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「前から言おうと思っていたけれど、その猫背、みっともないから、いい加減 治した方がいいと思うけれど。自信がなく、弱々しい人に見えるけど? もしかして、カニの次は猫の真似ですか?」


「それなら、僕も言わせてもらうけれど、君の料理の腕はそこそこだからね。見た目も味も……君は気づいていないかもしれないけれど、そこそこだよ」

「僕は、わりと何でも食べられる方だから、どんな料理も文句を言わずに残さず食べていたけれど、あれは、SNSにあげて自慢するようなレベルではないよ。表面上ではいいねを押されていたとしても、心の中では、きっと笑われているよ。こんなレベルでわざわざあげてるよってね。ごめんね、配慮が足りなかったね。君がSNSにあげるまえに、君が恥をかく前に教えてあげるべきだったかな?」


「はあ? 今の凄く頭にきた」

「それを言うならさ、あなたが気づいていないこと教えてあげる。あなた、自分で上手いとかテクニックがあるとか思ってるかも知れないけれど、全然上手くないから……慣れていないのバレバレだから。ただ、私が演技してあげてただけだからね。恥をかくのはあなたの方じゃないの?」


「ふーんそっか。それを言うなら僕は、大きい方が好きだけどね。君は貧相だけど、そこは妥協してたんだけどな……」

 これは本心ではなかった。僕は大きさなんて気にしたことはなかったけれど、彼女がそのことをコンプレックスにしていたことを知っていたから、彼女が怒るだろうと思って、あえて言った。


 ――罵倒合戦。

 互いにあることないことを相手にぶつける。だから、罵倒できれば何でもよかった。


 これは相当怒るだろうな。

 怒って次は、どう罵倒してくるのだろう?

 次は、こっちは何を言おう?

 と構えていたが、彼女は何も言い返すことなく、泣き出してしまった。余程気にしていたのか、大きな声で泣く。泣きながらブツブツと何かを言っているが、言葉は聞き取れなかった。


 俺の言葉の右フックが、彼女にクリーンヒットしたため、この試合は終わった。彼女はその場で泣き崩れる。正直 彼女がこんな姿を見せるなんて思ってもいなかった。彼女はどちらかというと打たれ強く、こんな言葉くらいではビクともしないと思っていた。勝手に僕がそう、思い込んでいた。

 

 彼女のことを全て知ったつもりでいたけれど、僕は彼女に知らないこともあったことを気付かされた。彼女、こんな風に泣くんだ。彼女の笑顔は何度も見てきたけれど、彼女の泣き顔は見たことなかった。映画とか見て感動して泣くタイプでもなかったし。


 ――思ってもいないこととはいえ、彼女を泣かせるくらい傷付けたことには変わりない。それに関しては申し訳ないと思った。


「……ごめん。ごめん言い過ぎた。僕も本心で言ったわけじゃない。大きさを気にしたことはないよ。ほら、なんていうか、売り言葉に買い言葉というか、僕も必死だったから、つい……」


 今さら謝っても遅かった。

 言ってしまったことを撤回することは出来ない。本心じゃないと言っても、本心か本心じゃないかを証明する手段なんてない。


「別れる……」

「あんたなんか、好きじゃないから……」

 

 そう言われた時に、嫌だと言えばよかったのかもしれない。土下座でもなんでもして本気で謝ればよかったのかもしれない。僕も泣くべきだったのかもしれない。

 だけど、また変なプライドが邪魔をしたのだ。こちらは謝ったというのに彼女の方は謝るどころか、許してすらくれなかったことが気に入らなかった。


「そうだね……その方がお互いにいいかもね」 

「僕らは、別れるべきだよ」

 

 僕の言葉に対して彼女は、何も言わず、黙って頷いた。彼女がこの時、どう考えていたかは分からないけれど、おそらく彼女も、自分で別れると口走った以上、撤回するわけにはいかなかったのだろう。彼女のプライドが、「やっぱり今のは噓」だなんて言葉を言わせなかったのだろう。

 

 ここで、「別れたくない」という言葉を発した方が負けになる。負けを認めることになる。僕らの性格上、負けは認めたくない。


「私が出ていくから。あなたの方が家賃多く払っているんだから、あなたはここに住み続ければいい。私は、実家近いから、実家に帰る」

 彼女は、必要最低限の荷物だけまとめて、アパートを出ていった。


 アパートを出ていく時に彼女が最後に発したのは、「私が必要なものは全て運びましたので、あなたがいらないものが、もし残っていたら捨ててください」と業務連絡のような言葉だった。


 必要なものは全て運んだと言っていた彼女。

 僕が誕生日に買ってあげたバッグや、お揃いで買ったマグカップの等は、部屋に置きっぱなしにしてあった。僕との思い出の品は全て、彼女にとって必要ではないものらしい。そうだとしても、持って帰って見えない所で捨ててくれればいいのに、いるかいらないかの判断を僕に委ねるだなんて。最後の最後まで僕に、嫌がらせをしていった。


 彼女が出ていったことにより、部屋の中は少しだけ寒くなった。人が1人減ったからかな、物が少なくなったからかな、こんな寒い日は、熱々の温度のお風呂が恋しくなる。ぬるま湯になんか浸かってられない。一日一日を精一杯過ごしていたら、夜なんてぐっすり眠れる。ぬるま湯になんかに頼る必要なんてない。


 悲しくないと言えば嘘になるが、涙は出なかった。喧嘩による怒りの余韻がまだ残っているからか、まだ泣けるほど状況を整理できていなかったからか、理由は分からないけれど。


 正直、僕も彼女も間違ってはいないと思う。僕がカニクリームが大好きなのは事実、彼女が牛肉コロッケが大好きなのも事実。その事実が2人とも許せなかった、互いに譲ることが出来なかったというだけで。


 普通なら、別に何ともないこと。ただの食の好みの違いだねで終われる話、喧嘩をしたとしても2、3日で、自然と仲直りしていると思うけれど、価値観や内面を重視していた僕たちだから、相手に自分の理想を押し付けすぎてたため、相手が自分と価値観が違うことが許せなかったのだと思う。必要以上に求めすぎていたのだ。


※※※


「彼女にも、食べさせたかったな。今は亡き母が作ってくれたカニクリームを。あれを食べたら、きっと彼女も、カニクリームを1位だと認めてくれただろう。カニクリームの魅力に気付いてくれただろう」

 熱々のお風呂に入りながら僕は、そんなことを考えていた。母は亡くなっているし、彼女は出ていった。そんな絶対に叶うことのない夢を想像していた。


 僕が、カニクリームを好きになったきっかけは、母にある。カニクリームが大好きだった母が、よくカニクリームを作ってくれていた。母のカニクリームは美味しいだけじゃない、母のカニクリームには、不思議な力があった。


 テスト、弁論大会、運動会、受験。

 大切なことがある前の日に、母の作ってくれたカニクリームを食べると、何かとうまくいった。母の愛情がこもっていたからか、実力以上の力を発揮できた。何度も何度も、カニクリームに助けられた人生だった。


 それからだ、カニクリームを好んで食べるようになったのは。もちろん、母が作ってくれるカニクリームが一番美味しかったけれど、他のカニクリームも十分美味しかった。カニクリームが好きだった母に、似たのだろう。

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