82:盤上遊戯2
王宮正門から伸びる中央回廊に、あるべきものが、ない。
それは何か?
ええ。例のお祖父様制作の第二王子の氷像です。
ここに間違いなく常設展示されていたはずの、鼻水垂らしたデイビット氷漬け立像がない。ということは、現在の王宮は、私の見た、金瞳の盤上の配置に、セッティングが完了している可能性が高いということだ。
「近衛の姿もないな―――」
溜息交じりの呆れ声で呟いて、兄上が私に振り返った。
「今からでも―――邸に戻る気はないか、ステラ?」
「あるわけないだろう、兄上?」
金瞳の狙いは、私だ。
今世こそ、私を確実に手に入れる為に、私の心を完全に闇に落とすために……。あの金瞳は、私に係る全ての人を、戻るべき場所も何もかもを、この世から消し去ろうとしている。
あの時、金瞳に閉じ込められた異常世界で、私の記憶の中から大切な人たちを消していったように、今度は、現実で皆を消し去って、私を連れて行こうとしているんだ。
全てを消し去り、私の魂を悲しみという闇に落とす効果的な手段として、金瞳は、私の大切な人たちを敵味方に分けて、両方で殺し合わせようとしている。邸に籠って黙って見ていろなんて、無理に決まっているでしょう?
まあ、ウィスラー一家はどうなろうと知ったことではないが、過去の私に係る金瞳との因縁に、私の大切な人たちを巻き込むわけにはいかない。なので、私が参戦するのは当たり前である。金瞳を片付けるのは、師匠との約束でもあるのだから。
右手に握った師匠の剣を右肩に担ぎ上げて、ステラはアイザックに向かって不敵に笑った。
「兄上も、存外諦めが悪いようで」
「その顔……初めて会った時の、ディトーの首を一刀両断した時と同じだな」
随分と古い話を持ち出してくるな。
きょとんと眼を丸め、首を傾げたら、肩口にふわりとした感触を感じて、今度はこっちがびっくりして目を見張ってしまった。
「真白―――?!」
「キ!」
どうやってついて来たか知らないが、いつもは白馬に擬態している真白が、本性である真っ白な毛玉みたいな姿に戻り、肩に乗って、嬉しそうにぴょこんと狐耳を立てて、リスみたいなふかふかな尻尾を振っている。
「なんでついて来たんだ?危ないから帰りなさい!」
「……俺の気持ちがわかったろう?頼むから、お前も戻れ、ステラ」
おう……。兄上の一人称が「俺」だ……。
最近ずっと「素」モードですね……。
でも駄目ですよ?
初めて兄上と出会った、魔の森のあの時と同じで、私たちは一緒に居ないといけないんです。
兄上の傍以外、私が生きる理由も場所も、ないのだから。
「配置に関しては、兄上も納得したはずでは?」
「……納得というか、安全策というかだがな」
そうですね。
ある意味、力業で納得してもらいましたものね。
ですが、昨晩の対策会議で兄上が了承したのは確実です。
男に二言は、ないですよね?
・・・
「相手の布陣に対して、こちらのキングは、クリストファー王陛下。クイーンの位置にはダブルキングでウィリアム。というところか、ステラ?」
お祖父様の読みは大当たりです。
流石の読みに頷くステラに対して、前スタンレイ侯爵であるヘルベルトが、顎髭を触りながら「おかしいな」と呟いて眉を寄せる。
「「ダブルキング……?」」
「闇のキングでは?」
「裏番長のキングと呼びなさい」
双子の疑問にビアトリスがもっともな言葉をぶつけ、母上が一刀両断する。
裏番長のキングって、父上の事を言っているのですか、母上?
「人外の相手と、恐らくは洗脳状態にされたレオとセオドア殿下が相手とは言え―――。あのウィルが大人しく足止めされ、王宮を壊滅させていないということは」
「あれが王宮に留まって大人しくしているということは、そういうことだろうな、クロエ」
母上とお祖父様……二人してうんうん頷き合ってるけれど、なんですか、それ?
「父上が大人しくしてるなど、何か、金瞳以外にも余程の問題が出ている可能性が高いということだ」
「兄上まで―――。問題がなければ父上が何かしでかすとでも」
「甘いぞ、ステラ」
兄上の言葉に、母上とお祖父様が顔を見合わせてこっちに向かって苦笑した。
どういうことなのだろうか?
父上は、確かに王宮でも宮廷でも、機嫌を損ねたり敵に回したりすると潰される「スタンレイが生み出した最凶の裏番長」との二つ名を有しているのは、知ってはおりますが……。お祖父様と兄上から比べたら、まだ、荒ぶり方は大人しいし、竜憑きではないし、ちゃんと人間の範疇にある立派な父上ですよね?
「父上は、ある意味竜憑きより始末に負えないトコロがある。ステラを守る為なら、王宮くらい更地に平気で更地にするだろうな」
「は?」
「そうですよステラ。娘には嫌われたくないって、ウィルったら、ステラの前では猫を被っているから……」
「わからんでもないがな。私も孫娘には嫌われたくはない」
母上。父上が猫を被っているって、それはどうかと思いますよ?
私に難癖付けてきた令嬢様方のお家や、要らぬ婚姻を打診してきた貴公子様方のお家を、父上が兄上より先にぶっ潰しているのを、私は知っております。
頭にクエッションマークが出ているだろう自分を置いて、お祖父様と母上、兄上が盤上にぽんぽんと駒を並べてゆく。
「ウィルの右隣の僧侶は、シリウスとして、クリストファーの左隣のビショップは、カイを据えるとよいだろう。ナイトは……お前が立つか、クロエ?」
お祖父様の問い掛けに、薄く微笑んで、母上が首を振った。
「今回は若者に譲って、私はお義父様と邸の守りに就きます。ナイトには、アイザックを据えて。反対のナイトは―――アイザック、現地でヴィクター卿をピックアップしなさい。これなら貴女の兄様の心配はないでしょう、ビアトリス?」
母上の言葉に、ビアトリスが胸元で両手を合わせて涙交じりに頷いている。良かったねビアトリス。兄上が動けば、心配は―――要らないと思う。多分……。
だがしかし。
さっきから、どうして私の頭の中を見たみたいに、あの金瞳のチェス盤そのままの駒並べを、母上もお祖父様も出来るのでしょうか。お二人とも軍役時代とった杵柄といったところか……?一人だけ駒の位置が違うけど、後は完璧です。
「邸の守りにはイーサンとネイサンを残すとして、戦車の抜けが否めんが」
「兄上のナイトの隣のルークの位置に、ヴィクターがいた」
兄上の言葉を遮り、すっと、ナイトの駒の左隣にあるルークの駒に手を翳し、ルークをナイトの駒に変える。
「ヴィクターのポジションがルークの位置って……まさか」
「もうひとつのナイトには、私が就く」
「「「駄目だ!!」です」」
うん……。予想はしていた通りの「駄目だ」の大合唱が湧き上がる。
分かってはいたけれど。皆が、私を大切にしてくれてるのは、本当に嬉しいのだけれど。でもね、これだけは引けないんだ。
金瞳は、私がここに残れば、確実にここを攻めて来る。
ならば、危険を承知で、金瞳の用意した盤上の駒に、私が上がった方がこの場所を守る事にも繋がるんだ。
「ここの守りには、精霊王がついているし、魔塔主も、お祖父様もいる!お前は残れ!」
「その精霊王様が、いまいち信用できない」
「「「は?」」」
全員が全員おんなじ顔をして、言葉を無くしてくれた。大変珍しいことに、兄上も例外でない。
全員が全員、目が点になる、という、あの顔ですが、精霊王シセルだけがにこやかに笑っている。
その顔は、真意を当てられたときにする顔だよな、シセル?
「ステラ……それはあまりにも精霊王様に失礼というものだ。お前の守りを固めるために、ずっとこの湖畔を守護くださっているから、怨嗟の闇の魔物から必ずお前を守ってくれる」
「カイは甘い。この方。危なくなったら、私だけ攫って、消えてしまうぞ」
室内の空気が一気に零下の冷たさに凍り付く。
理由は簡単、兄上である……。
まさか、という視線が精霊王シセルに集中し、すべての視線が集まった張本人は「バレたか」と悪びれもせずに軽く舌を出した。
「ステラを守るには、それが一番有効だからね」
そんな事を軽く言ってのけているけれど、連れていかれたら、一生精霊界に缶詰めにする気が満々なのが、透けて見えている。
「怨嗟の闇の魔物」と「精霊王」という看板の違いで、明るく優しい皆の味方、みたいな顔をしているけれど、すべてを思い出した私からしたら、シセルだって中身は金瞳とさほど変わりはしない。兄上だって、すべてを思い出したらそれを理解してくれると思うのだけれど……。
「―――………」
無言無表情の兄上の顔からは、その考えがひとかけらも読み取れない。
う~~ん。これでは納得してもらうのは無理だろうか……。
「カイ」
「は。プロフェッサー」
兄上の変わらない顔を凝視していた私の隣で、お祖父様が口を開いた。
「お前は一度魔塔に戻り、カールを連れて王宮に直行しろ」
「は?」
「ウィリアムとシリウスのサイドのナイトを挟むルークに、カールを据えステラの補助につける」
「お義父様?!」
母上が反対の声を上げるが、兄上は真っ直ぐに私を睨み据えたまま、表情を変えずに微かに肩眉を上げたかと思うと、腕を組んだ。
「俺が手ずからステラを守った方が安全か」
「そういうことだアイザック。確実にステラを守護しろ」
「言われなくとも、命に代えても―――。ところで、『カール』とは何者ですか?足手纏いになるようならば不要です」
「――カールは、私が育てた魔導士だ。お前から聞いた異常世界対策に有効だから、カードとして持っておけ」
・・・
決めたとなると動きが速い兄上とお祖父様である。
あっと言う間に私の参戦は承認され、夜が明けるころには転移ゲートを使用して王宮に到着した。
「カールとやらは、まだ来ていないようだな」
「カイの気配も、まだないな。さて、どうしますか兄上?」
「決まっている」
兄上が不敵に笑った。
「行くぞ。ステラ」
手を差し出してきた兄上の右手に手を重ねて、ステラは「それでこそ」とアイザックに向けて満面の笑顔を向けた。