74:銀糸の光2
指に絡まる、優しい銀色の光。
何故だろうか、コレを、ステラは知っている。
金色の髪をした男が、「自分たちは運命の赤い糸で繋がっている」と、荒唐無稽な話を自分に向けてきて、どうしたものかと白黒付かない曖昧な笑みを浮かべてかわそうとしたら、その人がどこから?って勢いで現れたのだ。
銀色の髪の男。
彼は、「そんな得体の知れない糸などない」と、自分の手に触れていた金色の髪の男の手を手刀でぶっ叩き、それが必然であるかのようにするりと自分を抱き込んだ。
誰かも知れない男に抱き締められたというのに、嫌な感じが全くしない。それどころか、この世で一番安心できる場所みたいな胸の中で、うっとりと目を瞑って眠りについてしまいたいとさえ思った。
この男は、誰だろう?
でも、とても離れがたい気持ちを、自分が抱いている事だけはわかる。
怒りが収まらないとギャーギャー吠える金髪の男を尻目に、銀髪の男がぷつっと自分の髪を一本抜いたかと思うと、それを、私の小指に巻き付けてきた。
短髪より少々長いくらいの、そう長さのない銀髪なのに、くるりと、張り付いて纏わりついて、小指から離れない。
『―――は、私と繋がっている。他をあたれ』
名も、顔も思い出せないこの人を、憶えている。
それは、記憶としてではない。
魂に刻まれているような、もうずっと決まっているような、抗えない思いが胸に渦巻く。
「アメジスト―――ソレはお前には不要なモノだ」
「不要―――?」
「そう。もう、忘れた、消え失せたモノだろう?お前にはもう、必要がない―――」
「……私の、魂に繋がっているのに?」
小指の指に絡まる銀糸の髪に触れながら、静かに目を閉じる。
うん。やっぱりそうだ。これは―――。
「アメジスト?!」
「―――これは、私の、魂の一番深いところと、繋がっているんだ。コレを断ち切ったら、私は、私でなくなるよ?」
それでもいいのか?と瞳を開いて真っ直ぐに見つめると、金瞳のアウレウスが、目を見開き声をなくしていた。
「な、んだって?」
アウレウスのこんな顔は、記憶にある限り初めて見る。
そんなに驚くようなことなのだろうか?
誰かを忘れても、全てを忘れても、記憶の全てを無くしても、自分の魂を忘れることなんて、ないだろうに。
「この銀糸の光と私の魂は、繋がっている。全て忘れてしまっても、それだけは、わかる。これを切ったら、お前の欲しい私は、消えてしまうよ?」
これがなくなったら、私は、私でなくなる。
はっきり言い切ることが出来るのは、小指に纏わる銀糸の光が力をくれるから。
暗く冷え切っていた体に、人としての温かな血が流れ出すように、闇しかなかった世界が、少しづつ、晴れていく。
自分と共にある銀糸の光。
それと同時に、自分を守る光にして―――自分が、どこにいても、どんなモノに生まれ変わっても、必ず見つけると約束をしてくれた、光。
ずっと待つと、どれだけ生まれ変わっても待って待って、待ち続けて、命に代えても見つけると、ずっと、私の心の中に明かりを灯し続けてくれる、この世界にたった一つの、私の光、だ。
暗青色の深いサファイアの瞳を持った、私の、大切な―――。
「……銀の竜」
ざあああ!っと銀色の突風が全てを打払い、暗闇が、薙ぎ払われる。
「―――アメジスト?!待て、ダメだっ!それを、思い出すな!!」
アウレウスが顔色を無くし叫んでいるようだが、もう、私の耳には何も聴こえない。
銀色の竜が、目の前にいるから。
何処から来たのか?
いや違う、いつも私の傍に、心の中に住み続ける、私の半身。
美しいプラチナの輝きを讃える銀の鱗を、覚えてる。
サファイアよりも深い、神秘の海の色をしたその瞳も、全部、全部、憶えている。
目の前が、滲んで、ぼやけていく。
ああ、これは、涙だ、と自覚するより早く、それは頬を伝う。
逢いたかったと。
ただそれだけが、心を満たしていく。
銀竜と私の、互いの小指を、銀糸の光が、繋いでいる。
すうっと両手を伸ばす。
銀の竜が、優しく瞳を緩ませて首を伸ばし、そおっとその鼻先をステラに寄せてきた。
ステラの、ステラだったものの記憶の扉が、音を立てて開き始めた。
・・・
ステラの手が、頬に触れた。気がした……。
アイザックの意識が、一気に覚醒する。
目を閉じていたわけではないが、何も見えなかった世界の情景が、一気に視界いっぱいに広がって、驚愕に瞬く。
ステラは何処だ?!
手の中の温かさに目を向ければ、腕の中に、ステラをしっかりと抱いていた。
氷を溶いたステラの状態は変わらず、閉じた目は未だ自分を見つめてはくれない。そろりと眠ったままのステラの口元に頬を寄せ、呼吸の安定を確かめてから、アイザックは目を閉じて安堵の息をつく。
意識を失いこんこんと眠り続けるステラの傍らに、自分は居たはずだった。ステラ以外は何も見ず、なけなしの心を凍り付かせ、彼女へ向ける意識以外は全て閉じていた。
だからこそ分からない、ここはどこだ?
アイザックは顔を上げ、周囲を見渡してみた。明らかにスタンレイ本邸のステラの居室ではない。ここは、陽光に照らされる湖の水際の林の中で、自分は、大切なステラを抱き込み、草原の上に座り込んでいた。
手を伸ばせば届きそうな翠の湖の水面に、樹木が枝葉を伸ばす、記憶にある湖畔の風景が目の前に広がっていて、穏やかで優しい風が、自分の頬を撫でて流れていく。
ここは、金色の半月が輝く夜にステラを抱き締めた、スタンレイ家別邸のある、湖の中央に浮かぶ島の湖畔であることは間違いない。
誰が、我々をここに移動させたのかが分からないが、自分が、情けない。
知らぬ間に運ばれて、情けなくもこんな醜態を見せるなど、腹を掻っ捌きたい程ではあるが、まずは、ステラだ。
アイザックがステラを抱き、立ち上がろうとした、その時だった―――。
「なにはなくとも、まず、愛し仔。相変わらず、君はちっとも変わらない」
聞いたこともない水面を滑るような涼やかな声が聞こえて、アイザックはステラを腕の中に隠し、顔だけを声に方向に向けた。
周囲に人の気配はなかった。
人の、気配は―――だ。
『この浮き島は精霊の聖域で、古き神たる精霊王シセル・ヴェルデが住まう聖なる地との伝承がある』
そんなお伽話みたいな話を、幼い頃に祖父から伝え聞いたことはあった。
幼いながらも、自分の先祖はよくもそのような聖域に別邸など建てたものだと、正直呆れたものだが、本物とこうして対面するのは、アイザックは初めてである。
自分を見下ろす、穏やかな翠の瞳を持つ、人ならざるモノ。
陽に透ける新緑色の髪は大地を覆うほどに長く、深い森の樹齢何千年の古木とも、陽光に向かい枝葉を広げるすんなりとした若木ともとれる、人ならざる美麗な姿をした、緑の王。
精霊王シセル・ヴェルデ。
彼の人が、美しい顔で穏やかにアイザックに笑んだが、その瞳の奥が笑っていないことに、アイザックは気付いていた。
「久しぶりですね。今世の君にとっては、初めましてでしょうが」
こちらとしては、初めましても久しぶりも何もないが、アイザックは取り合えず相手の名を呟いてみた。
「シセル・ヴェルデ殿と、お見受けするが」
「おや?今世の君は、お利口さんだね?」
偉い偉いと手を叩く精霊王に、アイザック眉を寄せるしかない。
なんだコイツは?
この取り澄ました顔を見ているだけで、いらいらがどんどん増してきて、可能な限り関わりたくないと、自分の中の誰かが耳打ちしてくる。
「そんな、はっきりと渋い顔をするんじゃあないよ。こっちもね、会いたくなかったけど、会えて一応は嬉しいよ。ええっと、今世の名は、アイスガード?」
「……アイザックだ」
精霊王が真面目に間違っているのか、ワザとなのかは知らないが、こいつに付き合っている時間はない。と、アイザックは罰当たりにも背を向け、別邸に向かって歩き出そうとした。
「僕が精霊王であるって知っての、その態度?」
するりと行く手を阻む位置に瞬間移動し通せんぼをする精霊王を、アイザックは睨みつけた。
「今は、それどころではない」
「僕を指して『それどころ』?本当に酷いね。で、まずは、ステラなのかい?」
「わかってるなら消えてくれ」
「本当に僕の扱いが昔っから酷いね、アイスガード」
「アイザック」
「うん。わかって呼んでる」
コイツ、殺して良いだろうか。
こちらを完全に子供扱いでにっこり笑う相手に向かい、アイザックは本気の殺気を孕んで相手を睨み据えた。
中身がおかしい精霊王は更に不敵に笑んだと思ったら、目前ギリギリの鼻先が触れる程まで一気に近距離に詰めてきた。
「今の君になんて、簡単に殺されないよ」
その目が、底の知れない翠の湖底の淀みの様に見えて、アイザックは金縛りにあったみたいに動きを止められた。驚きに息を飲んだ瞬間、不意を突かれ、硬直した腕から、あろうことかステラを奪われ、常に腰に帯びている剣を条件反射で抜く。
「好戦的なとこは、生まれ変わっても変わらないものだね~」
「貴様……ステラをどうする気だ?」
「生まれ変わりワードに突っ込みなし……相変わらずすぎて笑えて来るね。どうするって、目覚めさせる気だよ?だから、カイを使って、君達をココに連れて来させた。何も聞いていないのかい?」
ああ~それなら、その好戦的な態度もわかるわ~。と、創世の古代三神と呼ばれる精霊王が、悪びれもせずにけらけらと笑い出した。
「これから、三神で本気の大喧嘩をしないとなんだけど、その前に、手を組むのはどうだい、アイスガード?」
何を言っているのかはわからないが、精霊王が本気で自分を揶揄ってきている事だけはわかり、取り合えず潰そう。と、アイザックの額に怒りの青筋が数本たった。