


「……そうか。」


 彼の低く落ち着いた声が、どこまでも優しく響いた。


(え、ちょっと待って……なんか、本当にデートみたいな雰囲気じゃない……!?)


 ルーシーは心の中でパニックになりながらも、ヴァルドリヒの言葉を反芻し、改めて目の前の街を眺める。


この領地を愛し、守ろうとするヴァルドリヒの姿を見て、彼がどれだけこの街を大切にしているのかが伝わってきた。

 そして――そんな彼と、こうして二人で歩く時間が、なんだかとても心地よかった。


 そんなときだった。


「侯爵様、ぜひうちのカフェへ!」


 突如、街の商人らしき青年が元気よく声をかけてきた。


「デートにぴったりですよ!」


「 いや、デートでは……。」


 ルーシーは慌てて両手を振る。

 だが、その横でヴァルドリヒはふっと微笑み――


「そうか……なら、行こう。」


「ちょっ……侯爵様!?」


 あっさりと肯定してしまった彼を見て、ルーシーは目を丸くする。


 しかし、ヴァルドリヒはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、「何か問題でも?」とでも言いたげな顔をしていた。

 その無邪気な笑顔に、ルーシーは思わず肩を落とす。


(……もう、しょうがないなぁ。)


 渋々ながらも、ヴァルドリヒの車いすを押し、勧められたカフェへと向かうことにした。


――――――――――

――――――――


 カフェは落ち着いた雰囲気の店だった。

 大きな窓から陽の光が差し込み、心地よい風が吹き抜ける。


 二人が案内されたのは、店の奥の静かな席だった。

 丸い木製のテーブルの上には、さっそく店の特製ハーブティーが並べられる。


 ルーシーは席につくと、さっとカップを手に取り、慎重にハーブティーを確かめた。


「……あ、毒見しますね。」


 いつもの癖で、口にする前に確かめようとした瞬間――


「いい……。」


 ヴァルドリヒが静かに言った。


「ですが……。」


「俺は、だいたいの毒には耐性がある。」


「えっ……!? そうだったんですか!?」


 驚いたルーシーに、ヴァルドリヒはどこか呆れたように小さく笑った。


「でないと、あの麻痺毒を五年も耐えられるわけがないだろう。」


「……!」


(た、確かに……。)


 戦場で数々の危機を乗り越え、長きにわたって毒に侵されながらも生き延びた彼なら、それくらいの耐性があっても不思議ではない。


(……というか、たまに忘れちゃうわよね、ここが異世界ってこと。)


 ルーシーは改めてこの世界の理を思い出しながら、ハーブティーを口にした。


 すっきりとした香りが鼻を抜け、ふんわりと心が落ち着く。

 だが――そんな穏やかな時間も束の間。


(……あれ? なんか周り、やけにカップルが多くない?)


 店内を見回してみると、隣の席、奥の席、そして入り口近く……どこを見ても、ほとんどが恋人同士らしき組み合わせだった。


「侯爵様、このままじゃ……カップルだって誤解されちゃいますよ。」


 ルーシーが少し慌てながら言うと――


 ヴァルドリヒは静かに手を伸ばし、ルーシーの手をそっと触れた。


「え……?」


 そのまま、指先でゆっくりと彼女の手をなでる。

 優しく、まるで大切なものを確かめるような、穏やかな動作だった。


 それだけで、ルーシーの心臓が大きく跳ねる。


 顔が一気に熱くなり、思わず動きを止めてしまった。


「俺は……誤解されたい。」


「……っ!」


 彼の真っ直ぐな言葉に、ルーシーは目を見開く。


(ご、誤解されたい……!?)


 そんなことを言われるとは思わなかった。


「そ……いや……まさか……またからかってます?」


 必死に平静を装いながら、視線を逸らす。


 だが――


「いや……本気だ……。」


 ヴァルドリヒは静かに、しかしはっきりとそう言った。


 その瞬間、ルーシーの顔が一気に真っ赤になった。


(か、カァッ……!? なんでそんなこと、そんな真剣な顔で言うのよ!!)


 思考がまとまらず、困惑しながらも彼を見つめる。


 しかし、そのとき――ふと異変に気づいた。


(……あれ? いつの間にか、周りの人がいなくなってない?)


 さっきまでカップルがいたはずの席も、いつの間にか空席になっている。


 何かがおかしいと感じて、ちらりと視線を向けると――


 窓の外で、ギルクスが静かに領民たちを誘導している姿が見えた。


(ギルクス様……仕組んだわね……!?)


 それに気づいた瞬間、ルーシーはぎゅっと拳を握る。


(やっぱり……! 最初から私と侯爵様を二人きりにするつもりだったのね!?)


 しかし、抗議しようとする間もなく――


「いつから……。」


 ふいにヴァルドリヒが静かに口を開いた。


「え?」


「いつからだろうか……。」


 ルーシーの言葉を繰り返すように、彼は目を伏せる。


 その声は、どこか優しく、どこか切なげだった。


「ですが……私は身分がないので……。」


 ルーシーは小さく呟く。


 どんなに彼が優しくしてくれても、どんなに想いを寄せられていたとしても、彼は侯爵で、自分は平民。


 それは覆らない事実のはずだった。


 だが――


「身分なら、いくらでも作れるさ。」


「……っ!?」


 ヴァルドリヒは迷いなく言い切った。


「忘れたか? 俺も平民だったんだ。だから、守るべき血統もない。」


「……!」


(こ、こんなとこで……プロポーズって……。)


 ルーシーは言葉を失いながら、ただヴァルドリヒを見つめるしかなかった。


 彼の瞳は、揺るがない光を宿していた。


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