96:毒姫
ウィスラー公爵家のお姫様レティシア・リリィ・ウィスラーのミドルネーム「リリィ」は、鈴蘭を指していることは、社交界では有名な話だ。
白く小さい可憐な花は、たおやかで儚げなレティシアのすべてをあらわす様だと、彼女の取り巻き連中は崇め褒め称えているが、鈴蘭は花にも葉にも茎にも根にも、全草にわたって強い毒を持つ植物だと、皆は知っているのだろうか?
今の彼女は、鈴蘭の毒、そのものに見える。
蜂蜜色の緩い巻き毛に濃緑の瞳で、あざとく微笑むいつものレティシアとは違う、獲物を見つけ舌舐めずりし、血のような赤の瞳をギラつかせる、鈴蘭の毒を纏った魔女がそこにいる。
中身は存外闇が深い女だろうと昔から思ってはいたが、ここまでヒドイとは思っていなかった。
金瞳といい勝負な、闇が深いどころか、完全なる深闇だ。
レティシアの闇と金瞳の闇は、どうみても親和性が高そうだ。そもそも、金瞳の話が真実であるのなら、今世の金瞳とレティシアは両親も同じな兄妹だというから、血に伝わる闇の遺伝子は同じなのだろう。
レティシアの闇は金瞳のソレと、今や完全に同化しているらしい。
でなければ、彼女からこんなにも金瞳の作る異常世界の闇の匂いが香ってくる筈がない。
ラスボスの前の中ボス? いや、小ボスといったトコロか?
「金瞳の闇の気配が、濃いな」
「兄上も、わかるか?」
「……この世から抹消したいベストワンだからな」
兄上が言うならやはりそういう事なんだろう。
やれやれと頭を掻いてから、ところで、とステラは首を傾げた。
レティシアは獲物を見つけたみたいに、真っ赤な瞳でイヤラしくも下卑た視線を兄上にだけ向けている。だが、その意味がステラにはどうしても分からない。
思い起こせば、レオ叔父上もセオドアも、金瞳の傀儡にされていた時分は兄上に殺気を向けてきた。三人ともに同じ色の、血のような真っ赤な瞳で―――。
「……兄上を攻撃する様に、金瞳が洗脳したのか?」
「お前を手に入れるために金瞳が考えそうなことだ。渡す気など、微塵もないがな」
ぎゅうっと兄上が私の肩を抱いてきて、つむじにちゅっと唇を寄せてきた。
少々お待ちください……兄上―――。
ここにきての兄上のストレートな愛情表現は、嬉しくもアリ、こそばゆくもアリ……。心をぽかぽかと温めてくれるのですが、これは……どう反応してよいか、ステラにはわかりかねます。
混乱に顔を赤く染めるステラの前で、ネイトとネイサンが目を点にしている。
「……若様が別人28号にフルモデルチェンジ?」
「うちの冷血鉄仮面な白金の彫像な兄上は―――どこに消えたんだ?」
ネイトとネイサンの言いっぷりがヒドイが、わかるなあ。
今の兄上は、「あなた誰?」って感じだものな。
こちらとしても、今世は兄妹として過ごしてきた年月が長かったので、あまりに慣れなくて照れて固まるしかない。
時を廻り、何度も何度も生まれ変わり、必ず出会い、共に生きてきた過去の自分の記憶をぼんやりと思い出してはみたものの、このタイムラグはいかんともしがたい……。
兄上から降り注ぐあまりの甘い空気に、目の前の相手の事を少々忘れていたら、毒姫レティシアの様子が、明らかに変わった。
空気が爆ぜ、レティシアが発する黒い霧が辺りに広がり出した。
レティシアの顔は黒霧にぼやけ、その表情までは見て取れないが、彼女の自慢だった蜂蜜色に波打つ金髪が、根元からじわりとその色を変えだした。漆黒の闇の色へと―――。
「ウィスラーのオヒメサマの状態が明らかにおかしくなりましたネ」
「あ、これがカールが言ってたバケモノ化だよ。このあと、髪が真っ黒に伸びまくって、うねうねになって、正気な人間を捕まえだしてさ~。もしかして、カール達も喰われたのかな?」
「……ぼっちゃん。そういう重要なことは、早めに説明が欲しかったデス」
ネイトの言う通りだネイサン。
ステラは師匠の剣を構えて、ふと、気付く。
黒霧の中にギラつく、オヒメサマの真っ赤な目が、私を睨みつけてる―――ような気がする……。
「……あの女。ステラを睨みつけるとは、いい度胸だ」
兄上も、そう思いますか?
やはり、私の気のせいではないようだ。
「鬱陶しいな。斬るか」
この状態のレティシアを見ての兄上の一言が、ヒドイ。
「他の感想はないのか、兄上?」
「他? しいて言うなら、不愉快だ。俺のステラに喧嘩を売るとは良い度胸だ」
俺のステラ。
アイザックのその言葉に、「おいおい!」と突っ込むネイトとネイサンよりも、レティシアの反応が明らかにおかしい事に、ステラははっとした。
レティシアの蜂蜜色の髪色はもう完全に黒へと変わり果て、黒い巻き毛が、嵐の海の様にどす黒くうねり悪夢のよう辺りに広がり出した。
――兄上の言動に反応している?
考えてみれば、ここにレティシアが現れた時も、あの赤い目は、兄上に歪んだ微笑みを向けていた。さっきもそうだ。兄上が私の肩を抱いて、つむじにキスを落としてくれた時は、レティシアの周囲の空気が爆ぜ、黒い霧が溢れ出ていた。
まさか、とは思うが、その、まさかとか言うのだったら―――、
「……殺すしかないな」
口の中でぼそりと呟いたステラの頭が、冷えてゆく。
アイザック張りの、真っ白の絶対零度のオーラを発し、ステラは冷酷無比な氷のような冷たい微笑みを浮かべた。
兄上の言う通り、私に喧嘩を売るとは―――いい度胸だ、レティシア・リリィ・ウィスラー。褒めてやる。だがな、私は、存外に心が狭い。私は、自分の大切なモノに手を出されるのが、本当に嫌いなんだ。
「どうしたステラ?」
私にしか興味がないらしい兄上には、一生わからないでしょう。
この女は、こともあろうに……。
「あ~~……。あのオヒメサマ。お嬢の逆鱗に触れましたね……?」
「どういうことだネイト?」
「若様には、お伝えしたくありません。悔しいので」
うん。言わなくてもいいよネイト。
こんな、生まれて初めて手にした感情なんて、恥ずかしくて腹が立って……誰にも知られたくはない。
真白がネイサンの襟首の洋服を噛んで後方に引っ張ってくれる。ネイサンは「何?」と声を上げてるけど、真白、グッジョブ。私はこれから本気で怒るから、ネイサンは後方に避難させてくれると、凄く助かる。
「お嬢。どうぞ、ご存分に。介錯は俺が完璧に行います」
「頼んだネイト」
「俺にわかるように話せ。ステラ、ネイト!」
兄上が珍しくも憤ったような表情で止めに入ってくるが、無理です。
あの女は、私が血祭りにあげることが決定しました。
兄上に懸想するなど、100万年早いぞ、レティシア・リリィ・ウィスラー!
これは、万死に値する。
お前のバックに金瞳が居ようが居まいが、知ったことではない。
カールとやらと、ベルトランとビーの兄であるヴィクターの生存確認も、悪いが後に回す。
幼い頃から今この時まで、兄上にレティシアが懸想するような接点は何一つなかった筈だ。そもそも、スタンレイとウィスラーは犬猿の仲だ。だのに……嫉妬に狂ったその目は、どういうつもりだ?!
「兄上に懸想するなど、100万年早いぞ、レティシア・リリィ・ウィスラー! 兄上は、私のモノだ!」
視界の隅で、兄上が大きく目を見開いてるのが一瞬見えた。
そんなに驚くことはないでしょう、兄上? これが私の本音なのですから。
私だって、兄上を誰かに渡す気なんて、微塵もございません。
ステラの怒号にレティシアは声にならない咆哮を上げ、黒く染まった闇色の長い巻き毛で周囲を覆い尽くし、津波のように襲い掛かってきた。
目の前は真っ暗に変貌し、すべてが闇色に遮断され、自分呼ぶ兄上の声が、遠くに消えた。
待っていてください兄上。
こんなもの、すぐにぶった斬って見せますから。
手にしたリアムの剣で、ステラは自分を絡め捕ろうとする悪夢のようなレティシアの黒髪を、一刀両断で切り裂いた。




