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晩ごはんを食べる前に何気なく2人で見ていたテレビ番組の中で、「一番好きなコロッケランキング」なるものが、順に発表されていた。別に、この番組が絶対に見たいってわけでもなかったから、すぐにチャンネルを変えればよかった。
一番好きなコロッケランキング、第5位 カボチャコロッケ、第4位 カレーコロッケ、第3位 コーンクリームコロッケ。
残すは1位と2位のみとなった時、彼女に尋ねられた。
「1位のコロッケは何だと思う? 私さ、コロッケといったらこれってのがまだ残ってるんだよねー」
それは僕も同じだった。コロッケといえば、これというものが残っていた。それにおそらくランキング1位は、それだろうと思った。
「コロッケ? そりゃ、好きなコロッケと言えばカニクリームでしょ。これは、カニクリームが1位だよ」
カニクリームが1位だと思っていた僕の気持ちに嘘はない。この答え方も間違っていたとは思えない。正直、僕の中でコロッケと言えば、カニクリームだったから。そして、彼女もまた、カニクリームと答えると思っていた。
――だけど、彼女の答えはカニクリームではなかった。
「えっ? コロッケっていったら牛肉でしょ? それ以外は考えられないよ。ありえない、ありえないよ
。1位は牛肉しかないって」
そう言う彼女に対し、僕は応戦するように言い返した。
「え? 牛肉コロッケ? いやいや、カニクリームを差し置いて、牛肉コロッケ出てくる? コロッケを語る上で、カニクリームは避けては通れないでしょ? もし、これまでの人生でカニクリームを口にしたことがないなら、一度食べてみるといいよ」
――今思えば、僕も少し大人げなかったとは思うが、この時は彼女の「コロッケといえば絶対に牛肉コロッケ」という決めつけたような言い方と姿勢が、実に気に入らなかった。
「高級食材であるカニ。高級食材が使われているコロッケは、カニクリームしかないよね。あの、まろやかでクリーミーな上品な味を、人々は好むんだよね〜。上品な味ってのが分からない人には、無理な話かもしれないけれどね」
「いや、牛肉だって、高級店の肉を使えば、高級食材が使われていることになるんだけど? とはいっても牛肉はカニクリームコロッケのような卑怯な方法ではなく、王道かつストレートな味が老若男女に愛されているのよね。われが主役だぞと己を主張してくるカニと違って、牛肉はあくまでコロッケの味を引き立てるサブに徹しているから」
「それに、家庭の味のコロッケと言ったらみんな牛肉でしょ。お母さんが作る懐かしいコロッケの味。それぞれ家庭の味があると思うけれど。食べただけで、色々なことを思い出し、つい涙が溢れる。そんな思い出がない人には、難しいかもね。それを理解することは……」
「牛肉コロッケを食べて泣ける……?」
「アニメや小説じゃないんだからさ、そんな話あるわけないじゃん。トンカツと間違えて、からしでも付けたんじゃないの?」
彼女は牛肉コロッケの魅力を、僕はカニクリームの魅力を主張し合った。主張するためだけならまだしも、僕らは、主張するために相手を罵り始めた。上品だとか、家庭の味とか、関係のない話題まで持ち出していた。
僕らがもめている間に、番組ではコロッケランキングの1位と2位の発表がされた。
第2位 牛肉コロッケ、第1位 カニクリームコロッケ。
……結果的に僕は、間違っていなかった。なぜならカニクリームが1位だったのだから。票数も20票以上も差があった。
「ほらね……やっぱりカニクリームじゃん。カニクリームが1位だったじゃん」
僕がランキングの結果でマウントを取ると、彼女は気に入らなそうにテレビを消した。
「何よ、所詮、ただのテレビのアンケート結果じゃない。信用ないわよ。他のところで集計したらきっと、違う結果が出たはずよ。だからこれは、正式な結果とは言えないでしょ?」
「確かにね。正式かどうかは僕にも分からないよ。でもね、君が言い出したんだよ、この番組の1位のコロッケは何かって? その結果、カニクリームが1位でした。結果は出ているんだよ」
「どっちも美味しいよね」で解決するレベルの話、どちらかが折れれば済む話だけれど、僕らはお互いのことを波長が合うと思っていたから、好きなコロッケが違うことが、どうしても納得できなかった。
「あなたの好きなコロッケが、カニクリームコロッケだったなんて、正直ガッカリした……あなたは、本当はもう少し家庭的な人なんだと思っていたけど、違ったのね。仕事や自分の好きなことばかり優先するタイプってことね」
「ガッカリした? それは、こっちのセリフだよ」
「君の好きなコロッケの1位が牛肉コロッケって……何の冗談? 別に僕も、牛肉コロッケが嫌いなわけではないけれど、コロッケランキングベスト3に入るようなものではないね。僕のベスト3は、カレーコロッケ、カボチャコロッケ、カニクリーム」
「私だってカニクリームコロッケだけはない。あれはほぼ、グラタンじゃない。そもそもカニクリームコロッケがコロッケに分類されている事自体、私は納得できないけど。コロッケを食べようって話になって、カニクリームコロッケを食べるなんて、牛丼食べようって言って牛丼屋に行ったのに、親子丼食べるくらい意味わからないんだけれど」
「いやいやいや、実際にランキングもカニクリームが1番て出ていたけどね。それは、少なからず全国民が、カニクリームをコロッケだと認めているってことだからね。牛丼屋で食べる親子丼とは、一緒じゃないから!」
「本当、意味が分からない。なんでカニクリームコロッケなの?」
険悪なムードが流れ、それ以降、僕らは、「いただきます」と「ごちそうさま」以外の言葉を発することなく晩ご飯を食べ終えた。この日メニューは唐揚げ。僕も彼女も唐揚げが大好きだから、本当なら楽しい食事になるはずだったのに……
ご飯をおかわりして、美味しいねなんて言い合って、デザートに少し高いアイスを食べようと思っていたのに。
僕は、お風呂に入った。いつもなら「先入るね」と一番風呂をもらうことに断りを入れるのだが、言わなかった。
「いい湯加減だったよ。君も早く入ってきなよ」
お風呂から出た僕は、気を使って彼女にそう声を掛けた。しかし、彼女は無視。
僕の外見を好きになってくれたわけではないから、風呂上がり僕の顔を見た所で機嫌がよくならないのだろう。確かに僕は、イケメンではない。
何でもいい。謝らなくていいから、何か返してくれれば、こちらから謝ろうと思ったが、無視をされたので、謝る気が失せた。むしろ、さらに怒らせてやろう、イライラさせてやろうと思った。
「はぁーこっちがせっかく折れて声を掛けてあげたというのに、無視ですか。そうてすか、無視ですか、牛肉コロッケさんは……」
「まったく家庭的じゃない。家庭の平和を維持すること1つできない人のどこが、家庭的なんだろうか」
彼女に聞こえるように、大きめな声で独り言を言った。嫌味を言われればさすがの彼女もこれには 無視はできないだろうと。
「無視じゃなくて、聞こえなかっただけです。滑舌悪いから、もう少しはっきり話した方がいいよ。それとも、カニクリームコロッケさんは、カニ語でも話していたのかな? 一体、どこに上品さがあるんでしょうね?」
「あれ〜おかしいな〜。昔から滑舌と歯並びは褒められてきた方なんだけどな〜。中学の時、弁論大会で1位になったことあるんだけどな〜」
「あれかな、1位になったことない人に限って、順位とか関係ないとか言い出すんだよね。1位に対する劣等感ってやつ?」
好きなものだけでなく、ある意味、性格も似ていたのである。負けず嫌いな所とか、意地っ張りな所とか、自分の意見を曲げない所とか。
似たような性格の人間の争いは長引く。引かない男と引かない女の戦いは、どちらかが倒れるまで、この争いは終わらないのだ。
「中学って……そんな昔の話を持ち出して、恥ずかしくはないのかな?」
「それに、この際だからはっきり言わせてもらうけど、あなたが入った後のお風呂は熱すぎて快適ではないのよね。だから、あなたが出てきてからすぐは、いい湯加減じゃないから」
「ずっと我慢して言わなかったけれど、私、お風呂は昔から、ぬるめのお湯につかるようにしてるの。その方が健康に良いし、夜ぐっすり眠れるから」
とうとう彼女が、コロッケ以外の関係ない話を持ち出してきた。こんなことを言われると僕も反論しないと気が済まないたちで。
ここからは、ルール無用の殴り合いが始まる。お互いが思っている不満、嫌いな所。この際、思っていなくたっていい。自分がいかに正しく生きているのかを示せればそれでいいのだ。もう、コロッケは関係ない。ここまで来たら、相手を否定できれば、なんだってよかったのだ。
「知らないよ。今、初めて聞いたんだから、自分の好みの温度にするよ」
「ていうか、それくらい言ってくれてもよくない?
ぬるま湯が好きなら、私ぬるま湯がいいんだけれどって一言、言ってくれれば、僕が出るときに水を足して、ちょうどいい温度にしておいたけどね。知ってればそれくらいの気遣いはできるけれど、声に出してもらわないと、そんなの分からないからね。僕は超能力者じゃないんだからさ」
「それに、僕は好んで一番風呂に入っていたわけじゃないけれど? 君がいつまでもテレビを見ていたりするから、僕が先に入らせてもらっているだけで、風呂に入る時間が遅くなるのは僕のせいじゃないからね? 一番風呂もらうねって確認も取ってるし」
「ちょっと待って、なにそれ? 私がいつまでもテレビを見ているって? 私は食器を洗ったり、洗濯物を畳んだりしてやることが多くて忙しいから入れなかっただけだけど? じゃあ少しくらい手伝ってくれてもよかったんじゃない? あなたの方こそ、家庭的じゃないから、それすら難しいのかしら?」
「できないのならできないで仕方ないけれど、せめて、ありがとうくらいは言ってほしかったけどね。あなたの口からありがとうって言葉、ほとんど聞いたことないんだけれど。ありがとうって言葉、あなたの辞書には載っていないのかしら?」
「ありがとう? 僕は言ってるつもりだけどね。それを言うなら家賃、僕の方が多く払っているでしょ? それに関してのありがとうも、ごめんねも一度も聞いたことはないけれど、当たり前だと思っていたってこと?」
「家賃って、全部あなたが払ってくれているわけじゃないじゃない? 少し、ほんの少しだけ多く払ってくれているだけじゃない。家事、洗濯、全て変わってくれるなら、家賃全額払ったわよ、私が……」
1度ヒビの入ったガラスを割ることは、軽い衝撃だけで、次々にヒビが入る。1度ヒビの入ったガラスを割ることなんて簡単だ。そんなヒビの入ったガラスのように僕らの関係は徐々に悪くなる一方だった。
価値観が同じ、波長が合うとはいっても、クローン人間ではない限り、全てが全く同じなんて無理な話だ。全てが同じだというならそれはどちらかが無理している、どちらかが無理やり合わせているだけだ。