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17話目

朝の光が穏やかに食堂へと差し込み、テーブルに置かれた銀のカトラリーが柔らかく輝いていた。

 食堂には、まだ静けさが残っている。


 ヴァルドリヒは、慎重にナイフとフォークを使い、ゆっくりとパンを切り分ける。

 その隣では、ルーシーがそっと彼を見守っていた。


「侯爵様、だいぶ固形物を食べられるようになってきましたね。」


 ヴァルドリヒは短く頷き、フォークで小さく切ったパンを口へ運ぶ。


「あぁ。フローレイの調合した薬が良く効いているようだ。」


 彼の言葉は、以前のようにたどたどしくない。

 声に力が戻り、言葉も流暢になりつつあった。


(すごい……。喋るときもほとんど詰まらなくなってるわ。)


 ルーシーは心の中で感動しながらも、気を引き締める。


「ですが、油断は禁物ですからね。」


 ヴァルドリヒが新たにパンを口へ運ぶのを見届けながら、しっかりと言い聞かせるように言った。


「私やフローレイ様がいないところで、固形物を食べないようにしてくださいね。」


 ヴァルドリヒは少し眉をひそめたが、すぐに「わかっている」と短く答えた。

 ゆっくりとしっかり咀嚼し、確実に飲み込む。


(以前は飲み込むだけでも大変そうだったのに、今ではちゃんと食べられている。)


 ルーシーは心の中でそっと安堵する。


 そのとき――


「そういえば、街へ行きたいそうだな。」


 ヴァルドリヒがふと、唐突に言った。


 ルーシーは一瞬驚き、目を瞬かせた。


「え、あ、はい。」


 彼がそれを知っているということは、ギルクスが話してくれたのだろう。


 ルーシーは気を取り直し、しっかりとヴァルドリヒを見つめる。


「体つきもしっかりとしてきましたし、そろそろ街へ出かけてみてはどうかと思いまして。」


 ヴァルドリヒは何も言わず、じっとルーシーを見つめたまま口を閉ざした。

 考えているのか、それとも何か言いたいことがあるのか。


「……。」


(あれ、もしかして不安なのかしら?)


 ヴァルドリヒが外に出るのは、長い間屋敷に籠っていた彼にとっては大きな決断だ。

 領民がどう受け止めるのか、戦争の英雄としてどう見られるのか――不安がないとは言い切れない。


 ルーシーは少しでも彼の負担を減らそうと、優しく微笑んだ。


「あ、ご不安なら車いすで移動されますか?」


 すると、ヴァルドリヒは少しだけ視線を伏せ、短く答えた。


「あぁ、そうする。」


 その答えに、ルーシーは驚きを隠せなかった。


(えっ……? 杖でも十分歩けそうなのに。)


 もちろん、まだ完全に回復したわけではない。

 痺れが残っている可能性もある。


(でも、あの侯爵様が、自分から車いすを選ぶなんて……。)


 少し意外に思いながらも、ルーシーは深くは追及しなかった。


「わかりました。では、準備を整えておきますね。」


 ヴァルドリヒは、何も言わず、静かに頷いた。


 ルーシーは彼の様子を横目で見ながら、ふと考える。


(やっぱり、まだ痺れが残ってるのかしら……。)


――――――――――

―――――――


翌朝、ルーシーの部屋には、朝からコリーの弾んだ声が響いていた。


「さあ、ルーシー様! 今日のために最高のドレスとアクセサリーをご用意しましたよ!」


 コリーが誇らしげに広げたのは、上品なクリーム色のドレス。柔らかな生地が陽の光を浴びてほのかに輝いている。

 シンプルながらも品のあるデザインで、胸元と袖口には繊細なレースが施されていた。


 その横には、アクセサリーのセットも揃えられている。

 パールのネックレスに、同じくパールの耳飾り。余計な装飾はなく、上品な美しさを引き立てるものばかりだ。


 ルーシーは目を瞬かせながら、戸惑いが隠せない。


「コリー、ちょっとやりすぎじゃない?」


 すると、コリーは手を腰に当て、むっとした表情で言い返してきた。


「何言ってるんですか! 今日は侯爵様と並んで歩くんですよ!? これくらい当たり前です!」


「いや、並んで歩くといっても……。」


 ルーシーが言葉を濁すと、コリーはすかさずルーシーの肩をぐっと掴み、強い眼差しで詰め寄る。


「いいですか、ルーシー様! 今日の目的は、侯爵様を街へお連れすることだけではなく、領民の皆様に ‘元気な姿を見せること’ なんです!」


「う、うん……?」


「となれば、隣にいる人間が ‘貴族に相応しい見た目’ でなければなりません!」


「そ、そうなの?」


 ルーシーは完全に押されっぱなしだ。


 それからコリーの手際によって、ヘアセット、軽い化粧、アクセサリーの装着と、ものすごい速さで変身が進んでいく。


 そして――


 鏡に映った自分の姿を見て、ルーシーは思わず息を呑んだ。


(……え、ちょっと、これ……。)


 黒髪が緩く巻かれ、艶やかにまとまっている。

 普段は結っていることが多い髪も、こうしてセットされると、驚くほど雰囲気が変わる。


 目元には薄くパウダーがのせられ、赤い瞳がよりくっきりと映えるようになっている。

 クリーム色のドレスは肌なじみがよく、黒髪と赤い目のコントラストを和らげ、優雅な雰囲気を生み出していた。


「……あれ、意外といける?」


 思わず、鏡の中の自分に問いかける。


(うん、ちょっと “見れる感じ” になったわね……。)


 思っていたよりも、貴族らしい雰囲気が出ている気がする。


「コリー、すごいわね……。」


 ルーシーがしみじみと言うと、コリーはドヤ顔で腕を組んだ。


「ふふん! 私にかかれば、ルーシー様を ‘淑女’ にすることなんて簡単なんです!」


 ルーシーは苦笑しながらも、コリーの腕前に素直に感謝する。


(これなら、侯爵様の隣に立っても大丈夫……かもしれない。)


 少し落ち着きを取り戻し、深呼吸をした。


「さて、そろそろ行きますね。」


「いってらっしゃいませ! ルーシー様、頑張ってください!」


 コリーの明るい声に背中を押されながら、ルーシーは玄関ホールへと向かった。


――――――――――

――――――――


 屋敷の広々とした玄関ホールに足を踏み入れると、そこにはすでにギルクスとヴァルドリヒが待っていた。


(あ、ギルクス様……。)


 ギルクスは相変わらず整った身なりで、穏やかな微笑みを浮かべている。


 そして、その隣――


 車いすに座るヴァルドリヒを見て、ルーシーは思わず足を止めた。


(……えっ。)


 普段のヴァルドリヒでも十分整った顔立ちをしているが、今の彼はまるで別人のようだった。


(な、何これ……。)


 きっとギルクスが手伝ったのだろう。

 ヴァルドリヒの髪はしっかりとセットされ、金色の輝きがより際立っている。


 服装も完璧だ。


 彼が纏っていたのは、淡いクリーム色のシャツに、上質なアイボリーのロングジャケット。

 ジャケットの縁や袖には、繊細な金糸の刺繍が施されており、まるで光を受けるたびに淡く輝いているように見える。

 そして、胸元にはルーシーのドレスと同じく、上品なパールのブローチがつけられていた。


 深みのあるベージュのパンツが、足のラインをすっきりと見せ、全体的に軽やかながらも上品な色合いでまとめられている。


 まるで――


(……これ、私のドレスと……どことなくお揃いみたい……。)


 ルーシーのクリーム色のドレスと、ヴァルドリヒの衣装の淡いアイボリーとベージュ。

 さりげなく、しかし確実に統一感のある色合いだった。


 ギルクスの仕業に違いない。

 ルーシーは内心、彼を見やるが、ギルクスは何食わぬ顔で微笑んでいる。


(な、なんか並んだら変に注目されそうじゃない!?)


 ルーシーは慌てて意識を逸らすように、ぎこちなく咳払いをした。


(まあ、でも……すごく似合ってるわね……。)


 肩のラインはしっかりとし、弱々しさは一切感じさせない。


(さすがに、見惚れちゃうわね……。)


 目の前の光景に思わず息をのむ。


 ヴァルドリヒが、これほど貴族然として、威厳をまとっている姿を見るのは初めてかもしれない。


(普段はあんなに無防備な顔を見せるのに……。)


 今日の彼は、まさに “戦争の英雄” の名にふさわしい姿だった。


 ルーシーが呆然としていると、ギルクスがふと、彼女の姿に目を向け、満足げに微笑んだ。


「ルーシー様、よくお似合いですよ。」


「あ……ありがとうございます。」


 ルーシーは少し恥ずかしくなりながら、軽くスカートの裾を持ち上げて礼をする。


 すると――


「……。」


 ヴァルドリヒが、じっとルーシーを見つめたまま、言葉を発さなかった。


(え? 何? なんか、じっと見られてる……。)


 視線を感じ、なんだか落ち着かない。


 ルーシーがそわそわしていると、ギルクスが微かに微笑みながらヴァルドリヒに声をかけた。


「……ヴァルドリヒ様?」


 すると、ヴァルドリヒは、ゆっくりと目を伏せ、小さく咳払いをした。


「……準備は、できている。」


 ルーシーは「?」と首を傾げながらも、特に気にせず、笑顔で応じた。


「では、行きましょうか。」

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