75:名もなき神たち
「まずは、これまでのあらすじから説明しないとだ。その為に、カイに頼んで人払いもしてもらったのだからね」
ふざけてるのか本気なのか、真意が全く見て取れない精霊王に、アイザックの苛立ちが最高潮を迎える。
目の前の存在が、伝承と神聖神殿の経典に記された創世の古代三神の一神だろうがなんだろうが、自分からステラを連れ去る気であるならば、敵である。
神など、恐れはしない。
アイザックの恐れとは、ステラを失うことに他ならないのだから。
「そんなものに付き合ってる暇などない。ステラを返せ」
「だから話を聞きなさいって、アイスガード」
コイツはわざと自分の名を呼ぶ気がないのだ。自分を苛立たせたいのか何なのかは知らないが、自分に向ける目と、抱き上げたステラを見つめる目の違いだけは、確実に見て取れる。
この精霊王は、ステラを愛しんでいる。
創世の三神の内の一神として神聖神殿の経典で崇められる緑の神たる精霊王が、ただの人であるステラを、何故そんな目で見つめるのか。正直言って腹が立つ。
これでは、どちらが崇められる存在であるか、わかったものではないが、ステラは―――自分のモノである。
「……ステラは、人間だ。そちらの世界ではなく、人の世で生きる、俺の大切な」
「知っているとも。ステラが人であるのは、昔も今も変わらない」
連れて―――行くつもりなのだろうか?
精霊の愛し仔は、人の世から精霊の世界に連れて行かれると、聞いたことがあるが、渡す気なぞ、あるはずもない。
魔人だろうが、精霊王だろうが、ステラを俺から奪おうとするものは、斬って捨てる。
「目覚めさせるために、連れて行くと言っても、そんなことは、許さん」
「それも知ってるともさ。だからまずは話を聞けというんだ。ステラが関わるとすぐ喧嘩売って来るトコが、本っ当に昔っから変わらないね、君は」
やれやれと息を吐いて、精霊王が顔を上げて片眉を上げたが、アイザックは対抗するようにぎゅうっと眉を寄せる。
何が一番気に入らないかと言えば、語尾という語尾に、何かしらの歯に挟まったような物言いが癇に障ってしょうがない。『暴走』寸前なのが、自分でわかる。ステラがすぐそこにいるのに、抑えが、効かない。
「僕は名前を貰ったあの時からず~~~っと、ステラだけの味方なんだよ?金瞳のアウレウスが世界を転覆させてでもステラを取ろうとしてるのを、止めないわけにはいかないんだって。ステラの幸せは、いつの世でも、君の隣にいる事だからね」
いつの世でも。
短いその一言に、アイザックの思考も身体もすべてが、時を止めたかのように、動かなくなった。
それは、どういうことだ?
そう、思うのに、自分の中の何かが、いや、誰かが、歓喜に震えているのが分かるのだ。
「我ら三神は、皆、ステラを愛しているからね。我らの根底にあるステラへの思いは、言葉に変換するのがとっても難しいけれど、何といったらよいか……ステラがいないと、存在できない?もちろん、君もそれに含まれてることを、記憶になくても、魂が知っているでショ?」
精霊王シセルのその言葉が引き金となり、アイザックの、アイザックだったものの記憶の扉が、音を立てて開き始めた。
・・・
創世の唯一神は何もない生み出したばかりの世界に、三つの魂を落とした。
形の定まらぬ三つの真っ白な魂は、何もない世界をただ懸命に育てた。
理由などはない。
それが、自らに課せられた存在理由、ただそれだけのこと。
気付いたら、三つの魂は、世界の成長と共に自らも姿を変えて、世界の神となっていた。
陽の世界を司ることになったのは、銀の鱗を纏った竜の神。
陰の世界を司ることになったのは、金の瞳を持った魔の神。
緑の世界を司ることになったのは、緑の姿を持った精霊神。
世界を育て司る事。それが、ここに生まれた理由だったので、それ以上もそれ以下も考えることはなく、生まれ成長していく命たちに「神」と崇められた。
世界に生きる者達とはまるで違う存在と線引きされた、竜の神と魔の神と精霊神は、ある時、孤独を知った。
孤独とは、底の知れない闇に似ていた。
同じく生まれた「神」といえ、我々は違うモノで、相容れるモノではない。
人の種族も、獣の種族も、魔の種族ですらも、共に生きる存在を持ち、自らの命を次代に繋げるために自分以外の命との関わりを、縁を持ち、自分達を輝かせる、ただひとつの星を持つ。
自分達だけがソレを持つことが出来ない。
自分達には、同じモノが存在しないから。
孤独を知り、悲しみを知り、星を持つものに憎しみを抱いた。
真っ白だった世界は、今や色とりどりの色を付け、生きものと生物の輝きに満ち溢れている。
もう、自分達の存在など必要はないだろう。
遂に、自らの存在を消す時が来た、長き時を生きた、魂の終焉がやってきたのだ。
ここには、自分達を照らす輝ける星はないのだから。
三神が創世の唯一神のもとに自らの存在を回帰させようとした、ある時のことだった。
神の住まう場所として、人族にも獣族にも魔族にも、禁域とされる聖なる森に、小さな命が捨てられていた。
「このような小さな命を捨てるようになるとは、人も、随分と傲慢になったものだ」
魔の神が、こんな世界になど未練はないと吐き捨てるように呟いた。
「水に沈めてしまえば、命の灯もすぐに消える」
精霊王が提案し、手を伸ばす。
「―――優しい、匂いがする」
竜の神が、精霊王の手を払い、彼の鱗一枚にも満たない小さな体に鼻ずらを近付けた。
小さな紅葉の葉のような両の手が伸びて、竜の神に触れた。
小さな命を持った小さな赤子が目を開き、竜の神を見上げた。
陽と夜の混じる空を思わせる、不思議な紫色をした宝石のような瞳が、竜の神を見て、やわらかく笑む。
「―――あたたかい」
竜の神がその手に触れられて、大粒の涙を溢した。
彼は言葉を無くし、大粒の涙を溢し続けて、彼の地に清浄な湖を生み出した。
「我は――我が天に輝くただひとつ星を、見つけた」
竜の神は、小さな命と共にこの地に在る事を決め、創世の神のもとへ回帰することを止めた。
小さな命に『輝く星』という名前を与え、共に生きる事を選んだのだ。
魔の神と精霊神は、そんな竜の神を諭した。
人の命は短い。
例え、本当に我らが欲する、孤独な闇を照らす星だったとしても、すぐに星を失ってしまう。と。
だが、竜の神はステラスタから離れようとはしなかった。
この世界に同じく生まれ落ちた者として、魔の神と精霊神は、竜の神を置いて創世の神のもとに回帰することが、どうしても出来なかった。
そうして、時は流れる。
人族の成長は世界を凌駕する程に早く、その命は儚い。
緑の若木の様にすんなりと伸びた手足を持ち、竜の神の銀色の鱗にも似た、青を映す綺麗な銀の髪を持つ美しい少女に成長した人の子は、育ての親たる神に名を尋ねた。
「我らに、名はない」
「持ち得るは、神名のみ」
いつの頃からか、どうしてかわからないうちに、竜の神と共に人の子を育てていた魔の神と精霊神は、問われた言葉に返答する言葉を持ち得ていないことに気付いた。
きょとんと目を丸め、子は優しく笑って、人差し指を立てた。
「私が神様たちに名前をあげる!」
魔の神には『アウレウス』
精霊神には『シセル』
竜の神には『アイザック』
孤独な神に天より降りてきた輝ける星が、暗闇の中に一筋の光を与え、彼らの世界を光で満たした。
・・・
「名もなき神だった僕達に、ステラは名前をくれて、孤独で冷たい世界に、優しさと温かさを教えてくれた」
アイザックの頬に、涙が落ちていく。記憶にないのに、魂がそれを憶えている。
「ステラはさ、僕達にとって光そのものなんだ。神の位を与えて、僕らと同じ命を与えようともしたよ?でも、ステラは人のままでいいと、人として生涯を終えると笑ったんだ。それは、何度生まれ変わっても同じで、どれだけ生まれ変わってもステラはステラで、どこに生まれてもステラと名付けられて、僕らの光となる。そして、君は、ステラと共に生きるために、神を降りて、神としての記憶を消す対価を払って、ステラと共に生まれ変わりを続けているんだよ、アイザック」