8:父はつらいよ
スタンレイ侯爵家嫡男アイザックの誘拐暗殺予告の一報が入ったのは、社交シーズンに王宮で定期開催される夜会の終宴間近の時だった。
すべらかに滞りなく進んでいた夜会はその一報が知らされるや否や、大騒ぎの阿鼻叫喚へと変貌をとげた。
幼年の子供は通常夜会へは同行しないものだが、今日に限っては第二王子の希望ということもあり年の近い子供たちが王子宮に集っていた。
我先にと自らの子供の安否確認に王子宮に雪崩込む貴族達を尻目に、当事者であるアイザックの父ウィリアム・ローリー・スタンレイ侯爵は旧知の幼馴染である、ステイビア王国クリストファー・ダニエル・ステイビア国王に半眼を向けた。
「陛下、王宮の警備はザルですか?」
「面目ないが、近衛の任命は君の仕事ではなかったか、侯爵?」
お互いにやれやれと溜息を吐きながら大荒れの夜会会場の出口に向かい、二人は並んで歩き出した。
まるで貴婦人をエスコートするかの如くとても優雅な足取りだ。
「跡取長男の誘拐暗殺予告にびくともしないね、ウィル」
「予告といっても、もう連れ去られているから、慌ててもそれは変わらん。これが次男三男だったらもう少し慌てるところだが、アイザックだぞ?誘拐犯を殲滅してつらっと帰ってきそうだ。奴ら、誘拐する対象選定を間違えたな」
この状況では周囲に彼らの会話に耳を傾ける者もいないので、ウィリアムは王への言葉使いを放棄している。そんな友を注意するでもなくクリストファーは大きく息をついて天を仰いだ。
「強力な魔力持ちだとしてもまだ子供だろうに……スタンレイ家の肝の据わり方は相変わらず理解出来ないな……アイザックは、うちのセオドアと同い年だから―――」
「再来月で9歳になる」
「———臨月の侯爵夫人がこの場に居なくて良かったな」
「陣頭指揮に立ちそうだからか?」
ウィリアムの妻クロエは王国で将軍職を継承する武門家の生まれであり、彼女自身も騎士爵を持ち、結婚前までは軍事最前線の第一騎馬騎士団の団長も務めていた女傑だ。
「産気付いたら大変との意味合いで言ったのだが……うちの嫁なら失神してるぞ。———まったく、スタンレイに喧嘩を売る度胸があるなら、国だって興せるだろうに」
ウィリアムは不敵な笑みを主従の誓いを交わした君主に向けた。
「誘拐犯の予想はお互い一緒だな?丁度いい機会だから、お前の政敵も全部一掃してやるよ、クリス」
助かるよ。と呆れ声を上げる王陛下にウィリアムは臣下の礼を深々と捧げた。
つらっと帰ってきそう。というのは本気で思ってはいたが正直に言えば70%位の予想だった。
残り30%の確率でアイザックに危害が及ぶ可能性もあり、ウィリアムは彼が率いるスタンレイ騎士団及びスタンレイ暗部である闇部隊の全てを一斉動員した。
国内国外問わず動かしたスタンレイ傘下の人員は王家の私兵人数を軽く超す。
夜が明ける頃には、トップから三下に至るまでの全てをスタンレイはその制圧下に置いた。
犯行グループは予想通りの反現王親王兄派で、今は無いヘイデン大公派閥の残党だった。
過去に王兄を王宮から排除し現王を擁立し後ろ盾となったスタンレイに深い恨みを持つ者たちの計画的犯行で、アイザックの殺害後はスタンレイを牽制し現王を排除し、王兄派閥の王を立てようとする果てしない計画だったらしい。
闇部隊がウィリアムの眼前に連行した犯行グループの主犯が、アイザックは西の国境近くの魔の森に連行し殺害した後、遺体は魔物に処理させる予定で最早命どころか骨しか残っていないだろう。と下卑た笑いを向けてきたので、それが耳障りだったウィリアムは容赦なく彼の顎を砕いた。
西の魔の森とは厄介だ。
アイザックを魔の森に連れていき殺害後アジトに戻る手筈だった実行犯達は、ただの一人も戻って来ていないらしい。
さもありなん。とウィリアムは息をつく。
西の魔の森は人間が踏み込んで良い領域ではないのだ。
実行犯達は恐らく、アイザックに殺られたか、または、魔物に喰われたかだろうことを推察する。
息子達にはこのような事態を想定し常にマーカーペンダントを持たせてあるが、まさかワープホールと転移魔法まで駆使しての計画だとは思いもよらなかった。それらは使用者の特定がしやすいため足がつきやすい。そんな杜撰な計画だったとは、逆に盲点だった。
馬鹿が考えることはこちらの予想とセオリーを超える事がある。という教訓を得てウィリアムは勉強になったと腕を組んだ。
昨晩からの捜索は馬鹿を想定していなかった為、遠方過ぎて西の魔の森までは捜索範囲を広げてはいなかった。魔の森をターゲットすればアイザックの所在特定は容易いが、魔の森は魔物が多く捜索行動は本当に厄介である。安否確認と迎えを出すにしても、騎士と魔法師の連隊を編成し向かわせないと、救出部隊に損害が出る。
犯行グループをスタンレイが完全制圧してから1日を少し過ぎた頃、アイザック発見の一報が救出部隊からスタンレイ侯爵家本邸に入った。
アイザックが死んでいるとは露ほども考えなかったため嘆くこともせず、無事救出の一報が入っても驚きも喜びに涙することもなかったウィリアムではあったが、救出されたアイザックが本邸に戻るなり発言した爆弾宣言には驚く他なかった。
「今この時より、僕の妹にしたいと思いますので、手続きなど宜しくお願い致します。父上」
ウィリアムは、突然の息子の爆弾宣言に2、3度瞬いた。
アイザックの一言により、辺りは時が止まったかのような静寂が包みその場の誰もがただ一点、クザンの腕に抱かれた子供へと視線を集中させた。ウィリアムも例外ではない。
ステラと紹介されたクザンの腕の中の子供は目を剥いて言葉を無くし、アイザックを見つめて凍りついている。
今初めてそれを聞いたのだろう。
演技だとしたら、大したものだ。
子供とはいえスタンレイへのスパイ嫌疑がないとはいえないが、他ならぬアイザックの判断だ。その線は無さそうだとウィリアムはこの時点でそう判断した。
「妹にしたい」とアイザックは言った。
ということは、この子は女の子なのか?。
クザンに抱かれたままのステラをウィリアムは注視した。
鉄錆と泥の色にまみれた長髪に隠れ顔の判別はつかないし、髪と同様に汚れたぼろ雑巾みたいな布切れから伸びる手足はがりがりで、更には人の肌とは思えないくらいに汚れている。性別は判別がつかず浮浪児以外の言葉が浮かばない。
誰にも、物にも、何の興味も執着も持たず、無表情無感動だったアイザックが、この子に興味を持ったということか?
そのポイントはどこにある?
アイザックよりいくぶん幼い子供。その子供が不似合いな古びた剣を抱きしめている。その剣が、何故かウィリアムは気になった。
人であれ物であれ初見のモノはじっくり分析し見聞する質のウィリアムが、すべてを図る冷酷な目でステラを見据えた。
その時だ。首筋にひやりと冷たい氷の刃が当てられた感じがした。
アイザックの氷の目がウィリアムを見据えていた。
これはマズい。とウィリアムは瞬時に悟った。
長男の不興を買ってしまったようだ……。
彼は、長男のこの氷の目に弱い。というか、怖い。
アイザックのことは大切だし息子として愛してはいるが、この長男の氷の目は怖い……敬愛しているが怒ると大変に恐ろしい我が父そっくりなのだ。それはもう父の隔世遺伝子100%といっていい。
めったに怒ることもない無表情無感情な所も、そのくせ表情も変えずに怒気を纏う所も、これまた父にそっくりな長男を宥めようとウィリアムは口を開いたが、声を上げたのは隣にいた次男イーサンと三男ネイサンの双子だった。
「「こんな汚ったないのヤダ!!」」
次男三男よ……命が惜しいならば、この状態のお兄ちゃんに油を注いではなりません。
貴族のそれも国内外で名を馳せるスタンレイ侯爵家当主の矜持として表情こそ変えず耐えたものの、ウィリアムの背中には冷たいものが流れていた。
アイザックの怒気が膨らんでいく。
まだその時期ではないと思いたいが、アイザックはこの不興から『暴走』が起きないともいえない。
もう少し大きくなれば自分でコントロールも出来るようになると、同じ『暴走』経験を持つ父が言ってはいたが、「10歳までは諦めろ」とも言われている。
「「そんな子、どっかに捨ててクザン!!」」
ぴくっ。とアイザックの氷の目が細められた。
防御態勢も整えられないままこの距離で『暴走』が起きれば、みんなの命も危うい。
次男三男もだが、妻クロエは身重でいつ産気づいてもおかしくない時期だ。
瞬時に防御魔法陣の展開術式を口中で唱えだしたウィリアムの前で、ぼろ雑巾みたいな子供がアイザックの髪を引っ張った。
「怒るな、アイザック」
たった一言。
ステラからのその一言で、今まさに『暴走』が始まるはずだったアイザックの怒気が霧散した。
『暴走』を止めた者は今までいない。
その事実を知るウィリアムは、あまりの驚きに言葉も発せずに彼らを見つめた。
クザンの腕の中から伸ばした手でアイザックの髪を撫でると、子供は静かな声で言った。
「これが普通の反応だ。お前がおかしいんだ」
「ステラ、それは―——」
「降ろしてください。クザンさん」
剣を抱いたままのステラがクザンに願い、クザンが名残惜し気にステラを地面に降ろそうとしたその時、誰もが動けないでいたその場で、ただ一人だけがステラとアイザックに歩み寄り近付いた。
「クザン、そのままで」
ウィリアムの妻クロエがクザンを制した。
「母上……」
見上げるアイザックの肩を左腕で抱き、クロエは右手をステラの手に差し出した。
「私の愛する息子を助けてくださってありがとう。ステラ?」
で良いのよね?と視線を流すクロエに、アイザックとステラは小さく頷いた。
クロエから向けられたその手に、恐る恐る手を差し出したステラのお腹が「く~~~」と悲しそうな音を上げた。
瞬間顔を赤くするステラにアイザックが「朝あれだけ肉食べたのに」と小さく笑う。
子供の輪の中にいるクロエはもちろん、少し離れた位置に居たウィリアムもそんなアイザックを見て驚いていた。
アイザックが笑っている。
貴族家に必要な作り笑いではない、心からの本当の笑みだ。
小さな笑顔であっても年齢相応の子供らしい笑い顔を見せる長男に、ウィリアムの涙腺が弱まった。
それを知ってか知らずが、彼の有能で豪傑な妻は太陽みたいな笑顔を浮かべステラの手を握って言った。
「まずはお風呂に入ってご飯にしましょう。お風呂の間に食事の用意をするわ。あなたの好きな食べ物は何かしら?」
「え……えっ」
「ディトーの肉です。母上」
「え、ディトー?食べれるの?」
「僕も食べましたが、大変美味しかったです」
何が起きているか理解できないのか、アイザックとクロエの顔を交互に首を振って見る子供の顔が紅潮している。
真っ赤になったその顔がかわいい。とウィリアムは思ってしまった。
白銀の彫像と呼ばれる長男が生まれて初めて興味を持った相手でもある。
結論を出すにはまだ時期尚早ではあるが、検討の余地はある。とウィリアムは考えた。
何故なら……。
「ローズ。誰かステラにつけてあげて、一緒にお風呂に入れてくれる?私は着れそうな服を探してみるから」
クロエが、ステラを気に入ったようだ。
直観力の鋭い女傑の妻が全開の笑顔を向ける相手はそうはいない。
それだけでも検討に値するが、もう一つ。
ウィリアムはクザンに抱かれたまま邸宅に向かうステラをじっと見つめた。
「……あの剣」
小さな体に見合わない大ぶりな古い剣。
ステラが胸に抱いた古い剣がどうしてもウィリアムは気にかかった。
どこで見たものか……何故気になるのか……?
考え、思い出したいが、今は無理なようだ。
「父上!!ぼくは、絶対にいやです!!」
「ぼくもいやです!!あんな汚いのを家にいれるのは、はんたいです!!」
ぎゃーぎゃーうるさい次男と三男に耳を抑えながら、ウィリアムは控えていた執事長を目で呼んだ。
「事態は収束したと王宮に魔法電信を出してくれ。取り押さえた犯行グループへの制裁はこちらで対応すると」
「承知いたしました」
一礼と共に邸宅へ執事が踵を返すと、それと入れ替わりに黒装束の影がウィリアムの足元に膝を突いた。
「あの子供の素性を調べてくれ」
「は」
簡潔な返答に消える影に振り返らず、ウィリアムは大きく息をつき邸宅へと戻った。