98:暗闇の標本室
「何だよコレ?!キモいいい!!」
ネイサンの叫び声が聞こえても、悪いが、助けに行ける状態ではない。
アイザックもネイサンと同様に、得体の知れない、どろりとも、ザラリともしている冷たい闇に四肢を絡め取られ、身動くことも出来ないでいた。ゾロリゾロリと全身に纏わりつき、躰の自由を奪ってくる黒い闇は、霊気のように冷たく、アイザックの神経と肌を逆撫でしてくる。
ネイサンではないが、本当に気持ちが悪い。
よく見ると絡みつく黒い闇は、信じられないことに人毛のようで、あまりの気味悪さに、すべてをぶった切ってやりたい衝動に駆られる。だがそれは、他の人員も切り捨てることになるので、今のところは止めておくことにする。全員を斬ると、ステラが悲しむからな―――。
先ずはステラの安否だ。
ステラは、どこにいる?
先刻……ステラの口から飛び出した、「兄上は私のモノ」という嬉しい言葉に、口元がにやけ、顔を伏せた瞬間、闇色の長い巻き毛が津波のように襲い掛かってきて、俺としたことがステラを見失った。
ステラはどこだ?!
自由の利かない躰を何とか動かして、首を伸ばして辺りを探る。
真っ黒な闇の中に真っ白な狼の姿を見つけ、その向こうに、ステラの銀色の髪が見えて、アイザックは安堵の息を吐く。
ステラはこちらに背を向けて、闇の中で更に黒く澱む、禍々しい黒い塊を微動だにせず睨みつけていた。
「ステラ」と名を呼ぼうと口を開きかけたアイザックよりも早く、ネイトが辺りに響き渡る大きな呆れ声を上げた。
「うわっ……キモチワルイったらない、スけど、皆様全員集合で、結構壮観」
「……何でお前は無事なんだ、ネイト」
ネイトと真白が半笑いでつらっとこちらを見上げてくるのに、なんとも腹が立つ。ネイトは後で半殺し決定だ。
「若様は―――センターポジションで、一番丁寧に梱包されてマスネ。絶対に遠慮したい特別な『愛』が透けて見えて、キモチワルイNO.1ですね~」
「ははは」と、笑うネイトは、半殺しではなく、2/3殺しにすることを決定する。ソレを心の殺処分リストに書き加え、ぐるりと辺りを見回すと、ネイトの言う意味が、嫌でも理解できた。
全員が全員、黒い闇に絡め取られて宙吊り状態なのだが、俺だけ更に一段高い場所で、どろどろ闇に追加して、巨大な蜘蛛の巣の中央に拘束されている。
「ちなみに、フリーなのは俺と真白だけじゃないですよ若様。ベルトラン殿もおります」
剣を肩に担いで、ネイトが顎をしゃくる。
なるほど。ネイトの足元に、茫然自失で血の気が失せた、ウィスラーの嫡男が座り込んでいる。
「―――腰抜けだから、無拘束なのか?」
「俺を腰抜けだなんて……ヒドイの一言ですね……。ハズレです。わかりませんか? 若様」
今度はネイトがぐるりと周囲を見渡した。
「ココは、俺のお嬢とは真逆の、怨念と情念と自尊心の3コンボの塊みたいな、オヒメサマが選りすぐりで獲物を集めた標本室? みたいなトコロじゃないかと思います」
なるほど。
金瞳の異常世界みたいなものか?
「オヒメサマは、名門貴族の貴公子様方を侍らしたい、ハーレム好きな、生粋のお嬢様であられるらしく。平民以下の出自の俺は選外なんでしょうね? ベルトラン殿は恐らく、兄枠で外されたのではないかと―――」
ネイトの視線の先には、闇に全身を絡め取られ、自分と同じく宙吊りになっている見知った顔が、標本箱にピンで止められた蝶の様に並んでいる。
ネイサンは一緒に居たからわかるが、セオとレオ叔父上は自分の黒い傀儡を斬りに行っていた筈なのに、またも引っ張り込まれたのか……。呆れてモノも言えんな。馬鹿がソコにいるのは、殺す機会が出来て僥倖といえるが―――。
あの、闇でもくっきり浮かんで見える赤髪は、もしかしなくとも―――。
「なんでヴィクターまでいるんだ?」
「……面目ない、アイザック」
ネイサンの呼ぶところの「赤狐」の兄である、「赤狐兄」であるヴィクターが、目だけでアイザックに詫びてきた。
「レティシア公女を無傷で拘束しようとしたんだが、なかなかに手強くて……」
「たかがウィスラーの小娘ごときに、お前が後れを取ったのか? 情けないにも程がある」
「センターポジションに君臨する、お前には言われたくないぞアイザック」
「―――良く言った。こんなものすぐにぶった切って、ついでにお前のその首、斬り捨ててくれる」
全員皆殺しにする気で、手にした剣にアイザックが力を籠めた瞬間、魔術師のローブを着ている丸眼鏡の新顔に「待った」を掛けられた。
騎士団の総会で見た記憶があるローブ姿の眼鏡男は、消去法で自ずと正体が見えて来る。
「お前が、祖父の命を受けた、カールとかいう魔術師か?」
「こんな状態でのご挨拶となり大変申し訳ありません、アイザック卿。自分は、ヘルベルト様の命を受け参戦致しました、魔法騎士団の第1師団長カール・サウスポートと申します」
サラリとした金髪を揺らし礼を執ったカールの面差しに、アイザックは微かに眉を顰めた。瞳の色は濃いオリーブ色なのだが、どうしてかその顔が、癇に障る。
「……挨拶はいい。俺がコレをぶった切るのを、何故止めた?」
「それは―――その」
眼鏡のカールがごにょごにょと口籠り、決死の覚悟でアイザックを見据え口を開いた。
「我々を拘束しているこの黒いどろどろは、ウィスラー公女の精神と命に直結しています。コレを斬るということは―――」
「あんな女。殺した方が世の為だ」
「―――………わかりますが。わかってはいけないというか、何というか、その……自分はえ~~~っと、その、どうしても、憐憫の情が切り捨てられないと申しますか……」
首を捻り、眉を寄せ、うんうん唸りながら言葉を捻りだすカールに、アイザックは次第にイライラしてきた。
「話が長くなるなら、ココを潰した後にしてくれ。俺にはステラ以上に大切なモノはこの世にないのでな。早く傍について守ってやらねばならない」
「自分も、ちょっとだけ、それに近いのです! 公女を、殺さず―――罪を償わせる責が、自分には……あるので」
「時間が惜しい。はっきり言わんのなら、後にしてくれ」
アイザックが剣を握る右手に剣気を込めて、大きく振りかぶるのに気付き、カールは悲鳴を上げるみたいに叫んだ。
「はっ、腹違いの、妹なんです!! レティシア公女は、自分と、半分血が繋がった、妹なんです!!」
カールの決死の絶叫にも眉ひとつ動かすことなく、剣を振り抜こうとするアイザックを、標本になったまま声も出せないでいた、セオドアとヴィクターが慌てて止める。
「「アイザック! お前も一応は血の通った人間だろうッ! ちょっとだけ手を止めてやれッ!!」」
酷く面倒そうに、眉間に深い皺を刻んだアイザックが、自分を止めた三人を殺す勢いの殺気を持って睨みつけた。
「ステラを害した女など、斬り捨ててから手を止めればいいものを」
「レオ叔父上に座布団一枚。ステラに喧嘩を売ったオヒメサマなんて、殺しちゃえば良かったのに兄上」
「同じくレオナルド殿に座布団二枚。お嬢に喧嘩を売っておいて生かしておくことはないでしょうに」
スタンレイ一派のお言葉に、アイザックは少々留飲を下げ、スタンレイ以外のギャラリーは大きな溜息を吐いた。
スタンレイ男子……ステラ以外の女への一切の容赦なし。




