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18話目

屋敷の前に馬車が二台並んでいた。


 黒く磨かれた車体は陽の光を浴び、上品な輝きを放っている。


(やっぱり、侯爵ともなると、ずいぶん大掛かりね……。)


 ルーシーは馬車を見上げながら、心の中でしみじみと思った。


 一台目はヴァルドリヒとルーシーが乗る馬車。

 そして、二台目には護衛の騎士たちとフローレイが乗る。


 街へ向かうだけなのに、こうしてしっかりと護衛がつくのは、彼が 侯爵 であり、 戦争の英雄 だからなのだろう。


 ふと、横を見ると――


「……。」


 ヴァルドリヒが馬車の前で、杖をついて立ち上がっていた。


 車いすから降り、慎重な足取りで立ち上がる彼の姿に、ルーシーは思わず目を奪われる。


 彼の足元は、以前よりもずっと安定していた。

 それでも、まだ杖を頼らなければならないのだろう。


(でも……もしかして……。)


 ヴァルドリヒはわずかに視線を落とし、ゆっくりと息を吐く。


 それを見届けたギルクスは、無言で車いすを持ち上げ、馬車の中へと入れた。


 馬車の構造上、車いすが中にあると二人分のスペースしか確保できない。

 必然的に、ヴァルドリヒとルーシーだけが馬車に乗ることになる。


「お乗りください、ヴァルドリヒ様。」


 ギルクスが手を差し出すと、ヴァルドリヒは軽く頷き、それを支えに馬車へと乗り込んだ。

 そして、ルーシーもその後に続く。


 扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出す。


――――――――――

――――――――


木製の車輪が石畳を転がるたび、車内にかすかな振動が伝わる。


 ヴァルドリヒは静かに窓の外を見ていた。

 屋敷を出たのは久しぶりだからだろうか。


 ルーシーは、そんな彼の横顔を見ながら、少し微笑む。


「侯爵様、緊張されていますか?」


 すると――


「……。」


 ヴァルドリヒはルーシーの方へと視線を向け、そのままじっと見つめてきた。


 長い金色のまつげが影を落とし、透き通るような金の瞳がまっすぐにルーシーを映している。


 ……いや、映しているというよりも、見惚れている ような――


「こ、侯爵様?」


 まっすぐに向けられる視線に、ルーシーは思わず頬を赤らめた。


「そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいです……。」


 彼はその言葉にも動じず、ただ静かに口を開く。


「……綺麗だ。」


「えっ……?」


 ルーシーの心臓が、一瞬、跳ねる。


 しかし、ヴァルドリヒは続けた。


「綺麗だ……ルーシー。」


 ルーシーの顔がみるみる赤く染まっていく。


「も、もう! 私なんて侯爵様に比べたら、月とスッポンです!」


 咄嗟にそう言いながら、ルーシーは視線を逸らした。


 だが――


「……なんだ? それは。」


 ヴァルドリヒは、きょとんとした顔で聞き返してきた。


「え?」


「あまり聞いたことのない言葉だな。」


 彼の素直な反応に、ルーシーはハッとする。


(あ、そっか……! この世界には『スッポン』が存在しないんだった!)


 気まずくなりながらも、なんとか説明しようとする。


「えっと……『月とスッポン』っていうのは、比べものにならないほど差があることを言うんです。」


「……?」


「つまり、侯爵様みたいに輝く月と、地味で泥臭いスッポン……じゃ、全然違うでしょう? そういう意味です。」


「……そうか。」


 ヴァルドリヒは小さく頷き、何かを考え込むように沈黙する。


 しばらくすると、不意に口を開いた。


「俺は……かっこよく映っているのか?」


「えっ?」


「お前から見て、俺は――かっこよく見えているのか?」


 ヴァルドリヒは、わずかに視線を落としながら尋ねた。


 その問いに、ルーシーは大きく頷く。


「当たり前じゃないですか! でないと、ミサみたいな子も現れませんよ。」


 その言葉に、ヴァルドリヒは口角をわずかに上げた。


「……お前にそう思われるのは、悪くないな。」


「もぅ! からかってばっかなんですから!」


 ルーシーは頬を膨らませながら、軽く拗ねたように言う。


 すると――


「……本気だよ。」


 低く響く声とともに、ヴァルドリヒの指先がふわりとルーシーの髪に触れた。


「えっ……?」


 彼の手がそっと黒髪をすくい上げ、優しく指を絡ませる。


(……指先、すごく器用に動くようになってる。)


 ふと、ルーシーの胸に疑問が浮かんだ。


(……ほんとは立てるんじゃ……?)


 確かに、まだ完全ではないはず。

 けれど、こうして指先を自在に動かし、細やかな動作ができるなら――足の方も……?


 ルーシーがじっと彼を見つめていると、ヴァルドリヒがふっと笑う。


 そして、次の瞬間――


「……おっと、着いたようだな。」


 馬車が静かに止まり、外から御者の声が聞こえた。


 ヴァルドリヒは、ルーシーの髪からそっと指を離し、窓の外へ視線を向ける。


 ルーシーは、まだ微かに髪に残る温もりを感じながら、そっと息を吐いた。


(……なんだか、ちょっとドキドキしちゃったかも……。)


――馬車は、ついに街へと到着した。


 石畳の道に、車輪の音が響く。

 馬車がゆっくりと停まり、御者の「到着しました」という声が聞こえた。


 ルーシーは深呼吸をし、扉を開ける。


 外の景色は、屋敷の中とはまったく違った。

 朝の柔らかな日差しの下、街は活気に満ちている。

 行き交う人々、香ばしいパンの匂い、そして賑やかな声が溢れていた。


(……すごい。)


 侯爵領の街の景色に、ルーシーは思わず目を奪われる。


 だが、その感慨も束の間――


「侯爵様、お手を。」


 ギルクスが馬車の扉の前で待機し、ヴァルドリヒの手を取った。


 ヴァルドリヒは、慎重に足を踏み出し、杖を使ってゆっくりと地面に降り立つ。

 一瞬、足がわずかに揺らいだが、すぐにしっかりと立ち直る。


(何か…違和感が…気のせい…かしら。)


 ヴァルドリヒは短く息を吐くと、ギルクスに視線を向けた。


「車いすを。」


 ギルクスは無言で頷き、すぐに馬車の中から車いすを降ろした。

 しっかりと安定させると、ヴァルドリヒはゆっくりと腰を下ろす。


 彼が座ると同時に、街の人々がざわめき始めた。

 通行人たちが、思わず足を止めて、こちらに視線を向けている。


(……そうよね。)


 ルーシーは小さく息を吐いた。


(侯爵様は、この国の英雄だもの。誰だって驚くわよね。)


 そんな彼を、こうして公の場に連れ出すことに、不安がなかったわけではない。

 けれど――


「ルーシー。」


 ふいに、名前を呼ばれた。


「はい?」


 振り返ると、そこにはフローレイがいた。

 彼女はいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、ルーシーの手に小さな薬瓶をそっと握らせる。


「念のためだ。持ってて。」


 ルーシーは瓶を見下ろし、眉をひそめた。


「これは?」


「解毒剤さ。」


 フローレイの表情は、少しだけ真剣なものに変わる。


「私はここにいるけど、間に合わない時はこれを使うのよ。わかった?」


 ルーシーはしっかりと頷いた。


「はい……。」


 フローレイは満足そうに微笑むと、軽く肩をすくめた。


「さぁ、デート楽しんでらっしゃい!」


「え!? で、デート?」


 ルーシーは思わず大声をあげた。


(ちょっ……何言ってるの、この人!?)


 驚いてフローレイを見つめると、後ろから護衛の騎士たちまでもがニヤリと笑いながら口を開いた。


「我々は邪魔にならぬように潜んでおりますので!」


「は!? 何言ってるんですか!?」


(どうしてそんな流れになるの!?)


 慌てて言い返そうとしたそのとき――


「ルーシー! まだか?」


 車いすに座ったヴァルドリヒの低い声が響いた。


 ルーシーは反射的に振り向く。


 彼はすでに準備を整え、じっとこちらを見つめていた。


 ルーシーは仕方なく、フローレイと騎士たちを睨みつけながら、小さく息を吐いた。


(……もう、絶対からかわれてるわよね。)


 肩を落としながらも、ヴァルドリヒのもとへと足を進める。


「お待たせしました、侯爵様。」


「行こう。」


 そう言われて、ルーシーは侯爵様の車いすを押し、ゆっくりと歩き出した。


 彼と一緒に歩くルーシーの姿に、街の人々がさらにざわめき始めた。


(……え、もしかして……。)


 彼らの視線が、ヴァルドリヒではなく 自分 にも向けられていることに気づき、ルーシーはようやく悟る。


(あ……もしかして、ドレスのせい……?)


 今日はギルクスの手配で、貴族のような衣装を纏っている。

 それに加えて、ヴァルドリヒと色味を揃えた衣装のせいで――


(これ……まるで、私が侯爵様の お付き合いしてる人 みたいじゃない!?)


 そう気づいた瞬間、ルーシーの顔はみるみる赤くなった。


(ちょ、ちょっと待って!? 誤解されるのは困るんだけど!?)


 しかし、ルーシーが慌てふためいている間に、ヴァルドリヒは何も気にすることなく、ゆっくりと街の中心へと向かっていった。


(うう……なんだか今日、一日が思いやられるわ……!)


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